我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

花遊び(2)

2023-10-31 16:48:26 | 花 及び植物

 

畑仕事を終えて帰り道

チョット離れて農作業している友人が目についた、

そこで寄り道をする、

畑のあちこちで咲いていた

百日草と菊の花を切ってくれた、

百日草はカラフルで美しい、

菊はまだ蕾が多い、

だが水を入れた花瓶に挿しておくと

徐々に花開く、

持ち帰って生け花にすることに決めた、

花瓶は朝鮮の酒「マッコリ」の容器

 

題名:百日草と菊(ツボミは徐々に開花する)

流派:月草流(?)

作者:べんけい


山登り

2023-10-30 16:37:04 | ゴルフ及び山歩き、他スポーツ

御荷鉾(みかぼ)山に登った、

久しぶりの山登り、

程よい冷たさの山の空気が気分を引き締めてくれる、

普段は体のあちこちに痛みを感じているのに

何故か痛みを感じない、

暑くもない寒くもない気候のせいかもしれない、

空は快晴で空気が澄んでいる、

早く山の頂上からの景色を眺めてみたいと

気持ちがはやる、

御荷鉾山には標高1,000メートル付近の尾根に

15キロほどに亘ってスーパー林道が走っている、

林道の駐車場から登れば割と楽に登れる、

そこでこの日は出発を7時半と

山登りにしては遅めに決めて

連れの山友Oさんと二人で出かけた、

30分ほど走って鬼石町からスーパー林道に上がる、

日曜日にも拘らず対向車は全く無い、

それでも曲がりくねった山道だ、

いつ対向車が飛び出してくるか分からないので

慎重な運転を強いられる、

御荷鉾山は西と東の二つの山の通称だ、

先ず東御荷鉾山の登り口に車を停めた、

8時20分登山開始、

最初は直登(ちょくと)の急こう配、

10分ほど歩いて息が上がる、

暫くは味気ないヒノキの林が続く、

身体が山に慣れるにつれて爽快な気分が湧いてくる、

80才にして

山を歩くことにできる幸せをかみ締める、

1時間ほどで頂上に到着、

標高:1,246メートルの標識がある、

視界は樹木に遮られてよくない、

青く澄み切った空と一本の紅葉したカエデが

秋を演出して迎えてくれた、

不動明王の石碑が建っている、

登ってきた道とは反対側の少しは慣れて尾根に

石の鳥居も立っている、

地元集落の信仰の対象にもなっているのであろう、

30分ほどの休憩をして頂上を後にした、

下りは早い、

だが山道を覆い尽くした枯れ葉が滑って危険だ、

40分ほどで車に到着、

西御荷鉾山の登山口に移動、

こちらには広い駐車場が有って

山を背にした巨大な剣(つるぎ)が建っている、

休憩用に建てられた四阿(あずまや)を取り囲む

ドウダンツツジの垣根が真っ赤に紅葉して美しい、

こちらの登山道は余りくねくねと

曲がってはいないのできつい、

だが40分ほどで頂上に着いた、

こちらの標高は:1,286メートル、

頂上は広場みたいで

視界も開けて気分がいい、

太陽が高くなり暖かくなってきたので

景色がやや霞んできた、

そんな中で

北に目をやれば赤城の連山、

西には遠く草津山々、

その真ん中に谷川岳を背にして伊香保の連山、

名だたる上州の名峰を一望できる、

弁当を広げた、

いつもと変わらず

俺はコンビニのおにぎり2ツと菓子パン3ッ、

あとはOさん手作りの煮物をご馳走になる、

こうして至福のひと時は瞬く間に過ぎていく、

帰りに途中の日帰り温泉で汗を流した。


遊びの師匠

2023-10-20 06:02:47 | 俳句、短歌、及び文芸

                                              六日町(新潟)の棚田

 

Kさんは都内に住む小中学校の同級生、

最も親しく付き合っている一人だ、

10年程前に地域の川柳の会に入会したと

メールをよこした、

在職時は会社一筋の人間で趣味とは無縁で

勤め上げた、

経済的な安定を得て会社を離れた時

これからの生活に趣味は欠かせないことに

思い至って

私に❝遊びの師匠❞になってくれと連絡してきた、

彼の意図する遊びとは

仕事を離れた自分の時間をどう過ごすのか

という程度の意味合いであろう、

そして彼が❝遊び❞に選んだのが川柳であった、

(どうして川柳だったのか聞いてないので

 今もって不明、私には間違いは許されない

 企業の経理担当重役を務めた彼には

 むしろ俳句の方が相応しいと思ったが)

