甲斐バンド ライブスケジュールの取材メモの最後にあった
1982年7月5日の堺市民会館での爆破予告事件について
このブログネタの初回にご紹介した82年9月号に「証言」が掲載されてます
「会場を爆破するという若い男の電話があり
それを受けた会館の人が動転して
すぐに警察に通報してしまった」そうで
舞台監督の諫山喜由さんは
「スタッフが受けてたら、あんなにならなかったろうね
冗談やめろよ、くらいで応対できたんだろうけど
話が大きくなってしまった」とおっしゃってますが
その時は、ちょうどセッションの皆さんが楽屋にいらしたらしく
「堺は楽屋から会場まで遠いから、早く行かないと…と外に出したら
お巡りさんさんとイベンターが揉めてる
私服だったんで、変なオジサンが揉めてるなあって感じでしたね」
「爆弾」とお聞きになっても
「ともかくステージは進めるつもりだったから
セッションを舞台に上げたんです
上がりたくなさそうでしたね
目線が浮いてました。動揺してましたね」…って、そりゃそうでしょ(汗)
「イベンターに私服が、中止しろと言ったんです
そしたら、イベンターが言葉のあやだろうけど
ちょっと待って下さいって言った
それで警察の人が本気で怒り出したのね
ちょっと待てはないだろ!
ホントに爆発したらどうすんだ!
すごい剣幕でしたね」…たぶん、バリバリの関西弁だったでしょうし…(汗)
トレードマネージャーの樺山成人さんは
「イベンターが最初に警察から連絡を受けたんですけど
その時はもう、警察官がワッと来てた
パトカーが多いねなんて言ってたら、ドッと上がって来た
ヘルメットの機動隊もいましたね」
「二手に分かれて、いきなりゴミ箱を引っくり返すんです
有無を言わさず調べられましたね
お前、爆発したら死ぬぞとか言われて…」
「クロークの中に1個、鍵がかかって開かないトランクがあって
これ、開かないんです!って誰かが叫んだら、サッと警官が来て
ガサガサやってみて、音してないぞ…
でも、考えてみたらカチカチなんていわないんだよね
時限爆弾がカチカチいうのは、テレビや映画だけで
警察も慣れてなかったんだろうね」
…警察の方も刑事モノをご覧になってるんだ?(笑)
佐藤剛さんは「イベンターに説明されて、どうしましょうか?って言われた
もう、周りには不審な物はないみたいだから、会場を探させたいって…
その時そばに前島さんがいて、どっかで灯りを点けた方がいいって言うから
じゃ、すぐやりましょうって舞台に行ったんです」
「ちょうど喋りの所で、諫山と会って
彼が今から甲斐さんに言って貰いますって言うんで
動揺しないように…とか、言い方を確認して上がって行ったんです」
読者投稿によると
「安奈を歌うために椅子に腰かけた甲斐よしひろが
楽し気に朝からプールで泳いだ話をしていた時だった
舞台監督が突然、甲斐よしひろの所へ走り込んで来て何やら耳打ちをした」
「甲斐よしひろが、落ち着いた声で
爆弾を仕掛けたと電話があったと知らせた時、足がすくんだ
シーンとして、ざわめいて、次のざわめきに移ろうとした時
一緒に死のうぜ!という声が一際高く耳に残った」
その時、諫山さんはそのまま甲斐さんのそばに座っておられたらしく
「甲斐さんが、異物があったら手を挙げろって言ったでしょ?
でも、甲斐さんは目が悪いし
おまけにピンスポが当たってるから見えない
いっぱいいたんですよ、ハーイとか手を挙げてる奴が…2階とか…
言い方で冗談とは判りましたけどね」
奧さんに言わせると…こういう時にこんなフザけ方する奴が
実は一番ビビってるんだとか…(笑)
ここだけの話…って、書いて公表してますが(笑)
謎の(笑)音源によれば、甲斐さんは諫山さんの連絡を受けられて
まず「動かないでね、頼むから…かなりキワドイモンヨウがあるようなんで…」とおっしゃって
次に「一番後ろのゾーン、ドアね、2階の一番後ろね」と非常口を確認され
「こんな時は、まず男たちがしっかりして欲しい。抜かしちゃダメです」と
観客には、ある種「?」の言葉を口になさった後
「いいかい、あのね…時限爆弾が仕掛けられたって電話があったらしい」と…
観客のざわめきの中「仕掛けられてたら困るだろう?
