我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

「天国とよばれた療養所」

2024-11-20 19:01:22 | 友人、知人及び同級生
                 白菊一輪

9月中ごろ
高校時代の友人から
一通のはがきが届いた、
“妻が本を出版したから
是非とも読んでほしい”
という内容であった、
早速発売日三日後の10月末
近くの本屋に行った、
取り寄せになるということで注文した、
一週間ほどして手元に届いた、

題名「天国とよばれた療養所」
作者:ゆきや星
(株)郁有社 

時代は大正期末期に始まる、
偏見の最たるものがこの病気であった、
この患者が親類縁者から出ようものなら
秘密裏に療養所に送り込まれ
縁さえ切られる者が多かったと聞く、
今で言うハンセン氏病、
当時は癩(らい)病と言われて
差別と偏見に満ち満ちて
国家政策で隔離された、
そんな患者の苦悩を描いた内容だった、
巻末に記載された数多くの参考文献は
作者の努力を物語る、
内容からしてストリーは
明るく成りようがないのは
仕方がない、
それにしても
読み進むのに苦労した、
時代は大きく変わって昭和30年代
最終章で主人公の男性患者が
病を克服して結婚し子供も出来る、
あるきっかけで金魚を飼うことになり
それの餌にコオロギを粉末状にして
与えたところ金魚の発育状況に
非常に効果があることが分かった、
主人公がそれをペットショップに持ち込んで
相談したところ好評化され
量産化に成功し取引が始まる、
ここまで来てやっと主人公は
人並みの生活を手に入れる、
それは読者の気持ちにも
明るい光をもたらす、
この病気に感心のある人が読めば
どんなに暗い場面でも
苦にはならないのであろう、
私には最後でやっと
救われた気になった、
それは
どんなに暗い生活の中にあろうとも
何かを作り出すという行為の中には
一縷の望みがあるということだ、
失敗するか
それが成功に繋がるかは
本人の才覚と努力次第。

友を訪ねて(2)

2024-10-27 05:45:09 | 友人、知人及び同級生
               トキワシノブの鉢植えにムラサキルキア(切り花)を差した

多摩湖畔には西武ドームあり西武遊園地もある、
そんな客を狙ってのホテルであろう11階建ての
大きなホテルだ、
その最上階がレストランになっていた、
5時の開店と同時に入店した、
展望の良さに目を見張る、
眼下に多摩湖と多摩丘陵、
それを超えて北西方向に開けているのは
東京都西部の立川、八王子、青梅方面の
丘陵地帯と街並みであろう、
富士山も見えるはずと目を凝らしたが
秋の霞にかき消されて見えなかった、
店員さんに聞くと
“空気が澄んでいればこの方向に綺麗に見えます”
教えてくれた、
このレストラン奥方のお気に入りらしく
ランチ会でよく来ているという、
だが亭主殿とは初めてとのことで
彼はしきりに方向を指さして奥方に聞いていた、
それもお互いが健康であればこそであって
幸せな夫婦のあり方であろう、
日が落ち始めたころから
富士の方向を見ると
空は茜色に染まってぼんやり富士の影、
日が落ちるにつれて影がはっきりしてきた、
手持ちの小型カメラとスマホで撮影した、
明るいうちは見えなかった富士が
時系列的に影を濃くして見えてくる、
滅多に味わうこともない料理の味も
忘れるほどの感動を覚えた、
記憶に残る幸せなひと時を過ごして
ホテルを後にした。

