我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

写真集出版記念会

2025-03-14 13:37:22 | 友人、知人及び同級生


我らが写真集団「風」の会長を務める
Mさんの写真集出版記念会が藤岡市内の
料理屋さんで開かれた、
彼は県内でもトップクラスの山岳写真同人の
一員でもある、
全国区の山岳雑誌でもある「岳人」などに
その写真は掲載され
年間の再優秀賞を獲得することも数度に及ぶ
実力者でもある、
人脈は県内はおろか関東一円に及び
出席者の名簿を見て恐れおののいた、
と言うのは閉会の辞を託されたからである、
小心者の私の任ではないと思ったが
わが会の最長老であるからには
引き下がれない、
止む無く引き受けた、

閉会の辞
「楽しい宴のひと時は
閉会の時刻となりました、
名残惜しいのはやまやまですが
これにて散会といたします、
本日はありがとうございました」

わずかこれだけのことを言うのに
幾通りもの言葉を選び
選んでは消し、
どれだけ心を痛めたことか
いい経験をさせてもらった。


熊の脂

2025-03-07 07:04:13 | 友人、知人及び同級生
                                                                         大雄院の三重塔(桐生市)
昨日(3月6日)
行きつけのスナックに寄った、
お昼頃だったが先客は3人のみ、
いずれ劣らぬ老齢の男女、
相も変わらず身体の不調で盛り上がっている、
一人は鉄砲打ちをやってるKさん、
私よりは若い、
70台中ごろだろう、
その彼から前に熊の脂だと言って
リポビタンの瓶に一つ分もらった、
薄めて飲めば滋養強壮、
軽度の切り傷、擦り傷なら塗れば効果てきめん、
乾燥肌や湿疹にも効くと言って渡してくれた、
それは1年ほど前
冷蔵庫に入れたまま
すっかり忘れていた、
それを数日前に
昼飯代わりに餅を焼いていて人差し指が網に触れて
火傷してしまった、
大した傷ではなかったがそれでもじんじん痛い、
何か手当しなければと考えて
思いついたのが熊の脂、
塗った、
火傷した部分は白くなっていた、
傷も軽いしそれほど気にもしていなかったが
いつの間にか痛みを感じなくなっていた、
そして翌日には白く変色した部分も
元の赤みを帯びた肌色に戻っていた、
通常火傷で肌が白く変色すれば
その部分は剝けて新しく生まれ変わるが
そうではなく元に戻った、
確かに効果はあるのだと知った、
そこで思いついたのが
毎年冬になると左の足に出る湿疹、
普段は何でもないが
風呂に入ると
赤いブツブツが出来て痒みが走る、
これに塗ってみた、
風呂上りに3日ほど塗ったら
肌が固くなって痒みも感じなくなってきた、
まだ完全に治ったとは言い切れないが
再発のないことを願っている。

箱根駅伝

2025-01-03 22:08:59 | 友人、知人及び同級生

実兄の喪中につき
新年のご挨拶は控えています、
ご了解ください、
アクセス頂いた
皆様には健康に恵まれた
よき年であるよう
心から願っています。

元旦から3日の今日まで
朝の8時ころからずっと
テレビの前に釘付けであった、
正月恒例の
元旦の上州路を走る実業団駅伝、
2日、3日の箱根駅伝、
特別な思い入れが有るわけでもないのに
何故だか見てしまう、
ついつい気になって見てしまう、
まぁ 本音を明かせば
体を動かすより
じっとしてテレビを見ている方が
楽なので
怠け心に支配されてしまうに過ぎないが
3日間の駅伝のテレビ中継中は
ずっと炬燵の中で過ごす羽目になった、
毎年感じることだが
一年の始まる3日間
もっと有意義な過ごし方はないものか、
過ぎてしまえば
虚しさだけが残る、
そんな中でもわずかに救い、
記憶に残る出来事もあった、
箱根駅伝の始まる前の日の元旦、
同級生のLineグループに
同郷の知人の孫が走るという
情報が投稿された、
同郷とは言え
孫世代はどこに住んでいるのか
誰も面識は全くない、
それでもそこは箱根駅伝だ、
わずかな繋がりで応援に熱が入り
ラインはこれまでになく大盛り上がり、
お陰でいつもとは違う
少しばかりの充実感が残った。


