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のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『イミテーション・ゲーム』続報

2014-07-02 | 映画
おおっと!
そこにいるのはチャールズ・ダンスではございませんか?

‘The Imitation Game’: New Looks At Benedict Cumberbatch As Alan Turing, Keira Knightley, Mark Strong & Charles Dance  | Flicks and Bits

チャールズ・ダンスとマーク・ストロングが共演するとしたら、きっと「世界制服を企む悪のナントカとその息子」みたいな配役であろうかと想像しておりましたが、違いました。残念。IMDBで確認した所、チャールズ・ダンスが演じるのは政府暗号学校(Government Code and Cypher School、以下、略称GC&CSで表記)の長官であったアラステア・デニストンのようです。

Alastair Denniston - Wikipedia, the free encyclopedia

デニストンは第一次世界大戦が勃発した1914年、イギリス海軍の暗号解読機関「ルーム40」の設立に関わった人物で、戦後は陸軍の同種機関「MI1b」との統合により1919年に発足したGC&CSの運営を任されます。
1939年、第二次世界大戦の開戦を受けてGC&CSは大幅に規模を拡張するものの、1941年、アラン・チューリングをはじめとする4人の主要な暗号解読者が、人員不足によって解読作業に支障をきたしていることを、チャーチル首相に書面で直訴します。直訴、というのはつまり、長官であるデニストンの頭越しに行ったということです。しかもその書面ではデニストンについては言及せず、代わりに副官であったエドワード・トラヴィスを「精力的で先見の明がある」と讃えておりました。
チャーチルはそれに応えて即座にGC&CSの人員や資材を増強。3ヶ月後には組織が再編され、デニストンは事実上の格下げ・異動となります。デニストンの後任として実質的な長官となったのは、書面でチューリングらが推したトラヴィスでした。トラヴィスは組織運営の改善に大きな役割を果たし、1952年まで長官を務めたのでした。(なお日本版Wikipediaの「政府暗号学校」の項では、このあたりの記述が混乱しており、デニストンではなくトラヴィスが批判されたことになっております。)

またデニストン降格の要因は、チューリングらからの直訴だけでではなく、デニストンとMI6長官スチュワート・メンジースとの個人的確執が絡んでいたという見方もございます。
ということは、劇中でデニストンとメンジースの睨み合いシーンなんてものがあるかもしれません。
以前の記事でご紹介したように、このメンジースを演じるのがマーク・ストロング。新旧「ダンディな悪党」対決が見られそうでワクワクいたします。まあ、この映画ではチャールズ・ダンスもマーク・ストロングも悪党ではないんですけれども。

ワタクシにとってこの作品における唯一の不安材料は、ヒロインを演じるのがキーラ・ナイトレイであるという点でございます。この人は当代きっての売れっ子ではありますし、たいへん美人でもあるのですが、『パイレーツ・オブ・カリビアン』での、見ているのが苦痛になるほどの大根演技をワタクシは忘れることができません。それ以来、この人の出演している映画は慎重に避けて来たわけですが、今回ばかりは避けるわけにはまいりません。
せめて彼女が『パイレーツ~』以降の10年の間に、見ている側が苦痛に感じなくても済むくらいの演技力を、身につけて下さっていることを期待することにいたします。


『Closer to the Moon』の背景

2014-06-12 | 映画
前回の記事の最後で、マーク・ストロング主演の新作映画『Closer to the Moon』をご紹介しました。実際にあった銀行強盗事件を下敷きとしたお話ということですので、今回はその事件について取り上げようと思います。

