続 時の往復 neo

過去⇔現在⇔未来

レコード復活です!

2016-10-16 22:25:00 | 音楽
レコードプレーヤーを買った。
凄く安くてヨドバシの通販で購入。
CD買い始めるまではレコードだったし、
今また聴きたくなったレコードもあるし、
今聞かないとこのまま聴かずに
ずっと月日が流れてしまう気がして。
購入したのは、オーム電機社製の
RDP≠a200N。








     






回転数は33/78/45回転の三種類。
ターンテーブルもオートストップと、
ノンストップの切り替えもでき、
根元までカッティングしているレコードは、
ノンストップにしておけば途中で
止まる事も無く聴き通せる。

     






ターンテーブルの回転数も微調整可能。
    







     


針は50時間で交換と少々短めが難点。









筐体左右にはステレオスピーカー装備。








パネルは音質と音量。








リアパネルには音声出力端子。








なんとUSB端子も。








もちろん付属のドライバー付き。








しかしウインドウズ10には非対応みたい。








付属品は説明書とピンジャックとUSBコード。
交換針は別購入で3本入り。








より良い音と針の寿命を延ばす
レコードクリーナーと針クリーナーも
揃えればあとは問題なし。









使ってみての感想は、
筐体装備のスピーカーはチープながらも
それなりに問題ないレベルの音質だと思う。
コンセントさえあれば気軽にどこでも聴く。
な時には筐体スピーカーは凄く便利だと思う。
自分は5.1チャンネルシステムで再生してるけど、
リアパネルの音声出力だとダイレクトな
トレース音になり、外部の再生装置側に
音質調整が出来ないものだと、
音割れに近い様なガリが感じてしまう。
自分の装置は単純に音声再生機能だけなので、
プレイヤーのヘッドホン端子から
5.1チャンネルに接続し、
プレイヤー本体の音質を一番下げて再生。
これによって音が籠るというよりか、
レコードらしい丸みのある音になるので
全く問題なし。



今レコードをまた聞き始めて、
ランダムに選んで聞いてるけど、
レコードそれぞれになんか思い出すものがあり、
昔買ったあの時間をまた感じている。
常に先へ新しく。時間をかけない。
待たせない。情報過多と
最近のいわば息が詰まりそうな時代には、
レコードを聴いて少々時間をゆっくり過ごす。
凄く贅沢な時間の過ごし方だと思う。
何も高価なオーディオシステムを買わなくても
気軽にレコードが聞けるこのプレイヤー。
レコード初心者にも、レコード経験者にも
おすすめの一台だと思う。









いろいろ聞いたけどやっぱり自分の
音楽の原点はYMO。
レコードで聞くYMOは一味違う。
これホント。





































冨田勲さんに哀悼の意を

2016-05-10 00:28:00 | 音楽
2016年5月5日に旅立たれた
世界のTOMITAこと
日本電子音楽界の国民遺産
冨田勲さんについて。

もう他ではTOMITAさんの
功績はいくらでも書かれているので、
ここでは自分の思い出なんかを
語ってみる事にします。

冨田勲サウンドとの出会い。
始まりはYMO。
小学6年の時に友人宅で初めて
YMOのLPマルチプライスを聞いてから
シンセサイザー音楽に興味を持ち、
シンセサイザー音楽の探求から
おのずと行き付くTOMITAサウンド。
中学1年の頃だったか。
定番 『 月の光 』 でしたが、
クラッシック音楽に興味のない人に
クラッシック音楽の垣根を取っ払った
かの様な印象でしたね。
とてつもなく表現力のはっきりとしたアレンジで
何と形容し表現したら良いのかと
思いながらも、冨田さんご本人が
おっしゃられた 「 音のアニメーション 」
正にそれで、聞くたびに頭の中で
物語が展開する音楽に非常に引き込まれ、
YMOとはまるで水と油くらいの違いだけれど、
両者全くここでも垣根無く聴いていた事を
今でもそうだけど思い出す。


