続 時の往復 neo

過去⇔現在⇔未来

未来人に物申す

2016-05-14 23:54:00 |  ・・・ 
2062年の未来から来たと言う
未来人こと、2062年氏よ。
次に氏が来るとされる5月17日。
いったい何が起こるのだ。
いや何かが起こるのだろうか。

2011年7月22日を境に、
次に来るのは2016年4月15日と言い
実際その日を中心に大きな災害が起きた。
そして問題の5月17日が迫っている。
行動してほしい。そして
時に身を委ねてほしいと。

結論として2062年氏。
氏は紛れもない今を生きる現代人であり、
未来人では無い事をここで言っておく。
人はタイムトラベルは出来ない。
ジョンタイターのタイムマシンは
理論上は理にかなっているらしいが、
理論と実践とではあまりにもかけ離れすぎている。

恐らく2062年氏。
自身の判断でもしくはどこかしらの反骨心や
人としての情けからのコメントか。
でなければこの先の自然災害とされる
事柄を告げたりはしないだろう。

自然災害。そうしておくとして、
自分の様な一般平民にとっては
到底行き付く事の出来ない
領域があるとしてみる。
2062年氏、氏はそこに籍を置く
人物である可能性もあるとしてみよう。
正式な場所での発言ではなく、
あえて2ちゃんねると言う場所で公表することで
眉唾的内容でもあり、かつ信じる者は救われる
的な意味合いもあるのであろうか。
かと言って正式な場所やメディアに露出
したところで、オカルト扱いで
バラエティー枠としての受け入れかもしれない。
ネットの普及を考えると、
いわば2ちゃんねるとは考えた結果だろう。

ここ最近多くの人々に認識され始めた
ガイドストーンやジェイドヘルム。
チンパンコンパン。
ビルダーバーグ会議。
ケムトレイル。
そしてもっとも注目すべき
パナマ文章の漏洩。
支配し頂点に立つ者とすれば
パナマ文章なんて全く関係の無い事だろうが、
一人間としての自由を求めるとして、
支配された仕組みに囚われない為にも
マイナンバーの拒否や携帯端末等の非所持を
したところで、水槽の中の魚は
エサが必要で、水やフィルター交換が
なくては死滅してしまうし、
水槽からどび出した魚は死んでしまう。
我々がそうだとは思いたくはないが、
2062年氏の言う時に身を委ねるのだは、
いささか聞き流すには考えが募る。

しかし今の時代、
インターネットの普及から、
ネットが無かった時代よりも
多くの情報が入り交じり、
それら大量の情報から人々は真実を
見分けなければいけない
大変な時代になってしまった。

ただ各々自分自身が身をもって感じた事、
それは誰もが確かで事実であるわけで
熊本地震の直前で関東に起きた地震。
あれは初めての種類で、
地震というよりも何かが爆発したかのような
衝撃だった事は確かである。

オバマ大統領は伊勢志摩サミットのあと、
広島に来るとの事で、
核の無い平和なキーワードどしては、
非常に進歩的な行動だと思うが、
核の最多所持国の大統領が皮肉なものだが、
2062年氏が又訪れると言う
5月17日前後で何かが起これば、
それどころでは無くなるのは歴然なわけだ。

2062年氏よ。
人為的となるといくらでも
この先起こる災害を伝言するのはたやすいわな。

最後に思うのは、
大量の真実とデマで人々は困惑するだろう。
そこに潜むのは、本当に重要で大事な事
それらを見落としてしまう事だと思う。
考えれば考えるだけ真実が何か分からなくなる。

 『 時に身を委ねるのだ 』

悲しい言葉だが、
2062年氏が一番伝えようとしているのは、
この言葉なのかも知れない。




数日後この文章を読み返して、
下らない事書いたなと笑っている
自分を想像している。













冨田勲さんに哀悼の意を

2016-05-10 00:28:00 | 音楽
2016年5月5日に旅立たれた
世界のTOMITAこと
日本電子音楽界の国民遺産
冨田勲さんについて。

もう他ではTOMITAさんの
功績はいくらでも書かれているので、
ここでは自分の思い出なんかを
語ってみる事にします。

冨田勲サウンドとの出会い。
始まりはYMO。
小学6年の時に友人宅で初めて
YMOのLPマルチプライスを聞いてから
シンセサイザー音楽に興味を持ち、
シンセサイザー音楽の探求から
おのずと行き付くTOMITAサウンド。
中学1年の頃だったか。
定番 『 月の光 』 でしたが、
クラッシック音楽に興味のない人に
クラッシック音楽の垣根を取っ払った
かの様な印象でしたね。
とてつもなく表現力のはっきりとしたアレンジで
何と形容し表現したら良いのかと
思いながらも、冨田さんご本人が
おっしゃられた 「 音のアニメーション 」
正にそれで、聞くたびに頭の中で
物語が展開する音楽に非常に引き込まれ、
YMOとはまるで水と油くらいの違いだけれど、
両者全くここでも垣根無く聴いていた事を
今でもそうだけど思い出す。