OSをwindows11にして以来
本文も写真の投稿も四苦八苦しています、
お見苦しい点は何卒ご容赦ください。

友を訪ねて

2024-10-26 04:55:36 | 友人、知人及び同級生
    清瀬市の円福寺三重塔

パソコン故障中の1ヶ月間も色々なことがあった、
9月の月末に都下清瀬市に住む友人を訪ねた、
この日は朝になってからも行こうか行くまいか散々迷った、
だが清瀬からそう遠くではない所沢の先輩が亡くなったと言う
情報も得ていたのでそれも気になっていた、
加えて件の友人から清瀬市内に三重塔があると言う情報も知らされた、
こうなれば是が非でも行かない分けに行かない、
9時ころだっただろうか?
友人にも亡くなった先輩宅にも知らせることなく出かけた、
最初に尋ねた所沢の先輩宅は留守だった、
30分ほど待ってみたが
やむなく自分の住所と名前を書いた手土産を
玄関先において後にした、
次に三重塔のある円福寺を訪れた、
立派なお寺さんだ、
珍しい白木づくりの三重塔は見ごたえがある、
ちょうど境内の所々に彼岸花が咲いていたので
それを前面に入れて撮影した、
在宅か不在かは確認しないまま
友人に円福寺に来てる旨のメールを入れた、
耳の遠くなった友人はスマホの着信音は
聞き逃すことが多いと聞いていたからだ、
写真を撮り終えてしばらく経っても友人から連絡がないので
諦めて次の目的地平林寺に向かっていた、
新座市にある平林寺の駐車場に着いたところで
友人から連絡がきた、
気づくのが遅くなったけどぜひ寄れと言う、
再びナビを頼りに清瀬の友人宅に向かった、
彼には二年ぶり、
奥方には彼らの結婚式以来半世紀ぶりの再会、
勿論奥方のことは何も記憶にないので初対面同様、
第一印象が若い、
しかも明るくて元気そうだ、
友人が更けてきたので一層際立つ、
しばらくの間積もる話に花が咲く、
とは言い難い、
なぜなら同級生のLineグループで情報交換は
しょっちゅうしているからだ、
むしろ奥方との会話に新鮮味があって楽しかった、
趣味のこと、体調こことなどで話が弾む、
なんだかんだで2時間ほども過ぎて
夕食に誘われた、
多摩湖の湖畔にあるホテルの屋上レストランが
料理もいいし景色もいいので
ご案内したいと言うので好意に甘えることにした。

(続きは次回)

花の中の華

2024-06-04 14:40:30 | 友人、知人及び同級生

        オトギリソウの花と実

 

高校の同級生 Hさん、

地元でケーキ屋のオーナーと聞いている、

昔から頭の回転が良くて小奇麗である、

数年前にHさんの提案で

ラインのグループを結成した、

名付けて「やすらぎ」

故郷とそれぞれの居住地との

情報交換、

高齢者となった今日

病気の話題がよく出る、

孫の話題、

旅行の話題、

食べる話題に続いて

花の話題も登場する、

いつも話題の中心にいるHさんが

花の話題になるとなりを潜める、

そこで私は聞いた、

❝Hさん 

 花の話題になると投稿がないね?❞

Hさん曰く

❝花はあまり好きではないの

 だから私は知らないの❞

これは意外だった、

見目麗しき彼女の口から

花は好きではない、

等という言葉を聞こうとは!

男なら無関心であることに違和感はない、

だから花が話題に上ることなど滅多にない、

花の好きな私など

例外中の例外であろう、

私は軽いショックを受けた、

そして彼女が何故

花を好きではないなどと言うのか

しばらく考えた、

老いてなお

Hさんは美形を保っている、

顔だちもスタイルも崩れていない、

父親は大学教授だったことなどもあり

出自は上流クラスといえるだろう、

勿論それを鼻にかけることなど微塵も無い、

行きついた結論、

恐らく

幼少のころから賢くしかも可愛くて

彼女はいつも話題の中心に居た、

だから

彼女は自身が❝華❞で

花はライバル

だったに相違ない。


不治の病

2024-05-09 06:11:40 | 友人、知人及び同級生

友人のKさんが

ムギナデシコ(麦撫子)を持ってきてくれた、

昨日 Kさんを夕食に招待した、

彼は自分で栽培している花を持ってきて

わが家のカカ様を喜ばせてくれる、

花瓶もKさんが作った作品、

サイズを熟知しているので

持ってくる花に余分も不足もない、

言ってみれば活けた花は

器から花までKさんの作品だ、

彼はこのブログに何回も登場しているが

ひとり暮らし、

不治の病を抱えていると言う事が

なんとも切ない、

おまけに娘は遠方で所帯を持っている、

わが家とは古い付き合いだから

あまり神経は使わない、

❝夕食に招待❞と言っても

特別なもので饗応する訳ではない、

わが家で普段食べている食事の

量を増やして一緒に食べるだけだ、

彼は口八丁手八丁

友人も少なくないし

やることは色々あって昼間は

退屈しているようには見えない、

だが酒を飲まない彼が不治の病を抱えて過ごす

夜の孤独感は計り知れない、

先日風呂から上がって寛いでいたら

彼から電話がかかってきた、

取り留めもない内容に気づいて

しみじみと彼の侘しさ感じた、

そしてそれは

他ならぬ

自分自身の近い将来にも

繋がることになるのだろうと思った。