私のほうは中学生の頃から兄の影響で短歌をやっていた、

大会に応募したり雑誌を読んだりなどはしないで

思いついた時に何かに書きつけるだけの歌作りだ、

そして30数年前から「歌会始め」の召人(めしゅうど)役を

務めたこともある三枝昂之(さいぐさたかゆき)氏の

指導を10数年ほど受けた、

その事を知ってか知らずにか私に

川柳を教えてとの申し出、

私は川柳に関しては全くの初心者、

だが短歌も川柳も同じ短詩系文芸、

教えることなど出来ないけれど

付き合うことなら出来るので快く同意した、

当初 彼は文芸には縁遠いことを知っていたので

無理からぬこととは思っていたが

音痴に近いものを感じていた(失礼)、

半面 化ければ大化けすることも感じていた、

生真面目な人間ほど自分が持ち合わせていない

人間の❝ゆるみ❞と言うかルーズと言うか

緊張感から解き放されたいと言う願望を抱く、

当初は事務連絡的な作品とか

言葉を連ねただけの作品が多かった、

兎に角川柳の発祥過程を説き

❝ひねり❞の必要性を繰り返し説いた、

ある時は

寅さんの気分になって

物事を考えてみるようにと提案した、

何年か後に彼はNHK学園の通信講座も

合わせて受講し始めた、

積極的に様々な大会の作品募集にも応募し始めた、

そんなある時

都内近郊に在住する同級生が花見で集まった時

彼から紙と鉛筆が配られて

川柳を作るような遊びの提案もあった、

今では大会での入選作品を屡送ってくる、

それらはこちらの思いを遥かに超えた作品ばかりで

私には驚きでしかない。


美声(?)

2023-10-18 06:22:32 | うたごえ、カラオケ、他音楽

       アマクリナム(アマリリスの交配種)

 

11時頃

電話予約してかかりつけのお医者さんに行った、

右わき腹のやや後ろ部分に変な鈍痛が続いている、

一時は座卓から立ち上がるのに手を突くと

ピリピリと痛みが走ったが

今はそのピリピリの痛みはないが鈍痛が続いている、

当初は下半身のストレッチで軽い肉離れでも

起きたのかと様子を見る事にしたが

かれこれ一週間続くと心配になり

しかも今朝は何となく頭がぼーっとしてきて

胃もムカつく症状があったので

診察を受けてみることにした、

診察の前に待合室で看護婦さんに

症状を事細かに聴取された、

先生の診察になって

脇腹付近と言う事もあり帯状疱疹の

確認をされたがそれではなさそう、

胃のムカつきと頭の異変は今朝飲んだ

暫く服用をやめていた精神薬のせいだと

診断した、

脇腹の痛みが一時より軽くなっている

ことでもありこのまま様子を見ようと

いう結論となった、

 

❝ああ~ これで安心してカラオケに行ける❞

と口走ると

 

先生(女医さん)

❝どんな歌を歌うの❞

 

❝今 嵌っているのは「天城越え」❞

 

先生

❝へぇ~ あなたは声がいいし聞いてみたいね~❞

 

看護師さん

❝ほんとに 声が魅力的ですよね❞

 

?????

 

声がいいとは言われたことが有るが

魅力的なんて言われたのは初めて、

なんだか嬉しくなってしまった、

子供の頃 祖母に

❝クニオ(兄)は声がいいのにお前は

 ガラガラ声で声が悪いの~❞

と言われた記憶が鮮明によみがえる。


姨捨山(?)カラオケ教室

2023-10-17 04:50:00 | 老いの暮し

     リコリス(園芸用に品種改良された彼岸花)

 

カラオケ教室に参加した、

参加者は6名だけで

少々さびしい、

元々は20数名の大教室であった、

指導者もいて町内でも有数の存在感を誇っていた、

それが次々に姿を消して

現在は8名だけになってしまった、

内訳は女:6人、男:2人、

年齢構成は女性が88歳を筆頭に

83才が3人、

80歳1人と79才1人、

男性は85才のNさんと

80歳の私だけ、

Nさんは体調不良で休みがち、

だから実質参加する男は私だけ、

その私は教室運営に欠かせない

音響機材の操作係、

おババたちには大変有難がられている、

だから休むに休めない、

時々何かしらの貢物(?)が届く、

わが人生でこれほど女にもてた時期はない、

この集まり一応はカラオケ教室ではあるが

おしゃべり教室の役割も兼ねている、

それを咎めるものは私しかいない、

だが彼女らにとってはおしゃべりも

重要な集う目的のひとつであることは心得ている、

88才のお局様は18年間婦人会長を

務めただけあって雄弁で意気軒高、

しゃべり始めたらなかなか止まらない、

それでも人の悪口は言わない、

人への感謝の言葉は忘れないので

憎めない、

この日の最後に

私への「母の鞄」のリクエストが有った、

彼女らの心憎い配慮なのである

そんなことも含めてわがカラオケ教室は

健康維持の一助とばかりに

変わることなく続いている。