中学2年の頃だったかな ・・・
リンツで初めて冨田さんがサウンドクラウドを
成功させ、帰国後のトークイベントが
高田馬場で開催され見に行きましたね。
誘った友人が功(いさお)というだけで、
強引に誘った思い出があって、
サウンドクラウドを会場で再現ってのが
目当てで行ったものの、トーク序盤から
かなり長いトークが続き、
周りでは頭をコックリコックリと
居眠りする人もいて、もちろん自分は
聞き入っていたけど、友人もそのコックリ
面子ではあったものの、トークも終わり
会場に設置されたサウンドクラウド
システムがいよいよ音出しの時には
さすがに大音量って事もあり、
皆目を覚まし聞き入りましたね。
たしかプロジェクターかなんかの
大画面でリンツでの会場の映像も
流れた記憶も。とにかくそれが冨田さんを
目の前で拝見した最初で最後ですかね。

次に拝見したのが横浜山下公園。
何とあのサウンドクラウドが
横浜で体感出来るとあってしかも無料!
さすがバブル直前なだけあってか?
興奮したなぁ。
正午から場所取りで行って、
花火大会とのコラボなだけに、
半数の客がサウンドクラウド?ナニ?
だったんじゃないかね。
しかしいざ始まって皆さぞびっくり
したんじゃぁなかろうか。
最近すっかり見なくなった
レーザーでの演出と花火
それらがTOMITAサウンドとシンクロし
シークレットゲストのスティービーワンダーが
UFOに乗って現れたからね。
当時状況を知らない山下公園付近に
居合わせた人々らのUFO騒ぎが
起こったなんてのは当時の都市伝説
と言っておきますが。
自分的には本番は凄く感動したけど、
リハでのスピーカーチェック。
これにも大興奮しましてね、
海に設置と観客挟んで山下公園後方に設置
された複数のスピーカー全てから、
チェックノイズが順番に鳴って、
ャ塔b … ビー … ガー … ゴー と、
おぉーっ俺、スピーカーに囲まれてるぅ。
まさに音の雲の中だ! な感じでwww
あんな事もうやらないんだろうなぁ ・・・
何もかもは時代です ・・・ 時代 ・・・




その時に入手したチラシがこちら。







1989年7月23日。
第4回海の祭典・横浜開港130周年記念。







ゲストも大物ぞろい。








とまぁこんな感じで、
そのあとはテレビで拝見したり、
くしくもイベントではタイミング悪く
お会い出来なかったりと、
それでも冨田勲さんへの尊敬は変わらずに。
そう言えば高校受験の時、
受験した高校での面接でありがちな、
尊敬する人はの質問で、
だいたいの生徒は両親だとか、
聖徳太子、はたまた時の政治家とかだけど、
自分は冨田勲さんと答えて、
面接官の先生に誰ですかと返され、
有名な音楽家ですと返答。
自分電気科受けたのになんで
電気系統の先生が知らないなんてと
勝手に思ったりして、
しかもその面接官の先生が
冨田さんに何処か似てるわけで。
まぁ運よく入学出来てその先生には
直接授業を受ける事はなかったけど、
校舎でその先生を見かけるたびに
あっ冨田さんに似た先生だと
いつも心の中でつぶやいて、
ほろ苦い思い出ですが。
  ↑
 初恋じゃぁあるまいしw




とにかく冨田さんの素晴らしさって
ホントに書いたらきりがなく、
書くより聴きましょって事で。
自分が今でも感じている事は、
今現在これだけエレクトロニクス及び
テクノロジーが進化を遂げているのに
当時のアナログのモーグモジュラーで
冨田さんが作成された作品を超える
表現力も音も作品も無いと言う事。
モノってもちろん進化発展するけど、
人の表現やセンスって、
物の進化にはさほど関係ないのでは。
そう考えると冨田勲さんがこの時代に生まれ、
この時代に作品を残したのには
なにか大きな意味があると思う。
その意味って今自分でははっきりと
言葉として表すにはまだ先になりそうで、
きっと残された現代人への
メッセージなのかもしれない。


冨田勲大先生。
有難うございました。
最後に一言
言わせて下さい。


 GOOD JOB good







 新日本紀行のテーマ ~♪





       bye