さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

江戸六地蔵

2010年01月21日 | 今様江戸名所図会
布袋神のご朱印を頂いた太宗寺は、信州高遠藩内藤家の菩提寺で、
都の指定有形文化財になっている大きな銅造地蔵菩薩坐像が迎えてくれる。

お寺で頂いたしおりによると、このお地蔵さまは江戸深川の地蔵坊正元が発願した
「江戸六地蔵」の三番目として、正徳2年(1712年)に造立したものだそうだ。
鋳造は神田鍋町の鋳物師太田駿河守藤原正儀。
像内には小型の銅造地蔵6体と寄進者名簿が入っているらしい。

江戸六地蔵の寄進者の合計は72,000名以上にもおよぶとのこと。

東海道 品川寺(品川区)
奥州街道 東禅寺(台東区)
甲州街道 太宗寺(新宿区)
中山道 真性寺(豊島区)
日光街道 霊巌寺(江東区)
千葉街道 永代寺(江東区 廃仏毀釈により現存せず)

はじめ甲州街道の最初の宿場は高井戸であったらしいが、
日本橋からは遠いのでこの太宗寺の南東に宿場を開設する願いを
浅草阿倍川町に住む名主らが5,600両も納め申し出たそうだ。
(理由はわからないみたい)
そして元禄12年に出来たのが「内藤新宿」で、今の四谷4丁目あたりから
伊勢丹のあたりまでの宿場町であったそうだ。

よく時代劇にも出てくるが、旅籠屋に飯盛女と呼ばれる遊女たちがいて
彼女たちが宿場の繁栄を支えていたので、幕府公認の吉原から訴訟が起きるほど繁盛していたとある。

しかし、享保2年開設わずか20年にしてあの暴れん坊将軍が
「享保の改革」に伴う風俗統制で宿場は廃止されたそうだ(笑)
だがまた度重なる願により明和9年に再興された。

今年は「江戸六地蔵」を少しづつ廻ってみたいと思った。