我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

悲報

2024-02-27 04:04:44 | 友人、知人及び同級生

            日光白根山から男体山と中禅寺湖

また一人

身近な友人が亡くなった、

山登りの友人で

❝うたごえ❞も楽しむ仲だった、

彼女は自分からは登山歴など

語ることなど無かったが

それを知ると驚くばかり、

彼女の名前は山高さん、

歴史に名を刻む業績こそないが

その内容は素人離れしている、

例えば

危険な山の代名詞にも例えられ

男でさえ登ることを躊躇う

剣山(つるぎさん)には3回登ったとか、

南アルプスをテントを背負って

二泊で縦走したとか、

極めてアクセスの困難な

東北の名峰

朝日連峰の縦走や

飯豊連峰の縦走とくれば

もはや名のある登山家の業績には聞くが

普通の主婦の実績としては

聞いたことがない、

但し

これらは単独登山ではない、

血を分けた肉親以上に親しく行動を共にした

Oさんの存在を抜きには語れないことも

付け加えておく、

ある時彼女は私に

❝山登りはやりきった❞

と言う思いはあると言った、

さもあらん である、

何かの話の中で関東一円はもとより

上信越あたりの山の名が出ると

決まって

❝登ったことがる❞

という答えが返ってきた、

そんな彼女❝たち❞と私は

仕事を辞めてからの付き合いだから

10年にも満たないが

時には危険を共有する遊びでもあり

弁当を分け合う仲だったりで

他にはない親しみを感じていた、

ここ数年はお互いに先がないので

悔いを残さないようにと

月に2,3回程は一緒に出掛けていた、

それも一昨年まで、

昨年の2月にすい臓がんが見つかり

療養していた、

療養中も落ち込んだ素振りは見せないで

うたごえ教室にも顔を出した、

それが突然の訃報である、

何よりも彼女が一番の趣味である山登りに

❝やり切った❞

と言えるほどの満足感を抱いて

あの世へ行った事が

私にはせめてもの救いである。

            冬の浅間山

           金峰山頂上の五丈岩と八ヶ岳方面


実家と言う名の古里

2024-02-23 05:33:13 | 家族及び親戚

         姫島(故郷の海岸から50キロほど離れた小島)

私が生まれた実家は妹夫婦が住んでいる、

家系は長男である兄が継いだが

実家を離れて自分の家を持った、

その兄も亡くなって

また一つ里帰りの目的が失われた、

❝古里は遠きにありて思うもの❞

となりつつある、

さびしい限り、

だが実家には妹夫婦の住んでいるので

帰省する宿には困らない、

古里を離れた友人や知人の多くは

代替わりした実家には宿泊しがたく

帰省してもホテルに泊まると聞く、

自分の実家に気兼ねなく宿泊できるのも

親や兄弟が元気なうちであろう、

兄嫁とか甥、姪の代になれば

そうはいかない、

この度の兄の葬儀でも妹の世話になった、

最早血を分けた肉親は妹だけになった、

だんだん古里が遠ざかる、

だんだん古里は

心の中だけのものとなる、

それが究極の古里なのかもしれない。


芽吹きの季節

2024-02-21 14:47:29 | 花 及び植物

平年ならばこの季節まだまだ風は冷たくて

散歩に出るにも手袋が必要であったであろう、

ところが今季異常気象なのであろう

ここ数日4,5月の陽気だと言う、

そのせいか我が家の庭の草花たちも

芽を出し始めた、

(ラッパ水仙の新芽)

スイセンは庭のあちこちで群れて芽を出している、

その一部を鉢植えにした、

群れ咲く美しさ、

それはそれでいい、

だが一輪だけの美しさには及ばない、

数年前から芽吹きの頃に一株一鉢の

鉢植えにして咲くのを待つ楽しさをも

味わっている、

 

(左から オオアマナ、テッポウユリ、ムスカリ)

私はオオアマナの花が

特別好きだ、

6篇の花弁は純白で清楚、

❝ベツレヘムの星❞の別名を持つらしい、

どんな経路でわが家に来たのか謎で

どこまでもミステリアス、

2,3年前まで我が家の庭には

6種類ほどの百合が咲いていた、

オニユリ、テッポウユリ、カサブランカ、

ヤマユリ、  ?      ?