以下の情報はおおむねWikipediaのNational Bank of RomaniaおよびIoanid Gangの項に基づいております。

1959年7月28日、ルーマニアの首都ブカレストで、国立銀行の輸送車が6人の武装集団に襲われ、現金160万レイが奪われます。この金額は当時の米ドルに換算すると25万ドル、円に換算すると9千万円となります。
事件の捜査にあたった同国の秘密警察「セクリタテア」は2ヶ月の間に容疑者たちを逮捕。夜間の急襲によって逮捕された6人はアレクサンドルとパウルのイヨアニード兄弟をはじめ全員ユダヤ人であり、独裁政権であったルーマニア共産党における幹部や党員でもありました。6人の誰1人として、事件の目撃者(とされる人々)から直接にこの人物だと同定された者はいなかったものの、裁判によって全員に死刑判決が下されます。
翌1960年、政府はこの銀行強盗事件を題材とした党員向けのプロパガンダ映画「Reconstituirea(=Reconstraction)」を公開。映画の中では強盗犯を演じていたのは俳優ではなく、イヨアニード兄弟ら自身でした。
死刑囚である彼らが本人役で映画に出演するというグロテスクな企画に協力したのは、減刑を期待したためであったと考えられますが、その年のうちに、6人のうちただ1人女性であったモニカ・セヴィアヌを除いてみな処刑されます。彼女は母親であったため終身刑に減刑され、1964年に恩赦により釈放されたのち、1970年にイスラエルに移住しました。

以上がこの事件の表向きの顛末でございます。
表向き、と申しますのは、この「顛末」には、今も解消されない矛盾や疑惑がいくつもあるからでございます。

まず、当時のルーマニアは秘密警察が跋扈し、盗聴や密告が日常茶飯事の監視国家であったことから、6人ものグループが誰にも知られずに強盗の計画を立て、実行に移すというのは非常に難しいことでした。容疑者の1人は事件に先立つ数ヶ月の間、自分がセクリタテアによって尾行されている上、自宅向かいの建物から監視されていることに気づいておりましたし、6人の電話はやはり事件の数ヶ月前から盗聴されておりました。上に名前を挙げましたアレクサンドル・イヨアニードは自身がセクリタテアの幹部でしたから、国家による水も漏らさぬ監視体制を知らなかったわけがありません。

動機も矛盾しております。容疑者たちはイスラエルのシオニスト団体に送金するために強盗を働いた、というかどで訴追されましたが、当時ルーマニア・レイは世界のどの通貨にも換金できませんでした。つまり外国に送った所でしょうがないお金であったわけです。一方、容疑者らが犯したとされる他の様々な罪状は、イデオロギーに関するものばかりで、いずれも強盗事件とは関係のないものでした。
ちなみにそうした罪状のひとつに、セクリタテアの長官であったアレクサンドル・ドラギーチの暗殺計画がありました。アレクサンドル・イヨアニードは、上司にあたるドラギーチの妻の妹と結婚しておりましたが、事件の少し前に離婚しており、そのためにドラギーチの恨みを買ったという説もあります。

事件後、容疑者たちは奪った金で贅沢三昧を楽しんだということになっておりますが、この時代のルーマニアにおいて、派手に金を使って当局から睨まれずに済むわけがないというのは、誰しも分かっていることでした。なんともおかしなことに、映画の撮影時には「贅沢な暮らしぶりを再現」するために、撮影現場である容疑者の自宅に、わざわざ家具や絨毯やカーテンを運び入れなければならなかったのです。つまり、実際は贅沢な暮らしなどしていなかったということです。容疑者の1人であったイゴール・セヴィアヌだけは事件の後で金回りがよくなったようですが、これは事件当時、容疑者の中では唯一無職であった彼に、当局が金を掴ませたためではないかとも疑われております。

以上の矛盾点、および当時のルーマニアにおける冤罪の多さから、この銀行強盗事件は当局による自作自演だったのではないかとの推測が成り立ちます。考えられる目的はいくつかあります。

・政府によるセクリタテア幹部のパージを正当化するため。(事件を速やかに解決できなかったかどで、担当者を罷免できる)
・政府や党の高位からユダヤ人を排斥するため。
・処刑されたと偽って5人の履歴を消し、海外でエージェントとして活用するため。

容疑者は秘密警察幹部の他、ジャーナリスト、歴史学教授、物理学者というインテリ揃いで、全員が自国の状況をよく認識していたであろうこと、そして家族の証言や当時の政治状況から鑑みて、容疑者たちが家族の安全を質に脅迫されていた一方、犯行を認めるのと引き換えに、減刑や国外への移住を約束されていたという見方もあります。(その場合、政府側の約束は果たされなかったことになるわけですが。)
強盗事件の直後、ルーマニア国外に出ることさえも難しい時代であったにも関わらず、セクリタテア幹部の1人であったユダヤ人で、容疑者たちの「友人」とされている人物が、家族とともにブラジルに移住するというたいへん稀なことが起きていることから、この人物は容疑者たちと政府との連絡役であり、その報酬として移住を許されたのではないかという説もあります。


