今さら感満載ですが、甲斐バンド・甲斐よしひろを語る上で
この方を避けて通る訳にはいきませんよね?(笑)
前々から「いつかその内に…」とは思っていたんだけど
今回ようやく記事にすることにしたきっかけは
昨年10月に発売された亀和田さんの著者「60年代ポップ少年」
奥さんが見つけたこの本の書評には「コラムニスト亀和田武さんが
12歳から22歳の1960年代を振り返った本
60年代に遭遇した[ジャズも漫画も、全共闘もSFも]
全部が自分にとってはポップ文化だったという
当時の多くの学生に共通した感覚だったかも知れない
ただ、60年代からざっと半世紀
伝説が育って一人歩きするには十分な時間だろう
日本のどこで、何歳だったかで、60年代像は異なるだろうが
[ポップ]でたどる一人の記憶、恐るべしである」と書かれていて
かなり買う気マンマンで(笑)書店に足を運んだ奥さん
パラパラとページを繰っていると
「映画を観るならフランス映画だった、あの頃」という見出しを発見(笑)
その見出しの横には「フランス映画の時代が、かつて存在した
私の好きな日本人ミュージシャンには
冒頭からいきなり[映画を観るならフランス映画さ]と
歌い出される代表曲がある」との文章が…(笑)
奥さんが、すぐさまレジへ直行したことは言うまでもアリマセン(笑)
ちなみに、その後は「私より五つ年下のシンガーは
その曲に【ポップコーンをほおばって】というタイトルをつけた
フランス映画とポップコーンの組み合わせが、絶妙の効果を生んでいる
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの多くが
アメリカのB級ギャング映画や西部劇を熱狂的に愛した
パリの映画少年だったという事実を
見事になぞった一節に思える」…と続いてます
映画好きでいらっしゃる甲斐さんなら
「あるいは、そうかも?(笑)」と思わせる説得力ある文章だけど
それよりも「この曲をそういう風に評されたのは初めてじゃないかな?」
…という奥さんの言葉の方が興味深く
この本を読み始めてしまいました(笑)
予てより奥さんは、亀和田さんの書かれた記事やご発言に
賛意を示すことが多かったんですが、その理由がついに判りました
年齢、性別には関係なく「似ているんだ!」と…(笑)
「中学、高校と、周囲との折り合いを欠き、大の学校嫌いだった私」とか
「協調性に乏しく、内向的な劣等生だった私が
幾つかのことに関しては、驚くほど積極的になる」といった
ご自身についての記述はもちろん
「ビートルズこそ1960年代を代表するアーティスト
確かにそれは間違いではないが
彼らと入れ替わるように姿を消した
ミュージシャンを語ることも重要ではないか」とか
「東京オリンピックやビートルズ武道館公演にも、何の興味も抱かなかった
熱狂に同調できなかった、自分の気持ちと行動も書いておきたくなった」
…という「極少数派」としての視点みたいなものに
同じニオイを感じてしまいます(笑)
ともあれ、以前にご紹介した甲斐さんとの対談でも
「俺、ものすごいセンチメンタルな人間なんで
1960〜63年のビートルズ以前のポップスというのが、ものすごい好きで
それで自分の感覚や感性の8割が出来上がったみたいな所があるんですよ」
…と話されてるんだけど、甲斐バンドフリークの参考書(笑)「愛を叫んだ獣」の中にも
「唇を噛んで、寂しさに必死で堪えている少年の潔癖さ
これが甲斐バンドの真骨頂だと思う」
「唇をジッと噛みしめて寂しさに耐える少年の過激なセンチメンタリズム
本当に少年の清潔感とでも呼べる雰囲気に包まれている
そして、ロマンチシズムとかリリシズムといった形容からは
逸脱してしまうような激しい感傷が窺える」
「甲斐よしひろの初期のヴォーカルは
無垢で傷つきやすい魂を感傷的に歌い上げる時、抜群の冴えを発揮した
決して、貶し言葉ではない
僕は人一倍感傷に溺れやすいタイプの人間である
[甘く][切ない]ヒロイックな歌い込みにすっかり参ってしまった
[少年の純情]という言葉が、脳裏を横切る
[感傷の海]に飛び込んで溺れてしまいたい、という欲求が
とうの昔に少年でなくなった僕の内に湧き上がる」
「【らせん階段】では[僕]が[人生]という言葉を繰り返し
【ダニーボーイに…】では[君]と[僕]との愛の物語が
あくまでも生真面目に、折り目正しく
正攻法で歌われてゆく
まだ少年くささを残したヴォーカルによって、これらの曲が歌われる時
ある感動が聴き手を襲ったはずである
そして生真面目な表情のすぐ下には、甘さが顔を覗かせる