中学2年の頃だったかな ・・・
リンツで初めて冨田さんがサウンドクラウドを
成功させ、帰国後のトークイベントが
高田馬場で開催され見に行きましたね。
誘った友人が功(いさお)というだけで、
強引に誘った思い出があって、
サウンドクラウドを会場で再現ってのが
目当てで行ったものの、トーク序盤から
かなり長いトークが続き、
周りでは頭をコックリコックリと
居眠りする人もいて、もちろん自分は
聞き入っていたけど、友人もそのコックリ
面子ではあったものの、トークも終わり
会場に設置されたサウンドクラウド
システムがいよいよ音出しの時には
さすがに大音量って事もあり、
皆目を覚まし聞き入りましたね。
たしかプロジェクターかなんかの
大画面でリンツでの会場の映像も
流れた記憶も。とにかくそれが冨田さんを
目の前で拝見した最初で最後ですかね。

次に拝見したのが横浜山下公園。
何とあのサウンドクラウドが
横浜で体感出来るとあってしかも無料!
さすがバブル直前なだけあってか?
興奮したなぁ。
正午から場所取りで行って、
花火大会とのコラボなだけに、
半数の客がサウンドクラウド?ナニ?
だったんじゃないかね。
しかしいざ始まって皆さぞびっくり
したんじゃぁなかろうか。
最近すっかり見なくなった
レーザーでの演出と花火
それらがTOMITAサウンドとシンクロし
シークレットゲストのスティービーワンダーが
UFOに乗って現れたからね。
当時状況を知らない山下公園付近に
居合わせた人々らのUFO騒ぎが
起こったなんてのは当時の都市伝説
と言っておきますが。
自分的には本番は凄く感動したけど、
リハでのスピーカーチェック。
これにも大興奮しましてね、
海に設置と観客挟んで山下公園後方に設置
された複数のスピーカー全てから、
チェックノイズが順番に鳴って、
ャ塔b … ビー … ガー … ゴー と、
おぉーっ俺、スピーカーに囲まれてるぅ。
まさに音の雲の中だ! な感じでwww
あんな事もうやらないんだろうなぁ ・・・
何もかもは時代です ・・・ 時代 ・・・




その時に入手したチラシがこちら。







1989年7月23日。
第4回海の祭典・横浜開港130周年記念。







ゲストも大物ぞろい。








とまぁこんな感じで、
そのあとはテレビで拝見したり、
くしくもイベントではタイミング悪く
お会い出来なかったりと、
それでも冨田勲さんへの尊敬は変わらずに。
そう言えば高校受験の時、
受験した高校での面接でありがちな、
尊敬する人はの質問で、
だいたいの生徒は両親だとか、
聖徳太子、はたまた時の政治家とかだけど、
自分は冨田勲さんと答えて、
面接官の先生に誰ですかと返され、
有名な音楽家ですと返答。
自分電気科受けたのになんで
電気系統の先生が知らないなんてと
勝手に思ったりして、
しかもその面接官の先生が
冨田さんに何処か似てるわけで。
まぁ運よく入学出来てその先生には
直接授業を受ける事はなかったけど、
校舎でその先生を見かけるたびに
あっ冨田さんに似た先生だと
いつも心の中でつぶやいて、
ほろ苦い思い出ですが。
  ↑
 初恋じゃぁあるまいしw




とにかく冨田さんの素晴らしさって
ホントに書いたらきりがなく、
書くより聴きましょって事で。
自分が今でも感じている事は、
今現在これだけエレクトロニクス及び
テクノロジーが進化を遂げているのに
当時のアナログのモーグモジュラーで
冨田さんが作成された作品を超える
表現力も音も作品も無いと言う事。
モノってもちろん進化発展するけど、
人の表現やセンスって、
物の進化にはさほど関係ないのでは。
そう考えると冨田勲さんがこの時代に生まれ、
この時代に作品を残したのには
なにか大きな意味があると思う。
その意味って今自分でははっきりと
言葉として表すにはまだ先になりそうで、
きっと残された現代人への
メッセージなのかもしれない。


