父にとって最後の年末だと思う。
12月25日に父が幼少期に過ごした場所に小旅行しました。
しかし、父の記憶が曖昧(痴ほうが進んだ)で父は楽しむことが出来なったと思う。
私達の自己満足に終わってしまった・・・
それよりも「車椅子」となるとこうも移動や食事の場所が限られるのにはビックリしました。
私は「福祉」に詳しい(建築設計の仕事をしている)のですが、いざとなると・・・・・
この経験は今後生かさないと駄目ですね。
現在の状況
食欲不振と便秘が続いている。
食欲不振が体力低下を招き「歩行困難」になりました。早い段階で車いすを借りたのは正解!
食欲不振の原因は腫瘍の腫れが消化器を圧迫していると考えています。
そして便秘
私には「腫瘍の痛み」も原因だと思っています。
これは水分不足と運動不足とかネットで色々書かかれていますが、
大便で力むと腫瘍が圧迫され神経に当たる?そうなると無意識に「力を抜く」のは妥当な考え
そして、体力低下と合い重なり余計に便秘になる。
これが私の考えです。
1月は「すい臓癌(背中痛・腹痛)」の症状が出てから半年になります。
診断を下されたのは11月ですが、医学の情報を父に当てはめると
末期の症状が出てから「半年」と考えるのが妥当だと思っています。
認知症もかなり進行していますが、癌の進行の方が早いようです。
備忘録ではないですが、認知症を早期発見する方法として私が気づいたこと(夫?妻?に気を付けて欲しいこととも言う)
今回はこれがメインだったりして(笑)
- 新しいことにチャレンジしなくなった(出来なくなった)
- 人に頼ることが多くなった
- 外出が億劫になった
これが私が見つけたサインです。
本人に「羞恥心」が残っている状況とも言うのかな?
今思えば、恥ずかしいことを悟られまいと努力していたように見える
しかし、周りはどう見るか!?
なぜ、出来なくなったの!?
なぜ、解ってくれないの!?
という風に責め立てて(私たちの場合)しまう。
そんなこと受け入れられるほど、大きな器の人が居るのだろうかと私は思う。
そして、これらは身近に居るほど気づき難いと感じます。
思い起こせば「あれもこれも」とあるのですが、まぁ~気づきませんわ
本人も至って健康(体力がある)だったのでね。
羞恥心が大切だと思うのは、父の発した言葉にもあります。
施設入所から2週間過ぎた時に
「僕、どうなってしまったんだろう!」
と父が嘆いたんです。
これが、父の本音だと思う。
この頃を境に、いろいろな人と触れ合うようになりました。
解らないことが恥ずかしいということを忘れた(薄らいだ)時期だと思います。
つまり、父は私たちに信号を発していたのですが、私は気づけなかった
仮に気づいても現在の医学では食い止めることは出来ません。
私自身が気を付けるべき点
「かなりシビアな内容になりますが、こうした方が良いと思うだけであって、
そうではない人がダメという意味ではありません。」
祖母と父が認知症になったので私も罹患する可能性がある!
然るに「先ほどの反対の事をする」に限る?
即ち、
- 新しいことにチャレンジする
- 人に頼らない生活・仕事に努める
- 外出(人との交流を増やす)
この3点です。
このうち3番はこの時期には不向きかもしれません
私は1番と2番を継続しないと周りが気付き難いと思います。
自分では気づかないと思ってます。おそらく、羞恥心が勝ってしまい自分からは言わない!
本来はここに「料理」が入るのですが、利き手の腱鞘炎の為、早い段階で出来なくなりますので除外です。
こんな感じで、私も将来なるであろう状況を身近に感じることが出来ています。
これが幸せかどうかは死ぬときにならんと解らん
自分の行いが間違いだと思えば改めれば良いだけですが、何もしないで後悔するのは好きではない
一生懸命しても後悔するのだけどね(笑)
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