以前に甲斐さんが、ボブ・ディランの…
「アウトローで生きるには誠実でなければならない」…という言葉に
激しく同意なさっていましたけど
奥山和由さんが…「樹木希林、内田裕也、萩原健一、モンキーパンチ
こんな面白い人たちが、一斉にあの世に引っ越すと
あの世はきっと面白くなってるよね」…とツイートされていて(笑)
倉本聰さんの「萩原健一さんを悼む」という記事を読み返してみました
「『前略おふくろ様』は、アウトローの役が多かった
ショーケンのイメージを変えたと言われます
アウトローは、自分が一番だと思っているけれど
本当に輝くのは、尊敬できる存在を持った人間なんです
映画の高倉健が光っているのは、親分など頭の上がらない人が出て来るから
『前略…』でも、梅宮辰夫や八千草薫、北林谷栄といった
一目置かれる存在を配したことで
ショーケンに新しい輝きが生まれました」…と記されてますが
アウトローもドラマも、そしてミュージシャンも
一人では成り立たないということでしょうね
更に…「彼が亡くなって、桃井かおりがショーケンを
『可愛くていけない魅力的な生き者』だと追悼するコメントを出しました
役者として天才的だけれど、人としては色々よくない
ただ、ショーケンが表舞台から遠ざかったのは
日本の文化を成立させて来た『旦那』と『職人・芸人』の関係が
なくなったことも影響しているかも知れない
金を出すだけの『タニマチ』ではなく
技や芸を目利き出来るのが『旦那』
かつては、たとえ性格や行動に問題があっても
確かな技や芸を持っていれば認めるし、職人の側も応える…そんな関係がありました
70年代に出て来たショーケン、かおり、松田優作ら
同世代のギラギラした若い役者たちには
明らかに上の世代とは違った『はみ出し者』の輝きがありました
役者としての力がある彼らを受け止める力量を持った
制作側の人間もだんだんいなくなった
芝居が判っている者は一握り、タレントばかりになってしまった
ショーケンの死は、そんな時代を象徴しているように感じます」…と続いていて
甲斐さんが【アウトロー】を書かれた時に…
「『無法者』は、ハッキリ外れてる訳だから違うんだよ
もっと『さまよっている』っていうニュアンスを出したい
『漂流者』にするか『漂泊者』にするかで迷ってる」
…と、おっしゃったことを思い出したと奥さん
結局…「『漂流者』だとドリフターズになっちゃうし…(笑)」ということで(笑)
「漂泊者」に落ち着いたようですけど
ある一線を越えそうで越えない、越えちゃいけないという
そのギリギリのところで葛藤する様が
一線に近づくことさえ出来ない身には
この上なく魅力的なのかも知れません
「数々の、時にひんしゅくもののバラエティ番組をヒットさせた」
…と紹介される(笑)土屋敏男プロデューサーが
「みんなコーナーを狙わなくなり、今のゾーンはかなり狭くなった
取れない球を取れてこそバラエティ
コーナーぎりぎり、そこをやらないとテレビは終わる
このところの番組が横並びなのは
問題を起こさず偉くなりたいと縮こまり
ストライクゾーンを狭くしているからだ」とおっしゃる通り
今のテレビ業界はまず、問題が起きないように、起こさないように
…という戦々恐々とした下地があるところへ
指摘を受けたり、クレームが寄せられたり、ましてや問題が起これば
あっという間に撤退するのは必定でしょうね(苦笑)
ただでさえ、視聴者からの「ご意見」に敏感にならざるを得ない国営放送は
ピエール瀧容疑者の代役に「おっさんロミオ(笑)」こと三宅弘城さんを起用
先日の放送を観る限り、大きな違和感はなく
三宅さんの足袋職人ぶりに好感を抱いたものの
「せっかくの良い役なのに…」と改めて瀧容疑者の行為の愚かしさを痛感しました
甲斐さんご贔屓の「陸王」では
ちっぽけな足袋屋が作るランニングシューズなど眼中にない
大手スポーツ用品メーカーのお偉いさん役だったのに
「いだてん」では、金栗四三氏のマラソン足袋を作る役で
ツッコミどころ満載だったし…(笑)
あっ!でも、その一方で…
NHKは「いだてん」に受動喫煙場面が頻繁に出て来ることに関して
公益社団法人「受動喫煙撲滅機構」から
「今後、受動喫煙シーンは絶対に出さないで」などの申し入れを受けたものの
「いだてん」が主に描く1910~60年代は、今よりも喫煙が一般的だったことや
2010年前後から、喫煙シーンを使わない傾向にあることも鑑み
「本当に必要かどうか慎重に議論を重ねて判断した」みたいです
もちろん、実際の受動喫煙による人体への害や
画面を通して未成年者に影響を与えることは軽視できませんが
史実として存在していた事柄を、今の倫理観で「なかったこと」にするのは
ちょっと行き過ぎかなあと…?