冨田勲大先生。
有難うございました。
最後に一言
言わせて下さい。


 GOOD JOB good







 新日本紀行のテーマ ~♪





       bye













MIDIのこれから

2015-12-27 21:08:00 | 音楽

ちょっくらとあるイベントに
招待して頂き行ってきまして、

Think MIDI 2015 ~MIDIがつなぐ時代と音楽~

なイベントで、
MIDI誕生から30年が過ぎ、
改めてMIDIの痕跡とこれからを
考えるみたいな感じの内容でして、
会場にはMIDI誕生前の電子楽器と
MIDI誕生後の電子楽器等も展示され、
ヴィンテージ楽器店で見慣れてはいるものの、
すっかり目の保養になった事は確かで、
初めて見る物もあり楽しめたのですが、
そもそもMIDIとは、
ミュージカルインストゥルメント
デジタルインターフェイスの略で、
世界各国の電子楽器やコンピューターを
世界統一規格で接続出来るといった、
互換性やら可能性の向上に特化した事で、
MIDIが無かった時代は、
ようは電子楽器は単体使用がほとんど。
今のように誰もがPCを持つ時代ではなかったし、
必要では無かったと言えばそれもそうだけども、
これから訪れるコンピューター時代を考えて、
作られたのでしょう。
まっ結果MIDIの誕生は正しかったと、
現在の状況を見れば一目瞭然ですかね。
ですかねってなんか他人事のような表現ですが、
いまだに自分MIDIを活用した音楽は
やっておらず、30年前の楽器と手法で、
もちろんMIDIシンセを持ってはいますが、
基本は手弾きで録音はMTR!
いけませんかぁ! いいじゃない別に!
まぁせめてHD録音機くらいは欲しいのですが。

MIDIで思い出す事は、
遠い昔ワタクシが中学生の頃。
YMOのコピーバンドを同級生とやっていて、
友人がMIDI規格のコルグPOLY≠W00を
買った事。まだあの当時和音演奏が出来る
シンセは非常に高価で、800はそんな時代に
8和音でなおかつコルグ初のMIDI規格。
でもって同じ時期にYMOが散開。
あの時代って凄く微妙で、
1983年の5月に名機YAMAHAのDX7が発売され、
YMOの散開ライブがその年の年末で終演。
どちらかが1年遅かれ早かれしていれば、
きっとYMOの散開ライブは、
MIDIを大々的に取り入れたものだったのではと推測。
当時のステージセットはプロフェット5が主体で、
唯一プロフェットT8という販売直後の
MIDI規格搭載のシンセを一台セット
されてはいたものの、MIDIは使わず
あくまで単体使用。やはりYMOの最後は
アナログで閉めた訳で。
うむっ、でもって昨今は音楽だけでなく、
映像や照明、はたまたドローンまでもが
シンクロしたりと、MIDIも時代と共に
だいぶ変化発展して来ているようで。



会場に入るとまず目に入ってきたのが、
往年の電子楽器たち。
沢山展示された中でも、
気になった楽器をちょこっと紹介。

クリック音の元ネタこと、
これがホントのドンカマですよ。

     

このリズムマシンの面白い所が、
内部構造がオルゴールに似ていて、
丸い盤が回転して、電気接点に
接点が触れて音が鳴る具合で、
オルゴールはピンで音盤をはじき、
ドンカマは接点で音が出る。






初めて見れた、フェアライトCMI。



ざっと言うと、サンプラーやら
簡素なワークステーションとかが
一体化したような、
当時のコンピューター技術の高水準機種。
とでも言えるかどうか、
70~80年の当時価格日本円で1200万円!
色んな意味で未来的な楽器だったけども、
CP技術の発達の早さ故、
あっという間に過去の存在になってしまった、
ちょっと可哀そうなCMI。
最近アプリで復活したようですが興味なし。
スマホ持ってないし、スマホなんていらないし。



もちろん平面でないブラウン管。
バリバリでもう使えないでしょコレ。
日本製だったら今でも使えましたかね。
どうかな?






