ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

プロモーションだったのに…8

2020-04-26 14:02:00 | メディア
本来なら昨日からスタートした筈の、初の甲斐バンドでのビルボードツアーに合わせた
甲斐さんのメディア露出について、あーだこーだ言うシリーズ(笑)
その第3弾は、4月12日付の朝日新聞朝刊の「かあさんのせなか」です

以前に触れました同紙の「おやじのせなか」と同様
不定期に…というか、主に「母の日」辺りに掲載されるコラムなんだけど
ハッキリとした掲載日が知らされてなかったのか?
甲斐さんの事務所がテレワークになっていたためか?
前もってお知らせメールが届くことはなく、朝刊を広げてビックリした奥さん(笑)

まあ、ボクは、先日の「週刊現代」の見出し広告の中に
「甲斐バンド」の5文字を見つけた奥さんが
「これを買いに行くのは『必要至急』の外出だよね」と言い訳して(笑)
コンビニに走った時の方がビックリしたんだけど…(笑)

ともあれ…例によって(笑)マイスタジオのコンソール前に座られた
「歌手 甲斐よしひろさん」のお写真を拝見して
奥さんは、数年前に福岡のライブ会場でお見かけしたという
「たけし兄ちゃんにそっくり!」とクスクス(笑)…って、一番年が近いお兄様ですしねぇ?

内容は、甲斐さんファンの皆さんにはお馴染みのエピソードが並んでいるんですが
「本当に縁が薄かったなあ」とおっしゃっていたお父様とのエピソードに比べ
「福岡の男は、イタリア人と同じで、みんな短気でスケベでマザコン(笑)」とのお言葉通り(笑)
お母様への思い溢れる語り口がそのまま記事になっている気が…?

「仕事がすべての人でした。芯がしっかりしていておおらかで、誠実で。怒ると超怖いんですけど」
…という書き出しからもう、甲斐さんの著書「九州少年」に記された
お母様とのエピソードの数々が頭に浮かびまして、再読となった次第…(笑)

「最初」という「章」は…「母が亡くなって5年が過ぎた。働き者で誠実な人だった」に始まり
「(甲斐さんが)小学校にあがる昭和30年代といえば
左利きに対する偏見も強く厳しかった」にも関わらず
「『ウチは直しませんから』家庭訪問に来た教師に強い口調でそう言っていたのを聞いたことがある」

…と、今の甲斐さんの独特なギターの弾き方はもちろん
「左利きが使う右脳は情操感が鋭く、言葉やビジュアルに敏感だと言われている
美意識最優先なのだ。独特で変わっている」
「一般のステレオタイプの考え方はハマらない
だから僕に形の上での師はいない。他人に学ぶのは心のあり方だけだ」という姿勢にも
大きな影響をもたらされたことが窺えるし

「怒ると超怖い」というのは、甲斐少年にお小遣いをくれたことがあるお客さんの前で
お母様に「小遣いちょうだい」とおっしゃった時に
「『じゃあオジサンが小遣いをやろう』という
セリフが返ってくるという計算をしていた」のを見透かされ

「薄暗い通路に連れていかれ、いきなり胸ぐらをつかまれ壁に押し付けられた」
「強く壁に押し付けられた体は浮いている状態で
母は怒りながら唇は震え、右手には剃刀を持っていた
『今度こんなことしたら、絶対、容赦しないからね』
そう言って僕を放すと今度は思いっきり一発ひっぱたかれた」という
「バカ息子、5歳の時の話(笑)」のことかと思われます

「ぼくは4人兄弟の末っ子ですが、うちはみんな親孝行。ものすごい母親思いです
誰もがおふくろに認められたくて、自分の道を探しながら大人になっていった。そんな気がします」
…との言葉は「中学に上がる前の春休み」に「深く自分を掘り下げ見つめ直し、死ぬ気で考えた」
「一番深く考えたのは親孝行についてのことだった」とか

「家業を継いで母親を助けるという長男の親孝行のあり方。次男の全方位的な優しさ
いつでも母親の側にいてどんな時でもすぐに駆けつけられる距離で生きていたいと
その頃から公然と口にしていた三男の愛情の示し方
…その後、彼は本当に母親の住む家から半径1キロ以内に住み続けることになる」

「どんな事でもいいから自分の好きな道を見つけ、早く一人前になり自立することだと思った
親に迷惑をかけないで自分の手で食えるようになることだと決意した
この時に死ぬ気で考えた生き方の形は、今の僕の人生の原形になっている」
…と記されていることからも伝わって来ますし

「喧嘩」の章の…「血の気の多い男兄弟」の「ケンカが終わってみると
家の中の障子と襖がほとんど原形をとどめていない」「それも三間にわたってだ
残ったのは静寂の中の荒涼たる風景だけという見事さだ
それをおふくろが帰ってくる前までに何時間かかろうが修復するわけだ

取り繕うなんてレベルのものではない
この時のためにと前もって買っておいた障子紙やその他の種類の厚紙を使い
ノリは火をつけナベに湯を沸かし一から作るのだ」(笑)
「だったらヤラなきゃいいのにと思うだろうが、そうはいかない
兄弟の中の面子もあるし意地もある」

「だからケンカも猛烈にしていたが、何か事が起こるとすぐに家中みんながひとつになった
兄弟みんながわかっていた。キーワードはシンプルだった
おふくろだけには心配をかけない。これだけだった」…との文章からも
「母親思い」なご兄弟のお姿が窺えます

ただ「ピンと張った障子紙をシワがよらないように
緻密に器用に兄貴たちが貼っていく。うまいんだまたこれが巧妙で。
襖は破れたところに似たような模様の厚紙を上からうまく貼って」修復なさったとはいっても
「前の様子とは明らかに違う風情」の「新たな模様の新品同様の襖」に
お母様はお気づきにならなかったんでしょうか?(笑)
コメント
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