とまあ、これが「共産圏で最も有名な銀行強盗」とされる事件の概要であり、この事件に基づいた映画が『Closer to the Moon』でございます。マーク・ストロングが演じるマックス・ローゼンタールは「警察幹部」といいうことですから、おそらくアレクサンドル・イヨアニードをモデルとしているのでございましょう。実際の事件は喜劇的とは言い難いものですが、映画の方は「ブラックジョークのきいたコメディ・ドラマ」と紹介されておりまして、あまり身構えずに楽しめる作品となっているようです。
今のところ、評判も上々。予告編を見るかぎりソーターさんは文句なくカッコいいことですし、今後の拡大公開が待たれる所でございます。
ワタクシの目下の最大の懸念は、超有名ってわけでもない俳優陣と超有名ってわけでもない監督によるルーマニア映画が、果たして日本で公開されるのかという点でございますの。...

マーク・ストロングばなしもろもろ(最後に追記あり)

2014-06-03 | 映画
「ジンロ・ミクスト レッドペッパー」にはまっております。
常温ストレートでちびちびといただきます。

それはさておき
ソーターさんことマーク・ストロングの新作『キングスマン ザ・シークレット・サービス』の予告編が公開されました。



去年公開された『Mindscape』(北米でのタイトルは『Anna』)の紹介をいまもってスルーしておりますのは、マーク・ストロング主演とはいえ、予告編を見るかぎりではいろんな映画の寄せ集め&焼き直しのような印象で、あんまり心惹かれないからでございます。一方この『キングスマン』、ソーターさんの出演は少なそうですけれども、映画としてはなかなか期待できそうです。
ところでうちのMacさんは「きたいできそう」を「北出徽宗」と変換なさいました。実際に徽宗さんが辿った運命を考えると、何やらもの悲しい変換でございます。

徽宗忌 - のろや

閑話休題。
出演者はソーターさんの他、コリン・ファース、サミュエル・L・ジャクソン、マイケル・ケイン、そしてルーク・スカイウォーカーもといマーク・ハミル。バットマンおよび『裏切りのサーカス』繋がりで、ゲイリー・オールドマンに友情出演していただきたい所です。
監督と原作者が『キック・アス』と同じマシュー・ヴォーンとマーク・ミラーというのが、ワタクシにとっては不安材料ではあります。しかし同じヴォーン監督作品でも『スターダスト』はワタクシの大好きな映画であって、つまり監督との相性が徹底的に悪いというわけではないはずですし、少なくとも本作は10歳の少女が人を殺しまくるような話ではなさそうですから、あまり予断を持たずに公開を待ちたいと思います。

↓の映像では『キングスマン』の他、ベネディクト・カンバーバッチが暗号解読者アラン・チューリングを演じる新作『Imitation Game』についても語っておいでです。

Mark Strong on 'The Imitation Game', spies and 'The Secret Service' - Video - Digital Spy

蝶ネクタイ着用のマーク・ストロング。うーむ、何て似合わないんでしょう笑。
背景からして、おそらく今年4月の映像かと思われます。『Imitation Game』の撮影は完了し、現在は編集の最終段階であるとのこと。ソーターさんはチューリングを抜擢したMI6長官スチュワート・メンジーズを演じてらっしゃるそうで。『ワールド・オブ・ライズ』、『ゼロ・ダーク・サーティ』に続いて、諜報機関の司令塔を演じるのは3回目になりますね。(いつかフランシス・ウォルシンガムを演じてくれないかなあ!)「いわば全てのカードを手のうちに持っている男」ですって。ワクワクしますね。

そしてこちらはニコール・キッドマン主演の『Before I Go to Sleep』のポスター。
HOLLYWOOD SPY: FIRST POSTER FOR 'BEFORE I GO TO SLEEP' THRILLER WITH NICOLE KIDMAN, MARK STRONG & COLIN FIRTH!