現物も見れないんだから、
リアパネルなんてかなり貴重なショット。



どうやらMIDIが無い様なので、
初期型と思われ。 nose7






コルグPS≠R100。
全鍵盤ポリフォニックのモンスターシンセ。



鍵盤一つに対し一つのシンセサイザーを
装備したもんだから、とにかく複雑かつ
重量級で故障もかなり多かったみたいで、
ポリモーグ同様中古市場では
ほとんど出回らない爆弾シンセ。
この展示品、YMO楽器展以来
親しくして頂いている方からの情報で、
坂本龍一氏が当時使っていた実機だそうで、
側面には、なるほどこれが証拠ですかね。



って事は、サマーナーヴァスや
千のナイフとかのアルバムや、
紀伊国屋ライブでのあの音な訳で。
なので東風のPVでちらっと見えるのが
コレですね。









して、
展示会場と別フロアにはイベントステージがあり、
ステージ右サイドに展示されていたのが、
今回も大活躍の80年のYMOステージセット。



細野晴臣ブース。

     






高橋ユキヒロ ( 幸宏 ) ブース。



実機同様、アルトサウンドの2&4チャンネルは、
音色をノイズにカスタム。
これでライブで演奏された
ライオット・イン・ラゴスも完全再現。






坂本龍一ブース。



中央メインのポリモーグがワタクシので、
ポリペダルはYMO楽器展実行委員であります
小林淳一さんのものです。
エフェクターも盛沢山。

     






矢野顕子ブース。



隣にひっそりと大村憲司さんのギターも
置かれていました。





そしてステージに一番近い位置には、
松武秀樹ブース。








このTR-808は、
凱旋コンサートで投入された、
販売前のプロトタイプだそうです。
千のナイフで聞けますね。









やっぱりこの日のお目当てはライブ。
松武さん超絶音調整中。




メンバーの皆さんは、
白井良明さん。難波弘之さん。氏家克典さん。
梯郁夫さん。松武秀樹さん。篠田元一さん。
サメポートメンバーは、
根岸孝獅ウん。阿部薫さん。

それぞれのパートの皆さんがMIDIを駆使した
演奏を披露され、MIDIの可能性と
発展性等を体感。
皆さんの持ち曲等も演奏されたりと、
なかでも21世紀の精神異常者では、
難波さんは山達のライブツアー中で、
到着してすぐ本番だったし、
皆さんも多忙の中、ほとんどリハらしい
リハも出来ていないのに、
あの曲をかっちり弾きこなし
合わせるあたり、さすがプロだと脱帽です。
これだけ発達したMIDIでも、
やっぱり人間の演奏技術にはとうてい
敵わないし、MIDIはまだまだ発展途上中。


電子技術の進歩に思う部分があって、
篠田さんがローランドの最高機種である、
ジュピター80のデモ演奏をされていましたが、
説明も含め確かにすごい技術が投入された
シンセだとはわかるのですが、
しかしその半導体技術を必要としている
プレイヤーがどれほど存在しているのか?
自分としては80なのだから、
単純に8の10台分で良かろうに。
と思ってしまうのは考えが古いんだろうか?
なにかこう技術の一人歩き化が否めない気が。
アナログシンセ時代はプレイヤーの
イマジネーションがまだまだ先行し、
電子技術がどうにか後を追う形だったけど、
今はどうだろう ・・・
数年後の音楽業界には、楽器が演奏出来る
ミュージシャンってかなり減る気がします。

しかしながらこの日の皆さんの生演奏は
とても素晴らしかった。
難波さんの機材はぶれずに今でも
ミニコルグとCX3。
けれども氏家さんの演奏する
モデリングキーボードの音に少々
食われていたのが以外で、
モデリングの方が倍音多いのか、
自分の位置がそう聞こえたのか、
ちなみに自分の位置は中央前から4番目。
で、一つだけ難点があり、全体の音量がでかい。
ライブってどうしても音を大きくするのが
鉄板なのですかね。
クラフトワークや山下達郎氏のライブは、
とても心地よい大音量なのだから、
PAの常識や操作技術もこれからは
大事だと思う。


松武さんはいらっしゃるし、
シンセサイザーの発展にはもちろんYMOは
語るに尽くせないし、最後の曲はきっとと、
予想通りYMOの代表曲ライディーで 〆 !
ほぼオリジナルの曲進行で演奏され大満足です。
いい演奏でした。





















