知らなかったです。
生協病院の本館五階に、ひまわりっていう食堂があることを。
先日、お友達が、
きっと山口さんに合うところですよ、ぜひ一緒に行きましょうと、
連れていって下さいました。
ひまわりさんは、私みたいに、体のどこかにいろいろな不自由なところがある方達がされている食堂だそうです。
大きな窓があって、ゆったりした空気が流れていて、
心地いいなあと、真っ先に思いました。
お友達とお昼ごはんをいただいていたら
お漬物が隣のテーブルから、「お先でした」と回ってきたりして、
どこか懐かしい空気です。
お友達が紹介して下さり、
このひまわりさんに、言葉のものを置かせて下さることになりました。
とっても嬉しいです。
ずっと前に、大好きな大切なお友達が、
ともみの書くものは、インターネットが見られないような人にこそ、届けられたらいい‥と話してくれたことが
私の心の大事なところにいつもしまわれています。
病院にいらっしゃる方、家族の方、患者さんを支えられる方
そのような方々を想いながら書いたものを、届けさせていただけることが
嬉しいのです。
以前、お友達がかけてくれた言葉に、とても近いことをさせていただけるから。
勇気を出して、「私、書いてゆく」、そう決めたときから
ほんとに不思議ですが
その大事な想いを、がんばれがんばれと、あとおししていただけるような幸せを感じています。
周りのお友達がめぐりあわせて下さることもまた
私にとっては幸せです。
ゆっくり大事に書いたものを
ちょっとずつ置かせていただけることが楽しみです。
余談ですが
生協病院はご縁があるのです。
大学を卒業する年に、私が願っていた職種(この町の幼稚園教諭)は採用がありませんで
私は、卒業と同時に、この病院に勤めました。
窓口で応対したり、カルテを各受診科に届けたり、患者さんをご案内したり。
すごく一生懸命働きました。
でも、半年ぐらいでやめてしまいました。
養護学校で産休の先生の代わりをしませんか?と
幾度か声をかけていただいたからです。
上司の方に相談をしたら、「養護学校はあなたを活かせる場所だと感じるよ。
まだまだ夢や希望があるんだから、もったいない。
私はあなたを送り出すよ」
そんなふうなことをおっしゃって下さり、半年ばかりでやめてしまった病院です。
半年ぽっちだから、私のこと、覚えている人はいないだろうと思っていたのに
先日、看護婦さんが
「あら?あなた、前にいたよね。覚えてるわ。」と
声をかけて下さりびっくりしました。
そんな懐かしい病院でお世話になれるなんて
やっぱり、すべて大事なひとつひとつで、
すべてがつながっているんだなぁと
やけに感慨深く思いました。