イタズラ電話って可能性はある、当然、こういう場合…
コンサートが出来なくなったらイヤだもんね、イヤだろう?」と
笑いを含んだような声のトーンで話されてます
「あった~!」「これか?」など冗談めいた叫びがおさまり
「ない!」「ないよ~!」「大丈夫!」との声が上がって
事態は収束に向かったみたいですが
甲斐さんもイタズラだろうと思いつつも
突然の知らせに驚かれたことは間違いないでしょうし
何より観客がパニックを引き起こすことが一番怖かったんじゃないかと…?
花園ライブに続いて、甲斐さんの咄嗟の対応力が発揮されましたね
ともあれ、投稿に戻って…
「緊張感は興奮を高める…アンコールを叫ぶ声は
HEROの大合唱となって行った
爆弾は爆発せず、ステージは無事終了した
その夜、生命を拾った少年少女たちの顔には笑顔が溢れていた」
ただ、この投稿者の方は「一緒に死のうぜ!」という声を聞かれた時
「私ももう少し若かったら、そう思ったのかも知れない
いや、確かに思っていた」
「そう一番先に叫べなかったのがもどかしかった
死と背中合わせになりながら、怖くなかったと言えば嘘になるだろう
でも、なぜか一歩も離れることが出来なかった」と
その日の相反するご自身の気持ちを記され
「コンサートが終わって真剣に考えました
甲斐さんとホントに死ねただろうか」と自問なさっていたようです
後日、この件について他のファンの方から
「もし、私が行ったコンサートで爆弾事件があったとしたら
甲斐氏と一緒に死ねない感じがする」
「死んでもいいとカッコよく思うところまでは出来るけど
逃げ出しそうな気がする
今になって家族のありがたさが判って来たんだ
私の身体、親の宝物なんだよね」という18歳とは思えない
しっかりしたご意見が投稿されてます
奧さんは、幸か不幸か?或いは残念ながら?(笑)
このライブには参戦してませんが
その場にいたら間違いなく「一緒に死のう」派でしょうね(笑)
10代の頃は、ホントに甲斐さんなしでは
夜も日も明けない日々を送っていたようだし…(笑)
今となっては笑い話だけど
奧さんの母上は、有名人が事故や病気で亡くなったというニュースを見るたび
もし甲斐さんの身に何かあったら、ウチの娘は…と
本気で心配していたらしい(笑)
それはさておき…佐藤剛さんによると
「新聞社が来てたのには驚きましたね
いきなりフラッシュが焚かれて、間違われたか、スキャンダルかって…
新聞には本人の談話風に載りましたけど
甲斐よしひろはノーコメントでした」
その傍らには「爆破予告1600人が捜索」「甲斐バンド機転」
「舞台から、冷静に…」という見出しと甲斐さんのバストショットが載った
「読売新聞」の記事が…スポ紙じゃないんだ?(笑)
結局、ライブに行けなかったファンのイタズラと処理されたみたいですが
「後遺症があるんです」と樺山さん
「京都会館の時、スタッフ全員が警察に調べられて、名前を書かされた
いつもこうなんですか?って訊いたら、甲斐バンドだけです(苦笑)
二度とあんなことしないで欲しい
イベンターも、こんなことが流行ることを怖がってます」と…
まあ、その1回だけで何事もなく済んだから
「伝説」の一つになってるんでしょうけど
今だったら、当時以上にパニックが起こる可能性が高いんじゃないかと…?
