昨日からの継続実験のため出社。
8,9月と富山行が相次ぐも食すことが叶わなかった「富山ブラック」を堪能するため昼食は我楽へ。
実験は都度行う手動の設定運転が終われば、あとは1時間あまりの自動測定なので、合間に関東大学バスケットボールのオータムカップをそっと観戦。
優勝候補の東海大学、対戦相手の拓殖大学とは体つきが全然違いますね。
おそらく、トレーニングや食事に対する取り組みが違うのでしょうが、武漢ウィルス禍における「オフ期間」の過ごし方にも差があったかもしれません(元からそうだったかもしれませんが)。
石川県出身の大倉選手はPGに徹しており、ここまでシュートに向かわない同選手を見るのは初めて?でした。
一方で鳴り物入りで入学した河村選手は同大学のシステマチックハーフコートバスケットボールに適応させながらも、速攻などのランニングゲームのときは活き活き?していたような。
他大学の動向を詳しく探っていませんが、おそらく東海大学が勝ち進むでしょうかね。
今宵は久々、昨年12/7以来となる津幡オヤジ5練習のため津幡総合運動公園体育館へ。
昨年11月にエース猫背さんに頼み込んでDRAGONS.BBの練習生となってからは、土:津幡オヤジ5-日:ANTIQUES-月:O矢さん草バスケットボール-火:GOLDとしていた練習を、DRAGONS.BBの練習負荷が大きく移動距離数も長いことから、日:ANTIQUES-月:DRAGONS.BB-水:DRAGONS.BBに整理・変更していました。
6月に津幡オヤジ5の選手兼審判兼主務で会社先輩のパナソニック政経塾長と県内出張があり、雑談している中でかつて津幡5に所属していた竹〇さんが最近顔を出しているとのことを伺ったので、それではと顔を出す機会を窺いながら、8月までは公式大会を優先に土曜日は自粛、以降もあれこれと所用があり、やっと今日の訪問に至りました。
パナソニック政経塾長の紹介で、社会人1年生の1996年から肺気胸を患って手術した1998年夏までノッポが所属していた津幡5ですが、当時は若手が自前チームを作って飛び出した後の超がつくほどの暗黒期で、当時は健在のJ太郎さん、塾長、ヤング津幡オヤジ5のリーダーこと近さん、前述の竹〇さん、そしてノッポ、あとは社会人になってバスケットボールを始めた数人でチームが成立している状態で、大会に参加するも5,6人がやっとそろう状態でした。
そんな時期、富山県出身の竹〇さんのポストプレイは華麗でターンやフェイクにはよく引っ掛けられていました。
当時、187 cm-65 kgの超痩身だったノッポのゴール下ではわざとファールをしてきて、「弱っちいぞ」と手に口にと鍛えてもらった記憶もあります。
そんな記憶を抱えて22年ぶりに再会、先方は覚えていませんでした(二水クラブ時もそうですが、相当にプレイ面の印象が低いので仕方ない・・・)。
それでも昔話や、たどってきた経緯などお互いに披露、富山出身なのでTOYAMAスターズに顔を出しており、また福井県では勤務していたので福井県マスターズにも参加していたとのこと、バスケットボールはそこそこのレベルで継続されていたようです。
ただ、仕事柄土日の自由が利かず、大会などに参加できないことに歯噛みしていましたが。
22年ぶりの対面、向こうは覚えておらず、此方も氏と紹介されなければふくらんだ体型と年相応となった容貌には気づきませんでしたね。
寄る年波には勝てないことを改めて分かった次第で。
(紺の長そでに白ビブ、22年前は細身でイケメン系だった(と思う))