脇を固めるのはソーターさんとコリン・ファース。コリン・ファースとは『僕のプレミア・ライフ』、『裏切りのサーカス』、そして上記の『キングスマン』に続き、4回目の共演となります。キッドマン演じるクリスティーンは、一晩寝て目覚めると前日までの記憶を失っているという特殊な記憶障害を持った女性で、自分がどこの誰なのかを毎朝彼女に説明して聞かせる夫がファース、彼女が記憶を書き留めておくのを密かに支援する医師がソーターさん。それにしてもニコール・キッドマンって、幸福な女性を演じることがめったとないような気がしますな。

お次はコメディ。なんとまあ、サシャ・バロン・コーエンのお兄ちゃんの役でございます。

Sacha Baron Cohen will be bros with Mark Strong in Grimsby - Movie News | JoBlo.com

Mark Strong To Play Sacha Baron Cohen's Brother In Spy Comedy 'Grimsby' - CinemaBlend.com

ええ、『ボラット』のサシャ・バロン・コーエンでございます。ワタクシはこんな名前ではありますが「どっきりカメラ」的なものが嫌いなもので、以前はサシャ・バロン・コーエンと聞いただけでもう敬遠したくなったものでございます。しかし『ヒューゴの不思議な発明』での意外な好演を見てから、ちょっと評価を改めました。
この映画、時代設定などの詳細はまだ分かりませんが、マーク・ストロングが演じるのは英国特殊部隊のエージェントで、長い間音信不通だったサッカー狂の弟(コーエン)と一緒に逃避行をするはめになる、というストーリーとのこと。「ボンド映画のパロディ」と言われますとちょっと不安がつのりますけれども、どんな色合いの作品になるのであれ、ソーターさんに尾籠なギャグをやらせるのだけは控えていただきたいものと思っております。

最後に、投票式の「マーク・ストロング出演映画リスト」。誰でも投票できるようです。
Mark Strong Movies List: Best to Worst

『Sunshine』というタイトルのものが二つありますが、片方はダニー・ボイル監督による秀作SFの『サンシャイン2057』、もう片方はハンガリーを舞台とした史劇『太陽の雫』(アイコンの予告編は間違い)でございます。

ワタクシはとりあえず『スターダスト』を上げて『キック・アス』を下げておきました。しかしこれがもし「マーク・ストロングが演じたキャラクターリスト」だったら、『リボルバー』のソーターと『ロックンローラ』のアーチーおじさんと『ワールド・オブ・ライズ』のハニと『スターダスト』のセプティマスの間でどう序列をつけようか、大いに悩む所でございます。スピンオフ作品を作ってほしいキ
ャラクターということでしたら、迷わずソーターに一票投じますけれども。



と、ここで一旦記事を投稿したわけですが、その後『Closet to the Moon』の予告編を見つけてしまいました。



『The Long Firm』のハリー・スタークスを彷彿とさせる粋なファッションのマーク・ストロング。いや~カッコイイですねえ。
お話の舞台は1959年、一党独裁体制の警察国家であったルーマニア。首都ブカレストの国立銀行で、白昼堂々、映画の撮影を装った強盗事件が起きます。首謀者であるユダヤ人、マックス・ローゼンタールを始めとした5人の下手人たちはのちに全員逮捕され、処刑を待つ身となってしまいますが、政府のプロパガンダ映画のために、カメラの前で自分たちの犯行を「再演」するよう命じられ…というもの。
こりゃあ面白そうです。しかも驚いたことに、実話に基づいているとのこと。
どのくらいどんなふうに基づいているのかしらん、と思って、実際の事件についてWikipediaを覗いてみました所、政府による陰謀説や裏取引き説が載っておりまして、これまたたいへん興味深いものでした。せっかくですので、別の機会にきちんとご紹介しようと思います。


『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』

2014-05-17 | 映画
「1992年に『エイリアン2』の真似をしてお前の指に穴を空けたろ」


流行った!それ流行った!
みんなナイフじゃなくてシャーペンでやってたけど!
と、膝を打って叫びたい所でございました。

いうわけで
『ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!』を観てまいりました。

故郷のパブめぐりが転じてエイリアンとの対決に至ってしまうという、サブタイトルが示す通りの壮大なバカ映画で、非常に楽しかったのですよ。そして以外ときちんとした作りの映画でございました。
きちんと、とはどういうことかと申しますと、視覚的にもお話の運びにも「おバカコメディなんだからこの程度でいいよね」という手抜き感がなく、それとなく張られた数々の伏線も見事で、パロディもあるけれども元ネタを知らなくても楽しめる、などなど。むちゃくちゃな話のようでいて、実はたいへん丁寧に作られたコメディ映画という感じがいたします。