ワイセツな匂いの裏にも、甘さが常に貼りついている
【ポップコーンを…】【かりそめの…】【氷のくちびる】といった
初期を代表する曲は、どれも甘く、暗く、傷つきやすい青春を歌い上げている
どんなにふてぶてしい態度を装っても
どこかにふと寂しげで、頼りなげな表情が覗く
甲斐よしひろのこの頃の歌に登場する少年たちは
みんなこんな顔つきをしている
青春の光と影…彼のヴォーカルが
必死で表現しようとしていたものがこれだ」
「[英雄と悪漢]というアルバムの中には
[センチメンタリズムの海]が隠されている
センチメンタリズムという言葉は、一般的には
あまり良い印象は持たれていないかも知れない
しかし、僕はセンチメンタリズムという言葉は大好きで
その隣3mくらいに位置するはずのロマン
あるいは、ロマンチシズムという言葉は大嫌いである
ロマンはホットで鈍く、センチメンタリズムはクールで鋭い
僕の頭の中の国語辞典だとそんなニュアンスになる
僕はセンチメンタリズムの孤立が好きだ
雨にけむる街並みを、息を切らして駅へ駆ける少年
少女の乗ったバスを、どこまでも追い続けた少年
年上の自堕落な女に何故か恋してしまった少年
師走の冷たい街角で、長いマフラーを巻きながら
来るはずのない恋人を待ち続ける少年
こんな孤独な少年たちが大好きである
この少年たちの闇雲なセンチメンタリズムが大好きである
[センチメンタリズムの海]に飛び込んで
そのまま溺れてしまっても構いはしない、という
そのヒロイズムとナルチシズムに参ってしまうのだ」等々
「大のオトナの男が…」と後ろ指を差されかねないほど(汗)
「センチメンタリズム」「感傷」という言葉を連ねて
甲斐さんの歌を評されてますが
これこそが、奥さんも含めた当時の女性ファンの方が
感じておられたであろう甲斐さんの魅力に他ならないんじゃないかと…?
もちろん、亀和田さんと同じ思いを抱いていらした
男性ファンも少なくなかったとは思うんだけど
堂々と口になさるには、少々勇気を要する言葉ですよね?(苦笑)
【HERO】やNY三部作以降に男性ファンが増えたというのも
「甲斐バンドが好き」とは言えなかった「隠れフリーク(笑)」の男性陣が
こぞってカミングアウトなさるには(笑)
ちょうど良いきっかけだったからかも知れませんね?(笑)
この方を避けて通る訳にはいきませんよね?(笑)
前々から「いつかその内に…」とは思っていたんだけど
今回ようやく記事にすることにしたきっかけは
昨年10月に発売された亀和田さんの著者「60年代ポップ少年」
奥さんが見つけたこの本の書評には「コラムニスト亀和田武さんが
12歳から22歳の1960年代を振り返った本
60年代に遭遇した[ジャズも漫画も、全共闘もSFも]
全部が自分にとってはポップ文化だったという
当時の多くの学生に共通した感覚だったかも知れない
ただ、60年代からざっと半世紀
伝説が育って一人歩きするには十分な時間だろう
日本のどこで、何歳だったかで、60年代像は異なるだろうが
[ポップ]でたどる一人の記憶、恐るべしである」と書かれていて
かなり買う気マンマンで(笑)書店に足を運んだ奥さん
パラパラとページを繰っていると
「映画を観るならフランス映画だった、あの頃」という見出しを発見(笑)
その見出しの横には「フランス映画の時代が、かつて存在した
私の好きな日本人ミュージシャンには
冒頭からいきなり[映画を観るならフランス映画さ]と
歌い出される代表曲がある」との文章が…(笑)
奥さんが、すぐさまレジへ直行したことは言うまでもアリマセン(笑)
ちなみに、その後は「私より五つ年下のシンガーは
その曲に【ポップコーンをほおばって】というタイトルをつけた
フランス映画とポップコーンの組み合わせが、絶妙の効果を生んでいる
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの多くが
アメリカのB級ギャング映画や西部劇を熱狂的に愛した
パリの映画少年だったという事実を
見事になぞった一節に思える」…と続いてます
映画好きでいらっしゃる甲斐さんなら
「あるいは、そうかも?(笑)」と思わせる説得力ある文章だけど
それよりも「この曲をそういう風に評されたのは初めてじゃないかな?」
…という奥さんの言葉の方が興味深く
この本を読み始めてしまいました(笑)
予てより奥さんは、亀和田さんの書かれた記事やご発言に
賛意を示すことが多かったんですが、その理由がついに判りました
年齢、性別には関係なく「似ているんだ!」と…(笑)
