甲斐さんいわく…ある時、ツアー先で
松藤が「小林よしのりさんっていう漫画家がいるんだけど
同級生じゃない?」って言い出して
「いやいや」と言ってたら、筆者の写真を持って来て
それが小林君だったの(笑)
「東大一直線」が始まって1年も経ってなかったと思う
一方、小林さんは「ワシも甲斐がデビューしたのはもちろん知ってたし
【バス通り】を最初に聴いた時に、すぐ福商を思い出してね(笑)」
…と話されると「あなたは僕の彼女も知ってますしね(笑)」と甲斐さん(笑)
小林さんは「そうそう![福商だ、これ、いい歌だなあ〜
あの彼女のこと歌ってんだ]って思った(笑)」とおっしゃってるんだけど
アマチュア時代の甲斐さんの【バス通り】をご存知の方には
甲斐バンドの【バス通り】は馴染まなかったらしい(苦笑)
ともあれ…「それからほどなくして小林君の編集者に辿り着いて
小林君が上京するたびに会うようになったんですよ」と甲斐さん
「そのたびに、あまりに刺激的で幸せそうな顔をしてるので」
あるいは「東京に来る度に文句を言うんです
[福岡はつまらん、博多はつまらん
芝居もないし映画も観れんし]って(笑)
東京で盛り上がるほど寂しくなるみたいで(笑)」
「[東京進出するべきだ]って、しつこく勧めてた」ようですが
機関紙によると…「彼を決定的に福岡に押し留めた理由は
福岡の自主制作映画グループ[フリーアート]の存在だった」
「高校時代から大の映画ファン
プロになってからは年間100本の映画を観ていた
プロ4年目に[ズームイン朝]のレポーターと香港に取材に行き
レイモンド・チョウ、マイケル・ホイ等に
[会って話をしてたら、自分でも映画を作れるんじゃないかって気になって
たまたま出かけて行ったフリーアートの上映会で
ぜひ協力して欲しいと声をかけられたりもしまして…]映画作りに参加
ほんの軽い気持ちが、ふと気がつくと
いつの間にかプロデューサーに担ぎ上げられていた
ならばと本腰を入れ、正面から映画作りに取り組んだ
第一作8ミリは、ヤングジャンプが相乗りして、上映会をセッティング
[ますます真面目に取り組まなければならなくなって]ニ作目に突入
東京から16ミリのプロが助っ人に参上
[彼らのパワーは確かに凄い
ロックしているというか、妥協がないというか]
そうして更に奥深くフリーアートに介入して
2本目も8割を撮り終える」ことに…
「結果的に巻き込まれてしまった形だけど
漫画を描くっていうことには、何をやっても役に立つから」と小林さん
甲斐さんのおっしゃる「無駄なこと」と同じですね
上京されてからも「映画の脚本を頼まれて」いらしたらしく
甲斐さんが時々、小林さんのマンションに遊びに行かれていた頃
「[逆噴射家族]だと思うんだけど
その脚本を全部語ってくれて、物凄く構成力があった
カメラの位置まで見えて来るくらい語れるんですよ
例えば、コッポラやスピルバーグは
ちゃんと絵コンテを描いて監督する訳じゃないですか
小林君は、ちゃんと絵コンテが見えるような構成を出来るんだと思って
ちょっと悔しかったの(笑)」と明かされてます
もっとも、小林さんによれば
「あれは石井聰互に案を話したのよ
なるべくお金のかからない映画の撮り方を考えて(笑)
そうしたら石井が長谷川和彦に言って
長谷川が[会いたい]って言って来て
[脚本を書いてくれ]と言われたからやることになった」んだとか…(笑)
ちなみに、小林さんは「観る方は、コッポラや長谷川和彦といった
[ねばっこく][骨太な]監督」がお好きらしい
そうそう!この機関紙の4コマ漫画に…
〜甲斐が電話して来た〜「今EPができたよー、CMで流れるけん」
「ほんとォー?歌ってんしゃい!」
〜電話の向こうで甲斐さん【シーズン】熱唱(笑)〜
「良っかじゃなかね、ワシもお礼に原稿のセリフ読んじゃろーかね」
〜擬音まで忠実に読み上げ(笑)〜
「良っかーっ、小林ーィ」
「そうやろ?甲斐、2番歌ってんしゃい」
〜再び甲斐さん熱唱(笑)〜
そして最後に「後で、甲斐と俺とどっちの方がアホやったか(笑)
深く考えましたが、わかりませんでした」と書かれていて(笑)
歌はともかく「漫画を聴いて」内容が判るのかな?(笑)と思っていたけど
「カメラの位置まで見えて来るくらい」の構成力ならナットクです(笑)
それはさておき…
「漫画を描くというのは、日記をつけている訳じゃなくて
