野の花だより

日々のささやかなこと*好きな音楽*のんびりと

あきらめない、大丈夫、嬉しいことを

2010年07月19日 | あしあと
少し前のことになります。


二十年くらい前から好きで、
幾冊もご本を読ませていただいているお方のお話を
間近で聴かせていただける機会に恵まれました。
渡辺和子さんというお方です。


たくさん心に残ったなかで、
いくつか、繰り返し繰り返し、想い巡らせていること。


自分を大切にいたしましょう、ということ。
自己中心からの自分を大切に‥とは違い、
自分をまるごと大切に‥という意味で。


落ち込む自分
自己嫌悪に陥る自分
それもまるごといいよ。
人と比べてしまう‥それもまた、まるごといいよ。
感じることは当たり前のこと、仕方のないこと。
ただ、人と比べた、その先が大事。
落ち込んでも、自己嫌悪に陥ってもいい
あとは、その人を目標にして
自分を見捨てないで、あきらめないで、
努力し続けること
その姿を、親も教師も、包み隠さず、子供達にも見せたらいい。




人は、生きて行くなかで、
病気、失業、裏切り、中傷‥さまざまなことに出会います。
人生の舞台に、穴がぽこぽこ、次々にあいてゆきます。
穴のたくさんあいた舞台は歩きにくくなるけれど、
同じことに出会った時、
転ばなくなったり、上手に転べるようになったりと、
ちゃんとなにかをつかんでいるから大丈夫。




キリスト教のゴールデンルール
自分がいやなことは、お人にしない
自分が嬉しいことを、お人にしてさしあげる
それに尽きます。




‥たくさんたくさん、あぁそうだなぁ、と感じ入りながら
ペンを忘れて、時間とともに、細かなことを忘れたことが残念です(^-^;

すっぽり包まれて

2010年07月19日 | あしあと
少し前のこと。
長男の学校で三者面談。
担任の先生を私はすごく信頼している。
温かい情を感じる先生。


先生は、
生徒会の仕事をする彼と
一中学生としての彼とのふるまいに
まだギャップがある。
生徒会長としてがんばる彼は、経験をつんで、
堂々とふるまえるように成長した。
が、まだ、一中学生としての彼は、シャイで、引いてしまい、自分を強く出してゆけないでいる。
生徒会の仕事の中で成長した経験が
一中学生としての彼につながり重なった時、
彼は本物になるだろう
そうおっしゃって下さった。
ものすごくわかる。


つい最近、長男が小学生の頃の写真が目にとまり
じっと見つめて
私は涙が出た。
なんともシャイな、なんとも心許なさそうな、そんな表情の長男。
初めての子で、手探りで、母親の私自身、自分に自信などかけらもなく、日々彼のそばにいたし、
彼が小さい頃、我が家は本当に激動で、
とても大変な思いをさせてしまった。
なんとも自信なさげな顔の写真に、涙が出た。


私は、先生に、
中学校に入り、成長したと思います。
が、これからも、いろんなことを通じて
幹が太く、しなやかに、どっしりと、育ってほしい。
心がなにかつかむと想う。
そう話した。


先生は即座に
そう!
人は必ず、その時期があるんだ。
いつかは、人によって違うけど、
必ず、人は、変われる時期がある。
出会いがある。
だからね、それが、中学生のうちに訪れるかもしれないし、
もっと先かもしれないし、
それはわからないけどね、必ず、変われる時期がやってくるからね、
それは逃してはいけないよ。


先生は、遅くてね‥
だから、君にこんな話ができるんだね。
先生は、ほんとに自信がなくて、人前でも、よう話せんだった。
先生が変わったのは、大学生になった時。
それと、もっと大きいのは、
教員になって一年目。
初めての学校に赴任した時だった。
その学校の子供達はみんな元気がよくて、
先生は子供達の元気に返せる声も出せなかったんだ。
その時、先生は変わったよ。
ほんとに遅いけどね。


人は変われる時期、出会いが、
必ず訪れるから。


そんなお話をして下さいました。


やはり、すごく共感しました。


私も、変わる時が訪れることを実感していて、
それは、自分自身がなにかをつかんで初めて、変われるんだとの実感でもあり
たとえ我が子でも、見守るしかないのだと
祈りながらいたからです。
なにかに出会い、生きてゆくことに、切実に、本気に、足が地に‥そんな変わるときが、必ず訪れる、
私も体験を通してかみしめているから
長男のことを、見守り、祈り、いるのでした。


幹が太くなったなぁ!そんな話を今度はしようじゃないか!
君の十年後、二十年後が、先生は楽しみなんだよ。


こんなことをおっしゃって下さる担任の先生とめぐりあえた長男は
ものすごく幸せだと
わたしもすごく幸せです。
長男が自分で向き合っている自分自身を
まるごと見つめて下さり
人生の道を見渡して、励まして下さる。
あぁ、先生は春にお話した時に、私にこう話されたんだ。
失敗してもいい、失敗をおそれないでどんどん足跡をつけて、
そして最後にいい顔で卒業してほしい
そのために、しっかり応援する
と。
足跡かぁ。
先生はやはり道を見渡していらっしゃるのかもしれないなぁ。

隣にいてくれて、ありがとぉ(*^-^*)

2010年07月19日 | あしあと
一緒に行かない?
そう、誘っていただいて
二人で、楽しみだね
と、楽しみにしていたリサイタル。


開演前のおしゃべりも
楽しみでドキドキとしながら、一緒に食べたサンドウィッチも
いよいよだねって、緊張して息をつめるのも
互いの余韻を大切に、言葉少なに、感動を抱きしめるのも
あんまり素晴らしかったから、このまま帰るのもったいないねって笑い合うのも
‥隣にいてくれて、
ほんとにありがとう。


大切な宝物のような時間であり、
これからずっと、
中村紘子さんのピアノ、イコール、貴女
そんな、かけがえのない思い出になるわ。



プラバホールでの
中村紘子さんのリサイタルにうかがいました。


ただただ感動しました。
ピアノに、お姿に、涙が出ました。


心がふるえたのは、

持っているものは惜しみなく、最善をつくして、相手に渡す
そんなお姿を感じて
胸を打ちました。


最前列で、表情、息遣い、こまやかなペダルづかい、
すべて、手に汗握り、息をつめて、見ました。
全身全霊、まさに、そんな印象をうけました。
優しい音色、小さな小さな音色、音が消え入るまでの響きを、
とても繊細に感覚をとぎすまされる様子が、とてもしみいりました。


五十年、第一線で活躍されてきたことに
ほんとに敬意を抱きました。
良いも悪いもすべて、一身に引き受けなくてはならないと思います。
批評、評価、評判、そういったものが、たえずついてくる世界、
自分自身の内面や技量と、たえず向き合う世界、
その中で、ずっと鍛練を続けていらっしゃっていることの
重み、厚みを感じて、
オーラって、これなんだなぁと実感して
敬意でいっぱいになりました。


ピアノもホールも
中村さんのために喜んで応え、歌っているようにさえ
感じるほど。
聴衆もみな、しんと静まり返り、音楽に身をひたし、
そして喝采と笑顔で感動を伝え
なんだか、まあるくひとつになっているような
本当に不思議な温かな雰囲気に包まれていました。


人として、
そして、私はにじのゆめのことにも思いをはせ、創り手、届け手ということについても、
たくさん、大切なものを
いただいた気がしています。


中村紘子さんに、心から、たくさんたくさんの「ありがとう」をお伝えしたいです。



アンコールで弾いて下さった
ラフマニノフの「鐘」に
鳥肌がたち、涙がでる、そんな感動を味わいました。