全部が同じ時期に咲くわけではないが

3種のユリが同時に咲いた時は写真に撮った、

あでやかなユリの花の競演

それはそれは見事であった、

ムスカリはひたちなか海浜公園の丘を紫に染める

季節の花として知られている、

(サクラソウ)

サクラソウは永い間わが家の庭先では

真っ先に春の訪れを知らせてくれる花だった、

最近では株も少なく保護を必要とする

花になった。


伊美神社(いみ、、、、)

2024-02-17 07:03:06 | 写真 及び絵画

純白の神職の衣装に身を包んで

恭しく祭壇に祝詞を奏上する風景、

都会ではあまり見られない

懐かしい風景である、

どんど焼きの火をつける前の

五穀豊穣、家内安全のお祈りであろうか?

この写真は

国東半島伊美町の伊美神社前の空き地で

行われていた祭事を撮ったもの、

捨てがたくアップした、

神主の後ろには住民十数名が

慎ましく首(こうべ)を垂れていた、

この日国東を訪れた目的のひとつに

半島の沖合に浮かぶ姫島に渡ってみたい

と言う希望もあった、

というのも

この島には子供たちが白装束に身を固め

狐のお面をかぶって踊るお祭りがあると聞いて

それが永い間私の憧れになっていた、

この町の港からフェリーが就航しているが

渡るには時間が足りない、

せめて港を確かめるだけでもと来た、

フェリーの着岸を見た帰りの道すがら

写真の風景に出くわしてシャッターを押した、

序(ついで)にこの神社には珍しいものが

祭られているの言うので案内役の義弟に従った、

それは本殿から少し離れた木立に囲まれた

一角に粗末な社が建っていた、

社(やしろ)の前には高さ1メートルほどの

御影石の鳥居が3基、

下はコンクリートで固められ参道になっている、

だがこの鳥居はどう見ても

腹ばいでなければ潜(くぐ)れない、

潜った先の薄暗い社の中には世にも珍しいご本尊、

日本三大珍宝だと称する石で作られた珍宝のご本尊が

そそり立っていた、

安産や子育てなどを祈願するご本尊であろうが

それを確かめもしないで

2礼2拍1礼してからカメラに収めた、

またこの神社前の参道には石造の太鼓橋が有って

昔の石工の技を保存していた。

             フェリー・ひめしま丸 

 

          三基の鳥居とご本尊

                石造の太鼓橋


国東半島(くにさき、、、、)

2024-02-15 05:26:06 | 旅行及びドライブ

                                                満潮時の真玉海岸

               夷(えびす)温泉

国東はわが故郷中津から

南に20キロほどの距離にある、

海の近くに山が有り

山の近くに海がある、

変化に富んだ地形が好きである、

人に知られたものなど何もない、

そこは車の往来が少ないので

信号機がない、

私は帰省の度に暇さえあれば

車で国東を訪れる、

道路が海辺を走ったり

山間(やまあい)を走ったり、

こんな道路を目的もなく走るのも

また乙なものだ、

だが今回は目的が有った、

真玉海岸を見てみたかった、

ただいま豊後高田市が

売り出し中の風景だ、

潮の引いた遠浅の干潟に夕日が差すと

潮溜まりのあちこちが鏡面反射する、

それは今や写真家の間では

全国区並みの知名度を

得るまでに知られるようになった、

だが残念ながら曇ってダメだった、

潮の時間帯も合わなかった、

だが救いは有った、

夷(えびす)温泉を探して

山間に伸びる道を心行くまで

走り回った、

鄙(ひな)びた日帰り温泉は

谷間の風景に溶け込んで

心を和ませてくれた。