もっとも、ドバイの航空会社が機内で提供している「ボヘミアン・ラプソディー」は
宗教上の理由から「ゲイ的なシーンやゲイ的な言葉を全てカット」したために
「訳も判らず、彼女にフラれて
イジイジ苦悩し続ける映画になっていた」そうで(苦笑)
それならいっそリストから外した方がいいんじゃないかと…?(笑)
それはともかく、新潟青陵大学大学院教授は…
「『世間の空気』という、あってないようなものを読み過ぎて
何もかも無しにするのは、自粛ではなく『萎縮』」であり
また「人は集団の中で孤立することを恐れるため
『自分の考えていることは、みんなもそう思っている』と感じられると
声を大にして言うことが出来る
ある意見が目立てば、同じ主張をする人が増える一方で
少数派は沈黙するようになる
ネット社会では、これが偏った形で加速する
SNSなどでは、自分の好きな意見や記事だけを読む傾向にあり
ネット上での攻撃は、自分が安全な所にいるぶん、過激化しやすい
『優しく、共感力に長ける』と言われる日本人は
数字やデータよりも、人の感情に流されやすく
感情的意見を短時間でいくつも採り入れるのではないか?」…と話されてますけど
自分の嗜好に沿った情報源だけで「自分は正しい」と判断し
その正義を振りかざしているということに自覚がないのが怖いです(汗)
「アウトローで生きるには誠実でなければならない」…という言葉に
激しく同意なさっていましたけど
奥山和由さんが…「樹木希林、内田裕也、萩原健一、モンキーパンチ
こんな面白い人たちが、一斉にあの世に引っ越すと
あの世はきっと面白くなってるよね」…とツイートされていて(笑)
倉本聰さんの「萩原健一さんを悼む」という記事を読み返してみました
「『前略おふくろ様』は、アウトローの役が多かった
ショーケンのイメージを変えたと言われます
アウトローは、自分が一番だと思っているけれど
本当に輝くのは、尊敬できる存在を持った人間なんです
映画の高倉健が光っているのは、親分など頭の上がらない人が出て来るから
『前略…』でも、梅宮辰夫や八千草薫、北林谷栄といった
一目置かれる存在を配したことで
ショーケンに新しい輝きが生まれました」…と記されてますが
アウトローもドラマも、そしてミュージシャンも
一人では成り立たないということでしょうね
更に…「彼が亡くなって、桃井かおりがショーケンを
『可愛くていけない魅力的な生き者』だと追悼するコメントを出しました
役者として天才的だけれど、人としては色々よくない
ただ、ショーケンが表舞台から遠ざかったのは
日本の文化を成立させて来た『旦那』と『職人・芸人』の関係が
なくなったことも影響しているかも知れない
金を出すだけの『タニマチ』ではなく
技や芸を目利き出来るのが『旦那』
かつては、たとえ性格や行動に問題があっても
確かな技や芸を持っていれば認めるし、職人の側も応える…そんな関係がありました
70年代に出て来たショーケン、かおり、松田優作ら
同世代のギラギラした若い役者たちには
明らかに上の世代とは違った『はみ出し者』の輝きがありました
役者としての力がある彼らを受け止める力量を持った
制作側の人間もだんだんいなくなった
芝居が判っている者は一握り、タレントばかりになってしまった
ショーケンの死は、そんな時代を象徴しているように感じます」…と続いていて
甲斐さんが【アウトロー】を書かれた時に…
「『無法者』は、ハッキリ外れてる訳だから違うんだよ
もっと『さまよっている』っていうニュアンスを出したい
『漂流者』にするか『漂泊者』にするかで迷ってる」
…と、おっしゃったことを思い出したと奥さん