ライブのあと毎度のごとくPA装置を見学。





すると発見。
難波さんの名刺だ!
挨拶に来られたのでしょうかね。








会場がラフォーレミュージアム六本木で、
初めて神谷町駅から歩いたけれど、
夜の神谷町。人もまばらでかなり寂しかった ・・・











 MIDIのこれから ・・・ は ・・・



   CUE ~♪














YMO楽器展 横浜赤レンガ 終幕

2015-09-22 11:19:00 | 音楽

いゃぁ~しかしね。
まぁアレですよ。
コレなんですけどね。
ミニかにぱんヨーグルト風味。



一ヶ月程前だろうか、コンビニで初めて見つけて、
とりあえず一つレジまで持っていく途中、
コレはきっとなにかあると、もう一度売り場にもどり、
残っていた三つも入れて四つ全て大人買い。
帰宅して食後に一袋つまんでみるかと
食べ始めたら4袋完食。
ちょいとつまむどころか完食ですからね。
レキゼンとして美味かったわけで、
マルシェで井上可南子さんが作ったパンを買って、
とりあえずご本人に感想をと思い、
近くでパクッとつまんだつもりが止まらず完食に至った
正にアレなわけで。アレですよ ・・・
アレ?ってパンの話じゃなくて、
まぁかにぱんは自分が子供の頃から食べているパンで、
子供の頃ってもちろん昭和時代の話で、
そんな昭和の頃のYMOに心底迄Mされて、
人生やら考え方も変えたのがYMOとの出会い。
想像出来ない未来の音を具現化したかのような、
そんなYMOは未知であり不明確な存在でもあったけど、
YMO楽器展で今こうしてYMOが使っていた
機材を目の前にして、未知なる物や未来も
過去の存在でもあるが未来遺産みたいなようで、
今回の横浜開催から親しくさせて頂いているスタッフの
方との話で、去年の楽器フェアから大阪と横浜と、
もう普通のように当たり前に見ている楽器達だけど、
これって凄い事なんですよね。なんて話しながら、
YMOが好きと言う一つのキーワードから、
人と人が繋がる不思議と必然性を感じながらも。
で、その親しくなった方、なんとも昔の
東京マニアックスで自分が頻繁に出展していた頃に
展示してあった、今回貸し出したワタクシの
ャ梶[モーグを既に見ていたそうで、
世間は狭いと言うか、YMO信者は狭いとでも
言おうか、全ては物が存在する事での人と人の縁。
だから物は尊いんです。



そんな縁から楽器展覧開催中に
YMOファンの集い ( 本題はオフ会 )に参加。
自分なんかこれと言ってYMOに貢献する事なんて
してないけど、ただ単に教授が使っていた
ポリモーグの実機を所持していると言うだけで、
オフ会に参加出来たようなもので、
ポリモーグに感謝です。
ちなみに正確には教授が所持していたわけではなく、
当時松武秀樹さん設立の
音楽制作会社エム・エー・シー / MAC
( Musical Advertising Corps. ) が
教授に貸し出していました。

集いの内容は、松武秀樹さんと、
YMOレコーディングエンジニアの
飯尾芳史さんに、急遽特別参加された
氏家克典さんを迎え、司会はYMO楽器展実行委員会の
小林淳一さんによりYMO暴露トーク?に
盛り上がったわけでして。



会の前半は参加者それぞれが会食と談笑。
この談笑。これが濃かったなぁ。
そもそも相当ディープなファンばかりで、
それぞれが知りうる話の交換みたいなのがあったり、
最新ヴィンテージ楽器事情やらと、
そんなヴィンテージ最新情報では、
TR≠W08の原寸大バックを持って来ていた
方の話から、TR-909が今では
480.000円だとかで驚愕したりと驚きながらも、
つい先日 ( 9月20日 ) に、
野暮用で中野へ外出した時、何気にイシバシ楽器渋谷店に
立ち寄ったらありました、480.000円の909が。
あらホントだなんてビビリながらも、
更にビビッたのが、テスコのSX-210。