やはり、当時は甲斐さんも観客も電話をかけたファンも
若さゆえの無鉄砲さがあったような気がします
1982年7月5日の堺市民会館での爆破予告事件について
このブログネタの初回にご紹介した82年9月号に「証言」が掲載されてます
「会場を爆破するという若い男の電話があり
それを受けた会館の人が動転して
すぐに警察に通報してしまった」そうで
舞台監督の諫山喜由さんは
「スタッフが受けてたら、あんなにならなかったろうね
冗談やめろよ、くらいで応対できたんだろうけど
話が大きくなってしまった」とおっしゃってますが
その時は、ちょうどセッションの皆さんが楽屋にいらしたらしく
「堺は楽屋から会場まで遠いから、早く行かないと…と外に出したら
お巡りさんさんとイベンターが揉めてる
私服だったんで、変なオジサンが揉めてるなあって感じでしたね」
「爆弾」とお聞きになっても
「ともかくステージは進めるつもりだったから
セッションを舞台に上げたんです
上がりたくなさそうでしたね
目線が浮いてました。動揺してましたね」…って、そりゃそうでしょ(汗)
「イベンターに私服が、中止しろと言ったんです
そしたら、イベンターが言葉のあやだろうけど
ちょっと待って下さいって言った
それで警察の人が本気で怒り出したのね
ちょっと待てはないだろ!
ホントに爆発したらどうすんだ!
すごい剣幕でしたね」…たぶん、バリバリの関西弁だったでしょうし…(汗)
トレードマネージャーの樺山成人さんは
「イベンターが最初に警察から連絡を受けたんですけど
その時はもう、警察官がワッと来てた
パトカーが多いねなんて言ってたら、ドッと上がって来た
ヘルメットの機動隊もいましたね」
「二手に分かれて、いきなりゴミ箱を引っくり返すんです
有無を言わさず調べられましたね
お前、爆発したら死ぬぞとか言われて…」
「クロークの中に1個、鍵がかかって開かないトランクがあって
これ、開かないんです!って誰かが叫んだら、サッと警官が来て
ガサガサやってみて、音してないぞ…
でも、考えてみたらカチカチなんていわないんだよね
時限爆弾がカチカチいうのは、テレビや映画だけで
警察も慣れてなかったんだろうね」
…警察の方も刑事モノをご覧になってるんだ?(笑)
佐藤剛さんは「イベンターに説明されて、どうしましょうか?って言われた
もう、周りには不審な物はないみたいだから、会場を探させたいって…
その時そばに前島さんがいて、どっかで灯りを点けた方がいいって言うから
じゃ、すぐやりましょうって舞台に行ったんです」
「ちょうど喋りの所で、諫山と会って
彼が今から甲斐さんに言って貰いますって言うんで
動揺しないように…とか、言い方を確認して上がって行ったんです」
読者投稿によると
「安奈を歌うために椅子に腰かけた甲斐よしひろが
楽し気に朝からプールで泳いだ話をしていた時だった
舞台監督が突然、甲斐よしひろの所へ走り込んで来て何やら耳打ちをした」
「甲斐よしひろが、落ち着いた声で
爆弾を仕掛けたと電話があったと知らせた時、足がすくんだ
シーンとして、ざわめいて、次のざわめきに移ろうとした時
一緒に死のうぜ!という声が一際高く耳に残った」
その時、諫山さんはそのまま甲斐さんのそばに座っておられたらしく
「甲斐さんが、異物があったら手を挙げろって言ったでしょ?
でも、甲斐さんは目が悪いし
おまけにピンスポが当たってるから見えない
いっぱいいたんですよ、ハーイとか手を挙げてる奴が…2階とか…
言い方で冗談とは判りましたけどね」
奧さんに言わせると…こういう時にこんなフザけ方する奴が
実は一番ビビってるんだとか…(笑)
ここだけの話…って、書いて公表してますが(笑)
謎の(笑)音源によれば、甲斐さんは諫山さんの連絡を受けられて
まず「動かないでね、頼むから…かなりキワドイモンヨウがあるようなんで…」とおっしゃって
次に「一番後ろのゾーン、ドアね、2階の一番後ろね」と非常口を確認され
「こんな時は、まず男たちがしっかりして欲しい。抜かしちゃダメです」と
観客には、ある種「?」の言葉を口になさった後
「いいかい、あのね…時限爆弾が仕掛けられたって電話があったらしい」と…
観客のざわめきの中「仕掛けられてたら困るだろう?