映画『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』予告編


”敵”の首や手足が文字通りポンッと取れるシーンなどもありますが、何しろ相手はロボットもどきなので、例えば『キック・アス』のように残虐な絵になることはなく、そういう点でも安心して見られる作品でございます。(『キック・アス』といえば少し前に続編の『ジャスティス・フォーエバー』が公開されておりましたけれども、前作のラスト、麻薬を売りさばいた金であがなった兵器を使って、ギャングとはいえ何人もの人を問答無用で殺している時点で、主人公はもはやジャスティスとは呼べないと思うのです。人が死んでも笑えてしまうコメディというのはありますけれども、『キック・アス』については、主人公の当初の動機がわりと真面目なものであっただけに、後半の過剰な暴力は笑えませんでした。)

また主人公ゲイリー・キングの、清々しいまでのダメッぷりがいいんですね。膝まで届くロングコートにシルバーアクセサリーじゃらじゃら、というふた昔前にカッコ良かったファッションでいまだに身を固めた四十路男、というだけなら人畜無害でございますが、人の話は聞かないわ、都合のいい事しか覚えてないわ、借りた金は返さないわ、得意顔で下らないジョークを飛ばすわ、まあ本当にどうしようもない奴でございまして、あまりのイタさにいっそ見ていて愛おしくなってくるぐらいの代物でございます。ゲイリーと他の登場人物との、テンポはいいのにひたすら噛み合ないやりとりがすごく可笑しいんですけれども、字幕をつけるのは大変だったのではないかと思います。
一歩間違えばうるさくてめんどくさいだけの不快なダメ男になりかねないゲイリーを、一抹の哀愁と否み難い愛嬌を備えたそれなりに魅力あるダメ男に仕上げているのは、演じているサイモン・ペグが上手いんでございましょうね。
『ホット・ファズ』は見逃し『ショーン・オブ・ザ・デッド』はスルーしたワタクシは、サイモン・ペグというと『スター・トレック イントゥ・ダークネス』のスコッティしか知らないんでございますが、あれも大変よかったですね。あの作品で一番オトコマエだったのは、スポックさんでも船長でもなくスコッティですよ、いや本当の話。この2作品だけで、ワタクシすっかりサイモン・ペグ・ファンになりましたとも。

で、そのペグ演じるゲイリー・キング、20年前はイケてる若者だったのですが、その栄光の時代から全く抜け出せないままでおっさんになってしまいました。予告編では「悪ガキ5人組が帰って来た」と言っておりますが、悪ガキ気分なのはゲイリーだけであって、他の4人はそれぞれ家庭を持ったりキャリアを築いたり、まあ順当な社会人生活を営んでおります。そこへ90年代で時が止まっているゲイリーが押しかけ、あの時達成できなかった連続パブ巡りをやろうぜ、と強引な招集をかける所から、人類の命運を(結果的に)賭けた酔っぱらいツアーが幕を開けるのでございました。当然ゲイリーひとりがノリノリで、あとの4人はシブシブ。しかし何だかんだで酒も入り、思い出話も出て来、また事態が抜き差しならない状況になるにしたがって、かつての悪ガキ仲間の感覚が徐々に戻って行くさまは、なかなか微笑ましいものでございました。



あくまでもコメディなのであんまり湿っぽくなることはございませんが、しんみりとする場面もあり。世界のマクドナルド化ならぬスターバックス化への皮肉もあり。そして、これ昔よくラジオでかかってたよなあ、と懐かしくなる楽曲あり。とにかく総合点が高く、たいへん楽しめる作品かと。
ラストはまあ、力技ではございましたけれども、話が大きくなるにつれ、これどう収拾つけるんだろう、まさか夢オチではあるまいな、とちょっと心配していたワタクシとしては、それなりに納得のいく着地点でございました。何より、「ダメ男がダメなりに頑張ったら世界が救われた」のではなく「ダメ男がダメさをどこまでも貫いた結果、なんか世界が救われちゃった」という展開が実にアホらしくて爽やかでございます。

ただこの作品、ひょっとするとワタクシはおうちで一人でDVD鑑賞した方がもっと楽しめたかもな、とは思いました。冒頭に掲げた台詞をはじめ、手を叩いてぎゃっはっはと思いっきり笑いたい所が、ずいぶんありましたので。