中学生の時にとにかく見た目で好きだったシンセ。
雑誌で見てからあれから数十年。現物を初めてみて興奮
していたら、店員さんか音出しましようかとジャックイン!
冷やかしでポリモーグを弾かせてもらい、
その場で買ったしまった過去を思い出しながらも、
憧れのシンセをいじってみた所。
なんともさっぱりとした音で、なおかつ操作性に難あり。
要するにモーグのソースや、
国産ではPoly-61や800と言った感じで、
アナログシンセの醍醐味である、直感を瞬時に
音作りへといざなうそれが出来ない事。
店員さんにどうでしたかと聞かれ、
思ったよりも使いずらかったなんて言ってしまった、
失礼な自分。値段は118.000円。
近くにCS-30が150.000円と、
130.000円で売っていたけど、
末永く音を作っていく楽器として手に入れるのならば
やはりCS-30なのかなぁ。
あの時代ではローランドのJX-8Pや、
DX-7があった時代だしこのSX-210は
時代遅れなのかも知れないけど、
80年代なりにどこか近未来を髣髴させるデザイン。
しからば空山基のイラストに出てきそうな雰囲気でもあり、
悲運もあり数奇な運命を辿って来たテスコなだけに、
入手するのであらばKAWAIではなく、
TEISCO表示のこの機種の希少性が買いかもと。
だいーぶ話しそれたけどファンの集い。
用意された写真やら元音源。
元音源には松武さんは、 「 どっから持って来たの? 」
なんてガチで驚いていたりと、
いろいろと深い裏話で盛り上がりましたが、
用意された2時間はほんの数秒にも感じるほど
あっという間に過ぎて行き、これからも色々な形で
催す予定だそうで期待しております。









して最終日のYMO楽器展に行きまして、
開催中何度か行く予定ではいたけれど、
結局行ったのは初日と最終日の二回のみ。
今回もちゃっかりスタッフとして入っちゃいました。

     






今回はオリンパスOM≠Pを持参。



  






奥のャ潟a[グは小林さんので、
去年の楽器フェアで音出ししていた、
完動品のャ潟a[グ。貴重品ですよ。








大村憲司さんが当時使っていたストラト。

 













  






こちらのオデッセイも去年の楽器フェアで音だし
していた、当時細野さんがパネルの
スライダー位置に印をつけてた実機。

  






最終日だし何か特別な音出しをするだろうと予想し、
スタッフに尋ねたらやはりそうで、
17時過ぎ辺りから松武さん登場。















モーグとイーミューを調整したのち、
シンセサイザーの音の原理をわかりやすく解説。
それとYMO時代の思い出話。
松武さんがあの位置で見れていた表には見えない
YMOの演奏技術の凄さなどを語られ、
いわば松武さんの位置って特等席だし、
手品を後ろから見ているようなものであり、
これぞまさにイエローマジック。








そして最終日だし赤レンガ出入り禁止を覚悟で、
これから演奏しちゃいますと大胆発言。








先ずは松武さん一人で演奏開始。
イーミューで合成した音を、
モーグのシーケンサーで走らせて、
PCの曲と連動しながら、
70年代にヒットした、あの素晴らしい愛をもう一度の
ロジックシステムアレンジのボーカロイドバージョン。
次はキャスタリアと来るべき物となり、








そして一人目のゲストは氏家克典さん。
教授ャWションに就きプロフェット5で、
松武さんとファイヤークラッカーを演奏。
そこから氏家さんがホソノさんャWションに移動し、

  






  






二人目のゲストが実行委員の小林淳一さん。
松武さんとのトークでYMOは中学生からの
ファンだとかの話や、教授機材はほぼ小林さん
所有の気合の入れよう。

  



余談ではありますが、ちゃんと用意されていた
YMOライブには不可欠なキューボックス、
だいぶへたってましたが、
アレ全部当時の実機だそうです。






  



演奏曲はテクノャ潟X。

アンコールではやっぱり東風。



  



松武さんいわく、
アンコールは用意していなかったけど、
あまりの盛り上がりと雰囲気で、
急遽PCから選び出しての演奏。
アドリブ部分では氏家さんがオデッセイで演奏し、
テクノャ潟Xでは松武さんが生声でトキオーではなく
ヨコハマぁ~ ヨコハマぁ~ チャンチャンとアドリブ。
アンコールの演奏前にPC内を捜索しながらも、
オデッセイでメロディ行けるなんて相談し、
大丈夫です。スイッチを変えれば2オクターブ
変えられます何て言って、松武さんは便利ですねぇ。
なんて会場を笑わせたりと。でもそれって冗談ではなく
本当に便利なわけで、今の便利ってなんだろうと思う。
多機能だけが便利ではなく、必要に応じて臨機応変に
対応出来る。便利ってそう言う事。
演奏中前半プロ5もオデもピッチが狂っていたけれど、
演奏しながら耳でピッチを合わせていく、
出来る人であればこれも便利であり、
そして松武さんや氏家さんのように、
長らくこの業界で存在し続けておられるのも、
知識と技術もさることながらユーモアを忘れない
センスの良さとサービス精神。
そして小林さんをはじめ、
実行委員スタッフの方々のYMOへの熱い思い。
YMO楽器展は凄いイベントだとつくずく感じましたわ。





