黒田晴美の子育てとコーチングと「わたし」

神戸でコーチをしている黒田晴美です。子育て中のママや夢に向かって一歩踏み出したい方のサポートをしています。

命の重さ

2010年08月30日 | はるの成長日記
このところ、脳死による臓器移植の記事を目にします。
法律が変わって、ドナーカードを持っていなくても、
家族の承諾があれば臓器移植ができることになり、
その1例目がニュースになってからは、立て続けに移植されていっています。
そのうち、ニュースにもならなくなっていくのでしょう。

ドナーカード。

死んでしまってからは、肉体はもう必要ないのだし、
この身体がどなたかのお役にたつのであれば、という思いもあります。

ただお葬式に来て下さった方に、
最後まできれいな姿でお目にかかりたい思いもありますし、
家族としても、そういう思いかな?と思ったり。

身体は棺のなかでも隠れるので、
顔だけきれいなままだったらいいかな?


だけど、一連のニュースをみながら感じる違和感はなんだろうと考えていました。

おひとりのご遺体から、5人の方へ移植されたりもしているようです。
そのこと自体は、素晴らしい命のリレーだと思うのですが。

ひとつには、脳死ということ。
医学的なことには詳しくありませんが、
やはり私は脳死が人の死であると、受け止められないのだと思います。

5月に祖母を亡くしました。
病院のベッドで、ずっと祖母の手を握っていました。
たしかに、温かく柔らかだった祖母の手。
それから、半日せずに祖母は旅立ちました。
つい、さっきまで、確かに生きていたのに・・・。

脳死ということは、心臓も動いていて、身体も温かいのです。
その状態で、家族の人生にピリオドを打つことは、
私にはできそうにありません。

脳死状態から行き返ったという話もあるようですし、
臓器を取り出す際に麻酔をする、というのも、
もしかして痛みを感じているのでは?と思ってしまい、
何ともいえない気持ちになります。

もう一つには、「本人の意思に関係なく」ということ。
もし、万が一、ということがあるのであれば、
家族が移植を承諾するということは、
その方の生きる可能性を絶ってしまうことにはならないだろうかと。


一方で、私の弟は腎臓病を患っていました。
幸いにも透析や移植は必要ありませんでしたが、
病気がみつかった小学生のころから、高校生になっても、
ずっと県立のこども病院に通院していました。
プールもずっと休んでいましたし、運動も制限され、
食事にも気を使う毎日でした。
もし弟に意欲が必要になったら、私も検査をうけなければいけないの?と
親にたずねたこともありました。
痛い検査をしても、型があわなければ弟を救うことはできません。
日本の現状では、型があうドナーが見つかる確率なんて、
ないに等しいものだということは知っていました。
もし、私の腎臓が誰かの型にあうのなら提供させていただくから、
そのかわり、弟の型にあうドナーの型が見つかったら、
優先的にまわしてもらうことはできないのかな?なんて考えもしました。
といっても、子ども同士の移植は無理だったと思うのですが。

また、弟のお嫁さんのお母さんも腎臓を患ってらして、
弟のお嫁さんは、お母さんの透析に付き添ったり、
家事を手伝ったりという生活を、
学生のころからずっとしていましたが、
数年前に亡くなりました。

だからこそ、移植によってしか助からない命があることや、
移植を待ち望んでいる人がどれだけいるか、ということも理解できるのです。

あれこれ、考えているうちに、
あぁこれか!ともやもやの原因に辿り着きました。


それは、とある戦争体験談。

女の子のお兄さんは戦争で怪我をして病院にいます。
体にはウジがわいて、もう助かる見込みはなさそうです。
女の子が外から病院に戻ると、
お兄ちゃんが寝ていたところに姿が見えません。
看護婦さんにお兄ちゃんの居場所をきくと、
「お兄さんはもう亡くなった。
他の助かる見込みのある人のために場所を空けないといけないから。」という返事。
「そんなことない!お兄ちゃんは確かにさっきまで生きていた!」
と女の子はいうのですが、きいてもらえません。
お兄ちゃんは、死体の山の上に積み上げられていました。
「お兄ちゃん!」と声をかけると、わずかに右手があがったそうです。
そして、灯油をかけて燃やされました。

この話がなぜか私の中で、
最近続々と行われている臓器移植の話とつながってしまったのです。

あぁ、だから、しっくりこないんだ。

日本の5歳の男の子が、海外で心臓移植を受けるために旅立ったそうです。
その費用、1億3500万円。

5月の末から1か月あまりで募金が集まったそうです。
ご両親にとっても、決して楽な選択ではないと思います。

それでも、我が子を救いたい。
もし、私が同じ立場になった時に、
お金がないから、子どもの命をあきらめるという選択ができるでしょうか?

アメリカでは日本人(外国人)だと、
移植にかかる金額が跳ね上がるそうです。
そして、日本人は金で順番に横入りして、臓器を買っていくといわれる・・・。

海外での移植に頼るのではなく、
自分の国で移植できるに越したことはないのです。
それも、わかります。

誤解されている方もいるようですが、
日本では臓器を提供しても、遺族にお金は入りません。
無償での提供となるのです。

世界では、それがビジネスとして成り立っているところもあるのかもしれません。

闇の子供たち (幻冬舎文庫)
梁 石日
幻冬舎


命の重さはみな同じで、
そのどれもが尊いということに
かわりはありません。

人はなぜ「箱」に入るのか?

2010年08月30日 | はるの成長日記
久しぶりに箱会に参加してきました。

今回は参加人数も少なくて濃厚な時間になりました。

「もう、話きいてもらいたいことがあってね!」
「私も話したいことがあって…」

自分の話したいことをじっくりと聴いてもらえる場というのは、意外にないのかもしれません。

私の話もたくさんシェアさせていただきました。

ただの承認の場でないのがこの箱会。

一見、いい話やなぁ~で終わりそうな話の続きに箱があります。

最初は、相手のことを思ってしていたはずのことが、一旦箱に入ってしまうと、途端に相手を責めはじめます。

箱に入るということは、
相手に要求してしまう、
求めてしまうことなのかも、と感じました。

また別の視点から「きくこと」の奥深さを改めて感じました。
私のコーチングセッションの中でも今まで以上に意識していきたいと思います。