カンケリやってる10人の奴らを
どうやって俺の縄跳びに引き込むかだから」と小林さん
「そういうキャラクターを作り上げるために、あらゆる努力をする
漫画を描く合間の少ない時間に、莫大な量の本を読み
映画を観て、人に会い、貪欲に知識を摂取して行く」ことについて
「はじめは自分が生きて来た所で描ける
だけど、そのネタってのは、わりと早く尽きちゃうんですね
自分自身が一ヶ所に落ち着いてしまったらダメです
自分の中の問題意識まで見えなくなってしまう」と話されてますが
「ロックは問題意識」や「お笑いとロック、漫画と映画は
時代の一瞬一瞬を切り取るという点で同じ」という
甲斐さんの言葉を思い出しました
余談ですが、甲斐バンドのアルバム
「この夜にさよなら」に収録されている【氷のくちびる】に
小林さんが「ミュージシャン」としてクレジットされている件(笑)
「その時、小林君がスタジオに僕を迎えに来たんですよ
食事かなんかの約束をしてて…
レコーディングがズーッと伸びてて申し訳なくて
[ナンか手伝わない?]って言ったんです」と甲斐さん
【安奈】の時の浜田省吾さん状態だったみたいだけど
ただ「何かを手伝って貰った記憶があるんですよ
何かをやって貰ってボツにしたのかも知れない」らしい…(笑)
セイヤングの投稿で、小林さんが
【HERO】を弾き語りなさってるとお知りになり
その映像をご覧になって「ギター弾けるんだ?」と
ずいぶん驚いておられたくらいだから
ギター担当ではなかったんじゃないかと…?(笑)
小林さんは【ブルーレター】や【観覧車'82】など
「ストーリーテリング、ドラマツルギーがある」曲がお好きだそうで
「甲斐が歌っている凄くロマンチック曲の中の男と女の関係に憧れてしまう
素敵だなあとか、こんな恋愛いいなあとか空想に浸ったりしてる
でも、そげんことを人前に出て喋ったり、表現するのはダメなんたいね
いつも密かに聴いて憧れている」と記されてます
「ストレートに物事を見てしまうのはテレちゃって
恥ずかしい気分になってしまうとたい
男と女のことも皮肉って見てしまうとたいね」とおっしゃる小林さん
表現の仕方は違っていても、内に秘めておられるものは
甲斐さんと同じものなのかなあと…
松藤が「小林よしのりさんっていう漫画家がいるんだけど
同級生じゃない?」って言い出して
「いやいや」と言ってたら、筆者の写真を持って来て
それが小林君だったの(笑)
「東大一直線」が始まって1年も経ってなかったと思う
一方、小林さんは「ワシも甲斐がデビューしたのはもちろん知ってたし
【バス通り】を最初に聴いた時に、すぐ福商を思い出してね(笑)」
…と話されると「あなたは僕の彼女も知ってますしね(笑)」と甲斐さん(笑)
小林さんは「そうそう![福商だ、これ、いい歌だなあ〜
あの彼女のこと歌ってんだ]って思った(笑)」とおっしゃってるんだけど
アマチュア時代の甲斐さんの【バス通り】をご存知の方には
甲斐バンドの【バス通り】は馴染まなかったらしい(苦笑)
ともあれ…「それからほどなくして小林君の編集者に辿り着いて
小林君が上京するたびに会うようになったんですよ」と甲斐さん
「そのたびに、あまりに刺激的で幸せそうな顔をしてるので」
あるいは「東京に来る度に文句を言うんです
[福岡はつまらん、博多はつまらん
芝居もないし映画も観れんし]って(笑)
東京で盛り上がるほど寂しくなるみたいで(笑)」
「[東京進出するべきだ]って、しつこく勧めてた」ようですが
機関紙によると…「彼を決定的に福岡に押し留めた理由は
福岡の自主制作映画グループ[フリーアート]の存在だった」
「高校時代から大の映画ファン
プロになってからは年間100本の映画を観ていた
プロ4年目に[ズームイン朝]のレポーターと香港に取材に行き
レイモンド・チョウ、マイケル・ホイ等に
[会って話をしてたら、自分でも映画を作れるんじゃないかって気になって
たまたま出かけて行ったフリーアートの上映会で
ぜひ協力して欲しいと声をかけられたりもしまして…]映画作りに参加
ほんの軽い気持ちが、ふと気がつくと
いつの間にかプロデューサーに担ぎ上げられていた
ならばと本腰を入れ、正面から映画作りに取り組んだ
第一作8ミリは、ヤングジャンプが相乗りして、上映会をセッティング
[ますます真面目に取り組まなければならなくなって]ニ作目に突入
東京から16ミリのプロが助っ人に参上