別れ際小林さんに、まだ使うでしょうから
ポリモーグは預けておきますと言ったのですが、
自分としてはこのまま終わってほしくないって意味で、
手元にある以上どうにかしようといった考えも
選考するであろうという希望も兼ねております。
なので又どこかの会場でYMO楽器展開催を
切に希望しております。




松武さんが最後に言われた言葉、

「 これからもシンセサイザーを、よろしくお願いします 」

シンプルながらもとても強く熱く感じました。




 YMO楽器展。

 お疲れ様でした。

 またどこかで ・・・




   来るべきもの ~♪
















祝 YMO楽器展 横浜赤レンガ 開催

2015-08-09 15:31:00 | 音楽

ついに開催です。で、もうしてますが、
8月1日より横浜赤レンガ倉庫1号館2階にて、
70's バイブレーションYOKOHAMAでの
YMO楽器展ですが、自分も今回の展示にともない、
教授が使用していたャ潟a[グの実機の
貸し出しに協力させて頂いている手前、
やはりここは初日に行って一発気合を入れて
なわけじゃないけど、同じYMOを愛する
同士の皆様の元へ行ってまいりました。
そんなこんなで特別に今回は
展示品に近寄る事が出来ましての撮影です。
本気モードっつうか、記録モードでの
撮影はもちろんフィルムです。

今回の使用カメラは、EOS1NDP。
レンズはタムロン17≠R5 f 2.8 と、
シグマ魚眼 f 2.8EX。
フィルムはフィルムはコダカラー400DXN。
スキャナーは CanoScan 4400F です、

して今回のブログに掲載していない写真は、
ブログ掲載写真も含めワタクシの本家HPの
芋屋関連のページにも更新しておきました。

 YMO楽器展 赤レンガ倉庫



しかしポリモーグって良くも悪くもとにかく究極の
シンセサイザーで、悪いとされている箇所を
修理しても、今度は別の劣化した箇所に負担がかかり
又壊れると言った悪循環が付きまとう楽器だから、
結局は全箇所手をつけると言った事になり、
日本にはポリモーグ直せる人は三人しかいないらしく、
長い目で見て数年修理を待つなんて事もあり、
しかも修理費なんてほぼ言い値。
まるでカウンター席で寿司もしくは、
予約して1日1組のみのレストランのような感じ。
それこそ宝くじ当たらないと直せませんよ。
でも金あるからって直るものでも無いと言った、
そんな意味不明なシンセなのです。
近年ミニモーグボイジャーや
リトルファティーなんかも販売したし、
さしてやチューニングが完全アナログボリュームの
オールドスクールや、
往年のモジュラーも復活販売しているし、
もうあとはポリモーグの復活ですかね。
まぁ汚名をを粉砕するがごとく、
名前はポリモーグエリートとかで。
現代技術の粋を投入した、
故障しない優秀な楽器と言う思いも込めて。
しかしながら当時ポリモーグには、
ロバートモーグ博士は一切かかわったいなかった訳で。






















  

































  

  





























  



































 


会場にいらした松武秀樹さんに、
松武秀樹さんの本、
たった一人のフルバンドにサインを
して頂けたアメイジングな初日。
表紙に挟んでいる白い紙は、
Ⅲc松武モデルを自分で作った時の、
アキバでのツマミやらの領収書。
ちなみに松武モデル作成には、
この本が一番参考になりましてね。


 









様々な年代層がこのイベントに出会い、
色々な感想を持つであろうこの
YMO楽器展。

大村憲司さんもきっとあちらの世界から
高みの見物をされている事でしょう。


  在広東少年 ~♪