「天国とよばれた療養所」

2024-11-20 19:01:22 | 友人、知人及び同級生
                 白菊一輪

9月中ごろ
高校時代の友人から
一通のはがきが届いた、
“妻が本を出版したから
是非とも読んでほしい”
という内容であった、
早速発売日三日後の10月末
近くの本屋に行った、
取り寄せになるということで注文した、
一週間ほどして手元に届いた、

題名「天国とよばれた療養所」
作者:ゆきや星
(株)郁有社 

時代は大正期末期に始まる、
偏見の最たるものがこの病気であった、
この患者が親類縁者から出ようものなら
秘密裏に療養所に送り込まれ
縁さえ切られる者が多かったと聞く、
今で言うハンセン氏病、
当時は癩(らい)病と言われて
差別と偏見に満ち満ちて
国家政策で隔離された、
そんな患者の苦悩を描いた内容だった、
巻末に記載された数多くの参考文献は
作者の努力を物語る、
内容からしてストリーは
明るく成りようがないのは
仕方がない、
それにしても
読み進むのに苦労した、
時代は大きく変わって昭和30年代
最終章で主人公の男性患者が
病を克服して結婚し子供も出来る、
あるきっかけで金魚を飼うことになり
それの餌にコオロギを粉末状にして
与えたところ金魚の発育状況に
非常に効果があることが分かった、
主人公がそれをペットショップに持ち込んで
相談したところ好評化され
量産化に成功し取引が始まる、
ここまで来てやっと主人公は
人並みの生活を手に入れる、
それは読者の気持ちにも
明るい光をもたらす、
この病気に感心のある人が読めば
どんなに暗い場面でも
苦にはならないのであろう、
私には最後でやっと
救われた気になった、
それは
どんなに暗い生活の中にあろうとも
何かを作り出すという行為の中には
一縷の望みがあるということだ、
失敗するか
それが成功に繋がるかは
本人の才覚と努力次第。

友を訪ねて(2)

2024-10-27 05:45:09 | 友人、知人及び同級生
               トキワシノブの鉢植えにムラサキルキア(切り花)を差した

多摩湖畔には西武ドームあり西武遊園地もある、
そんな客を狙ってのホテルであろう11階建ての
大きなホテルだ、
その最上階がレストランになっていた、
5時の開店と同時に入店した、
展望の良さに目を見張る、
眼下に多摩湖と多摩丘陵、
それを超えて北西方向に開けているのは
東京都西部の立川、八王子、青梅方面の
丘陵地帯と街並みであろう、
富士山も見えるはずと目を凝らしたが
秋の霞にかき消されて見えなかった、
店員さんに聞くと
“空気が澄んでいればこの方向に綺麗に見えます”
教えてくれた、
このレストラン奥方のお気に入りらしく
ランチ会でよく来ているという、
だが亭主殿とは初めてとのことで
彼はしきりに方向を指さして奥方に聞いていた、
それもお互いが健康であればこそであって
幸せな夫婦のあり方であろう、
日が落ち始めたころから
富士の方向を見ると
空は茜色に染まってぼんやり富士の影、
日が落ちるにつれて影がはっきりしてきた、
手持ちの小型カメラとスマホで撮影した、
明るいうちは見えなかった富士が
時系列的に影を濃くして見えてくる、
滅多に味わうこともない料理の味も
忘れるほどの感動を覚えた、
記憶に残る幸せなひと時を過ごして
ホテルを後にした。

OSをwindows11にして以来
本文も写真の投稿も四苦八苦しています、
お見苦しい点は何卒ご容赦ください。