イタズラ電話って可能性はある、当然、こういう場合…
コンサートが出来なくなったらイヤだもんね、イヤだろう?」と
笑いを含んだような声のトーンで話されてます
「あった~!」「これか?」など冗談めいた叫びがおさまり
「ない!」「ないよ~!」「大丈夫!」との声が上がって
事態は収束に向かったみたいですが
甲斐さんもイタズラだろうと思いつつも
突然の知らせに驚かれたことは間違いないでしょうし
何より観客がパニックを引き起こすことが一番怖かったんじゃないかと…?
花園ライブに続いて、甲斐さんの咄嗟の対応力が発揮されましたね
ともあれ、投稿に戻って…
「緊張感は興奮を高める…アンコールを叫ぶ声は
HEROの大合唱となって行った
爆弾は爆発せず、ステージは無事終了した
その夜、生命を拾った少年少女たちの顔には笑顔が溢れていた」
ただ、この投稿者の方は「一緒に死のうぜ!」という声を聞かれた時
「私ももう少し若かったら、そう思ったのかも知れない
いや、確かに思っていた」
「そう一番先に叫べなかったのがもどかしかった
死と背中合わせになりながら、怖くなかったと言えば嘘になるだろう
でも、なぜか一歩も離れることが出来なかった」と
その日の相反するご自身の気持ちを記され
「コンサートが終わって真剣に考えました
甲斐さんとホントに死ねただろうか」と自問なさっていたようです
後日、この件について他のファンの方から
「もし、私が行ったコンサートで爆弾事件があったとしたら
甲斐氏と一緒に死ねない感じがする」
「死んでもいいとカッコよく思うところまでは出来るけど
逃げ出しそうな気がする
今になって家族のありがたさが判って来たんだ
私の身体、親の宝物なんだよね」という18歳とは思えない
しっかりしたご意見が投稿されてます
奧さんは、幸か不幸か?或いは残念ながら?(笑)
このライブには参戦してませんが
その場にいたら間違いなく「一緒に死のう」派でしょうね(笑)
10代の頃は、ホントに甲斐さんなしでは
夜も日も明けない日々を送っていたようだし…(笑)
今となっては笑い話だけど
奧さんの母上は、有名人が事故や病気で亡くなったというニュースを見るたび
もし甲斐さんの身に何かあったら、ウチの娘は…と
本気で心配していたらしい(笑)
それはさておき…佐藤剛さんによると
「新聞社が来てたのには驚きましたね
いきなりフラッシュが焚かれて、間違われたか、スキャンダルかって…
新聞には本人の談話風に載りましたけど
甲斐よしひろはノーコメントでした」
その傍らには「爆破予告1600人が捜索」「甲斐バンド機転」
「舞台から、冷静に…」という見出しと甲斐さんのバストショットが載った
「読売新聞」の記事が…スポ紙じゃないんだ?(笑)
結局、ライブに行けなかったファンのイタズラと処理されたみたいですが
「後遺症があるんです」と樺山さん
「京都会館の時、スタッフ全員が警察に調べられて、名前を書かされた
いつもこうなんですか?って訊いたら、甲斐バンドだけです(苦笑)
二度とあんなことしないで欲しい
イベンターも、こんなことが流行ることを怖がってます」と…
まあ、その1回だけで何事もなく済んだから
「伝説」の一つになってるんでしょうけど
今だったら、当時以上にパニックが起こる可能性が高いんじゃないかと…?
やはり、当時は甲斐さんも観客も電話をかけたファンも
若さゆえの無鉄砲さがあったような気がします