[彼らのパワーは確かに凄い
ロックしているというか、妥協がないというか]
そうして更に奥深くフリーアートに介入して
2本目も8割を撮り終える」ことに…
「結果的に巻き込まれてしまった形だけど
漫画を描くっていうことには、何をやっても役に立つから」と小林さん
甲斐さんのおっしゃる「無駄なこと」と同じですね
上京されてからも「映画の脚本を頼まれて」いらしたらしく
甲斐さんが時々、小林さんのマンションに遊びに行かれていた頃
「[逆噴射家族]だと思うんだけど
その脚本を全部語ってくれて、物凄く構成力があった
カメラの位置まで見えて来るくらい語れるんですよ
例えば、コッポラやスピルバーグは
ちゃんと絵コンテを描いて監督する訳じゃないですか
小林君は、ちゃんと絵コンテが見えるような構成を出来るんだと思って
ちょっと悔しかったの(笑)」と明かされてます
もっとも、小林さんによれば
「あれは石井聰互に案を話したのよ
なるべくお金のかからない映画の撮り方を考えて(笑)
そうしたら石井が長谷川和彦に言って
長谷川が[会いたい]って言って来て
[脚本を書いてくれ]と言われたからやることになった」んだとか…(笑)
ちなみに、小林さんは「観る方は、コッポラや長谷川和彦といった
[ねばっこく][骨太な]監督」がお好きらしい
そうそう!この機関紙の4コマ漫画に…
〜甲斐が電話して来た〜「今EPができたよー、CMで流れるけん」
「ほんとォー?歌ってんしゃい!」
〜電話の向こうで甲斐さん【シーズン】熱唱(笑)〜
「良っかじゃなかね、ワシもお礼に原稿のセリフ読んじゃろーかね」
〜擬音まで忠実に読み上げ(笑)〜
「良っかーっ、小林ーィ」
「そうやろ?甲斐、2番歌ってんしゃい」
〜再び甲斐さん熱唱(笑)〜
そして最後に「後で、甲斐と俺とどっちの方がアホやったか(笑)
深く考えましたが、わかりませんでした」と書かれていて(笑)
歌はともかく「漫画を聴いて」内容が判るのかな?(笑)と思っていたけど
「カメラの位置まで見えて来るくらい」の構成力ならナットクです(笑)
それはさておき…
「漫画を描くというのは、日記をつけている訳じゃなくて
カンケリやってる10人の奴らを
どうやって俺の縄跳びに引き込むかだから」と小林さん
「そういうキャラクターを作り上げるために、あらゆる努力をする
漫画を描く合間の少ない時間に、莫大な量の本を読み
映画を観て、人に会い、貪欲に知識を摂取して行く」ことについて
「はじめは自分が生きて来た所で描ける
だけど、そのネタってのは、わりと早く尽きちゃうんですね
自分自身が一ヶ所に落ち着いてしまったらダメです
自分の中の問題意識まで見えなくなってしまう」と話されてますが
「ロックは問題意識」や「お笑いとロック、漫画と映画は
時代の一瞬一瞬を切り取るという点で同じ」という
甲斐さんの言葉を思い出しました
余談ですが、甲斐バンドのアルバム
「この夜にさよなら」に収録されている【氷のくちびる】に
小林さんが「ミュージシャン」としてクレジットされている件(笑)
「その時、小林君がスタジオに僕を迎えに来たんですよ
食事かなんかの約束をしてて…
レコーディングがズーッと伸びてて申し訳なくて
[ナンか手伝わない?]って言ったんです」と甲斐さん
【安奈】の時の浜田省吾さん状態だったみたいだけど
ただ「何かを手伝って貰った記憶があるんですよ
何かをやって貰ってボツにしたのかも知れない」らしい…(笑)
セイヤングの投稿で、小林さんが
【HERO】を弾き語りなさってるとお知りになり
その映像をご覧になって「ギター弾けるんだ?」と
ずいぶん驚いておられたくらいだから
ギター担当ではなかったんじゃないかと…?(笑)
小林さんは【ブルーレター】や【観覧車'82】など
「ストーリーテリング、ドラマツルギーがある」曲がお好きだそうで
「甲斐が歌っている凄くロマンチック曲の中の男と女の関係に憧れてしまう
素敵だなあとか、こんな恋愛いいなあとか空想に浸ったりしてる
でも、そげんことを人前に出て喋ったり、表現するのはダメなんたいね
いつも密かに聴いて憧れている」と記されてます
「ストレートに物事を見てしまうのはテレちゃって
恥ずかしい気分になってしまうとたい
男と女のことも皮肉って見てしまうとたいね」とおっしゃる小林さん
表現の仕方は違っていても、内に秘めておられるものは
甲斐さんと同じものなのかなあと…