結局…「『漂流者』だとドリフターズになっちゃうし…(笑)」ということで(笑)
「漂泊者」に落ち着いたようですけど
ある一線を越えそうで越えない、越えちゃいけないという
そのギリギリのところで葛藤する様が
一線に近づくことさえ出来ない身には
この上なく魅力的なのかも知れません
「数々の、時にひんしゅくもののバラエティ番組をヒットさせた」
…と紹介される(笑)土屋敏男プロデューサーが
「みんなコーナーを狙わなくなり、今のゾーンはかなり狭くなった
取れない球を取れてこそバラエティ
コーナーぎりぎり、そこをやらないとテレビは終わる
このところの番組が横並びなのは
問題を起こさず偉くなりたいと縮こまり
ストライクゾーンを狭くしているからだ」とおっしゃる通り
今のテレビ業界はまず、問題が起きないように、起こさないように
…という戦々恐々とした下地があるところへ
指摘を受けたり、クレームが寄せられたり、ましてや問題が起これば
あっという間に撤退するのは必定でしょうね(苦笑)
ただでさえ、視聴者からの「ご意見」に敏感にならざるを得ない国営放送は
ピエール瀧容疑者の代役に「おっさんロミオ(笑)」こと三宅弘城さんを起用
先日の放送を観る限り、大きな違和感はなく
三宅さんの足袋職人ぶりに好感を抱いたものの
「せっかくの良い役なのに…」と改めて瀧容疑者の行為の愚かしさを痛感しました
甲斐さんご贔屓の「陸王」では
ちっぽけな足袋屋が作るランニングシューズなど眼中にない
大手スポーツ用品メーカーのお偉いさん役だったのに
「いだてん」では、金栗四三氏のマラソン足袋を作る役で
ツッコミどころ満載だったし…(笑)
あっ!でも、その一方で…
NHKは「いだてん」に受動喫煙場面が頻繁に出て来ることに関して
公益社団法人「受動喫煙撲滅機構」から
「今後、受動喫煙シーンは絶対に出さないで」などの申し入れを受けたものの
「いだてん」が主に描く1910~60年代は、今よりも喫煙が一般的だったことや
2010年前後から、喫煙シーンを使わない傾向にあることも鑑み
「本当に必要かどうか慎重に議論を重ねて判断した」みたいです
もちろん、実際の受動喫煙による人体への害や
画面を通して未成年者に影響を与えることは軽視できませんが
史実として存在していた事柄を、今の倫理観で「なかったこと」にするのは
ちょっと行き過ぎかなあと…?
もっとも、ドバイの航空会社が機内で提供している「ボヘミアン・ラプソディー」は
宗教上の理由から「ゲイ的なシーンやゲイ的な言葉を全てカット」したために
「訳も判らず、彼女にフラれて
イジイジ苦悩し続ける映画になっていた」そうで(苦笑)
それならいっそリストから外した方がいいんじゃないかと…?(笑)
それはともかく、新潟青陵大学大学院教授は…
「『世間の空気』という、あってないようなものを読み過ぎて
何もかも無しにするのは、自粛ではなく『萎縮』」であり
また「人は集団の中で孤立することを恐れるため
『自分の考えていることは、みんなもそう思っている』と感じられると
声を大にして言うことが出来る
ある意見が目立てば、同じ主張をする人が増える一方で
少数派は沈黙するようになる
ネット社会では、これが偏った形で加速する
SNSなどでは、自分の好きな意見や記事だけを読む傾向にあり
ネット上での攻撃は、自分が安全な所にいるぶん、過激化しやすい
『優しく、共感力に長ける』と言われる日本人は
数字やデータよりも、人の感情に流されやすく
感情的意見を短時間でいくつも採り入れるのではないか?」…と話されてますけど
自分の嗜好に沿った情報源だけで「自分は正しい」と判断し
その正義を振りかざしているということに自覚がないのが怖いです(汗)