「中学、高校と、周囲との折り合いを欠き、大の学校嫌いだった私」とか
「協調性に乏しく、内向的な劣等生だった私が
幾つかのことに関しては、驚くほど積極的になる」といった
ご自身についての記述はもちろん
「ビートルズこそ1960年代を代表するアーティスト
確かにそれは間違いではないが
彼らと入れ替わるように姿を消した
ミュージシャンを語ることも重要ではないか」とか
「東京オリンピックやビートルズ武道館公演にも、何の興味も抱かなかった
熱狂に同調できなかった、自分の気持ちと行動も書いておきたくなった」
…という「極少数派」としての視点みたいなものに
同じニオイを感じてしまいます(笑)
ともあれ、以前にご紹介した甲斐さんとの対談でも
「俺、ものすごいセンチメンタルな人間なんで
1960〜63年のビートルズ以前のポップスというのが、ものすごい好きで
それで自分の感覚や感性の8割が出来上がったみたいな所があるんですよ」
…と話されてるんだけど、甲斐バンドフリークの参考書(笑)「愛を叫んだ獣」の中にも
「唇を噛んで、寂しさに必死で堪えている少年の潔癖さ
これが甲斐バンドの真骨頂だと思う」
「唇をジッと噛みしめて寂しさに耐える少年の過激なセンチメンタリズム
本当に少年の清潔感とでも呼べる雰囲気に包まれている
そして、ロマンチシズムとかリリシズムといった形容からは
逸脱してしまうような激しい感傷が窺える」
「甲斐よしひろの初期のヴォーカルは
無垢で傷つきやすい魂を感傷的に歌い上げる時、抜群の冴えを発揮した
決して、貶し言葉ではない
僕は人一倍感傷に溺れやすいタイプの人間である
[甘く][切ない]ヒロイックな歌い込みにすっかり参ってしまった
[少年の純情]という言葉が、脳裏を横切る
[感傷の海]に飛び込んで溺れてしまいたい、という欲求が
とうの昔に少年でなくなった僕の内に湧き上がる」
「【らせん階段】では[僕]が[人生]という言葉を繰り返し
【ダニーボーイに…】では[君]と[僕]との愛の物語が
あくまでも生真面目に、折り目正しく
正攻法で歌われてゆく
まだ少年くささを残したヴォーカルによって、これらの曲が歌われる時
ある感動が聴き手を襲ったはずである
そして生真面目な表情のすぐ下には、甘さが顔を覗かせる
ワイセツな匂いの裏にも、甘さが常に貼りついている
【ポップコーンを…】【かりそめの…】【氷のくちびる】といった
初期を代表する曲は、どれも甘く、暗く、傷つきやすい青春を歌い上げている
どんなにふてぶてしい態度を装っても
どこかにふと寂しげで、頼りなげな表情が覗く
甲斐よしひろのこの頃の歌に登場する少年たちは
みんなこんな顔つきをしている
青春の光と影…彼のヴォーカルが
必死で表現しようとしていたものがこれだ」
「[英雄と悪漢]というアルバムの中には
[センチメンタリズムの海]が隠されている
センチメンタリズムという言葉は、一般的には
あまり良い印象は持たれていないかも知れない
しかし、僕はセンチメンタリズムという言葉は大好きで
その隣3mくらいに位置するはずのロマン
あるいは、ロマンチシズムという言葉は大嫌いである
ロマンはホットで鈍く、センチメンタリズムはクールで鋭い
僕の頭の中の国語辞典だとそんなニュアンスになる
僕はセンチメンタリズムの孤立が好きだ
雨にけむる街並みを、息を切らして駅へ駆ける少年
少女の乗ったバスを、どこまでも追い続けた少年
年上の自堕落な女に何故か恋してしまった少年
師走の冷たい街角で、長いマフラーを巻きながら
来るはずのない恋人を待ち続ける少年
こんな孤独な少年たちが大好きである
この少年たちの闇雲なセンチメンタリズムが大好きである
[センチメンタリズムの海]に飛び込んで
そのまま溺れてしまっても構いはしない、という
そのヒロイズムとナルチシズムに参ってしまうのだ」等々
「大のオトナの男が…」と後ろ指を差されかねないほど(汗)
「センチメンタリズム」「感傷」という言葉を連ねて
甲斐さんの歌を評されてますが
これこそが、奥さんも含めた当時の女性ファンの方が
感じておられたであろう甲斐さんの魅力に他ならないんじゃないかと…?
もちろん、亀和田さんと同じ思いを抱いていらした
男性ファンも少なくなかったとは思うんだけど
堂々と口になさるには、少々勇気を要する言葉ですよね?(苦笑)
【HERO】やNY三部作以降に男性ファンが増えたというのも
「甲斐バンドが好き」とは言えなかった「隠れフリーク(笑)」の男性陣が
こぞってカミングアウトなさるには(笑)
ちょうど良いきっかけだったからかも知れませんね?(笑)