平成17年3月31日の産経新聞において,「女性天皇について考える」というテーマで論文が募集されている。
未発表の作品という条件が付されているのだが,問題意識のある人というのは,既に何らかの形で,例えばブログなどで,自らの意見を書いてしまっていると思われ,なかなか厳しいところだ。
それにしても,どのような作品が応募されるのであろうか。
様々な議論を見る限りでは,男系を維持するべきだという論が,筋が通っており,また,説得力があるように思われる。
ただ,世間において交わされている議論を見るにつけ,肝心なことが語られていないように思われる。
男系を維持するべきだという立場としては,男系が何故重要であるのか,男系ということには,一体どのような意味があるのかということの説明が必要であろう。
歴史的な重み,男系を維持するための歴代皇室,日本人の苦心ということも,とても大きなものであるが,そこまでして男系を守ってきた理由は何かということが,まだ説明されていないように思われるのだ。
この点について,筆者なりの考えについては,今までにも何度か述べてきたが,世間に於ける立派な識者による,キチンとした説明が待ち遠しいところだ。
一方,女系を認めることを前提とした女性天皇容認の立場としても,男系ではいよいよ皇室の存続が難しくなっているということの説明が,十分になされていないように思われる。微妙な問題であるが,皇室において,もう男子の誕生が望めなくなっているという事情があるのか,また,旧宮家復活・養子について,現実的に困難な問題があるのか。
結局,核心となることが語られていないので,なかなか平行線というか,かみ合わない議論になってしまっているように思われる。
なお,筋の通っているのは,男系を維持するという立場の議論であると述べたが,この立場の議論が多くなることについて,筆者としては,少々悩むところがある。
それは,皇室という御存在を尊重しようという気持ちの中身にかかわる話である。
筆者としては,皇室との心の絆ということを重視する立場である。もちろん,この絆というものは,個人と個人の間の絆という訳ではなく,歴史的な背景を有する皇室と日本人との絆ということであるのだが,それでもやはり,絆である以上,今の皇室とは全く別な方を迎えるという案については,何というか,寂しいというか,そういう気持ちが生じてしまう。
少なくとも,それで全く問題ないという気持ちにはなれない。
世襲制ということについては,時間的な,縦の線における同一性が必要なのだということを以前論じたことがあるが,ただ,世襲制がそもそも何故始まったのかということを考えてみると,ある一族についての尊敬というか愛着というものがあり,その一族の実子による継承を願う気持ちがあればこそだったのではないかとも思われるのである。
かといって,女系を容認するべきだとも思わないのだが,国民と共に歩むことに努められてきた現在の皇室の方々のお姿を思い起こすと,なかなか割り切れない。
世間の議論について平行線などと言ってしまったが,筆者は筆者で,自らの立場をハッキリとさせることが出来ずにいるのである。
未発表の作品という条件が付されているのだが,問題意識のある人というのは,既に何らかの形で,例えばブログなどで,自らの意見を書いてしまっていると思われ,なかなか厳しいところだ。
それにしても,どのような作品が応募されるのであろうか。
様々な議論を見る限りでは,男系を維持するべきだという論が,筋が通っており,また,説得力があるように思われる。
ただ,世間において交わされている議論を見るにつけ,肝心なことが語られていないように思われる。
男系を維持するべきだという立場としては,男系が何故重要であるのか,男系ということには,一体どのような意味があるのかということの説明が必要であろう。
歴史的な重み,男系を維持するための歴代皇室,日本人の苦心ということも,とても大きなものであるが,そこまでして男系を守ってきた理由は何かということが,まだ説明されていないように思われるのだ。
この点について,筆者なりの考えについては,今までにも何度か述べてきたが,世間に於ける立派な識者による,キチンとした説明が待ち遠しいところだ。
一方,女系を認めることを前提とした女性天皇容認の立場としても,男系ではいよいよ皇室の存続が難しくなっているということの説明が,十分になされていないように思われる。微妙な問題であるが,皇室において,もう男子の誕生が望めなくなっているという事情があるのか,また,旧宮家復活・養子について,現実的に困難な問題があるのか。
結局,核心となることが語られていないので,なかなか平行線というか,かみ合わない議論になってしまっているように思われる。
なお,筋の通っているのは,男系を維持するという立場の議論であると述べたが,この立場の議論が多くなることについて,筆者としては,少々悩むところがある。
それは,皇室という御存在を尊重しようという気持ちの中身にかかわる話である。
筆者としては,皇室との心の絆ということを重視する立場である。もちろん,この絆というものは,個人と個人の間の絆という訳ではなく,歴史的な背景を有する皇室と日本人との絆ということであるのだが,それでもやはり,絆である以上,今の皇室とは全く別な方を迎えるという案については,何というか,寂しいというか,そういう気持ちが生じてしまう。
少なくとも,それで全く問題ないという気持ちにはなれない。
世襲制ということについては,時間的な,縦の線における同一性が必要なのだということを以前論じたことがあるが,ただ,世襲制がそもそも何故始まったのかということを考えてみると,ある一族についての尊敬というか愛着というものがあり,その一族の実子による継承を願う気持ちがあればこそだったのではないかとも思われるのである。
かといって,女系を容認するべきだとも思わないのだが,国民と共に歩むことに努められてきた現在の皇室の方々のお姿を思い起こすと,なかなか割り切れない。
世間の議論について平行線などと言ってしまったが,筆者は筆者で,自らの立場をハッキリとさせることが出来ずにいるのである。
筆者の感じるところでは、伝統派・保守派の主張というのは、多分に、感性に依ると思われるところがあり、この感性というのも実は、なかなか大事だと思うのですが、普遍的な立場に立った理論化ということについては、どうしても弱くなってしまうのかもしれません。
ただ、そうは言っても、自分と同じように感じない人に対して、短絡的に敵対視するというのは、非常にまずいことであると思いますし、説得力ある説明の努力はしてもらいたいところです。