『アクト・オブ・キリング』

2014-04-29 | 映画
なかなかきちんとした感想が書けそうにありませんが、ぜひ多くの人に見ていただきたい作品ですございまので、これだけは申し上げておこうかと。

すっ ごい映画でした。

映画「アクト・オブ・キリング」公式サイト

何がどうすごいのかを説明しないことには全く説得力がないのでございますが、ワタクシにはそう簡単に説明できそうにありません。
とにかく、少しでも興味を持たれた方はぜひ観に行っていただきたいと思います。興味をお持ちでない方も引っ張って観に行っていただきたい所です。
おぞましいのにコミカルで、緊張を強いられるかと思えばえらい脱力感に見舞われ、くらくらするほどシュールな一方、所々に既視感がございます。(例えばある殺人者が自分の行為を正当化するために持ち出す「自分たちだけが悪いのではない」「そういう時代だった」といった言い分は、戦争犯罪を正当化する歴史改竄主義者の言い分にそっくりです。)
これからパンフをじっくり読んだ上、人が加害者(傍観や見て見ぬ振りを含む)となる時、いかにして加害行為と「悪」や「罪」を切り離すのかといったことについて考えたいと思います。

なお4月18日付『週刊金曜日』「闘うアート」特集号には、ジョシュア・オッペンハイマー監督のインタヴューが掲載されておりました。『くるくる総理』の風間サチコさんや風刺漫画家ラルフ・ステッドマン氏のインタヴューなどもあり、なかなか面白かったです。まあ、STAP細胞騒動を茶化した面白くもない架空対談に1ページ割くくらいなら、そのスペースでアイ・ウェイウェイを取り上げろよな、とは思いましたけれど。

『MvA』のこと・登場人物その3

2014-04-19 | 映画
需要の有無に関わらずひたすら『モンスターvsエイリアン』について語っていくシリーズ。
『MvA』のこと・登場人物その2(追記あり)の続きでございます。

今回はリンクとボブ。

ザ・ミッシング・リンク

The Missing Link - Monsters vs. Aliens Wiki

体育会系半魚人。いわゆる脳筋というやつです。元ネタは1954年の映画『大アマゾンの半魚人』ですが、リンクはアマゾンでひっそり暮らしていたわけではなく、2万年の間氷づけになっていたのを発見・捕獲されたのでした。2万年のブランクがある割には現代の技術や慣習に難なく適応したようで、TVゲームやスポーツ観戦、車や飛行機の運転が大好きときております。TVの前のソファに陣取ってスナック菓子を食べ散らかし、一人で盛り上がりながらアメフト観戦している姿などを見ますと「絶対いるいるこういう奴」と頷かずにはいられません。

映画をご覧になったかたは「TVの前のソファ」とは何のことかとお思いんなるかもしれませんね。映画では、モンスターたちには寒々とした監獄のような場所に収容されいたのに対し、TVシリーズの方ではもっときちんとした居住空間が与えられておりますし、基地内の移動も自由で、外出もそれほど厳しく制限されてはいないようです。

”ザ・ミッシング・リンク”とフルネームで呼ばれることはほとんどないリンク、他のキャラクターと比べるとそれほど個性的とは言えませんが、ドクやボブがそれぞれ違った方向に浮世離れしており、スーザンはあくまでも良い子の規範に則って行動しようとするのに対し、リンクのみ徹頭徹尾俗っぽいというのが面白い所。エイリアンの美女を口説こうとしてそのつどボコボコにされたり、イオン反応炉(何やら分かりませんが)を日焼けマシンとして使った上、スイッチを切り忘れて基地全体に退避警報を鳴らしてしまうなど、リンクならではの騒動でございます。
チーム・モンスターの中では基本的にやんちゃな筋肉要員なのですが、映画ではその特性がほとんど活かされなかったのが残念でございます。映画の出来が全体としてはもう一つであったことについては、別の記事で述べせていただきたく。とにかくせっかくの魅力的なキャラを活かしきれなかったというのは大きいと思います。

ドク・ローチとは悪態をつき合う仲、と言いますか、リンクは基本的にドクの発明を信用しておりません(むべなるかな)。ドクはドクで、普段大口を叩いているくせにドクやスーザンよりビビリで、何かというとキャー!と悲鳴を上げるリンクにしばしば冷たい眼差しを注いでおります。それでもいざ誰かにいたずらを仕掛けるという話になると素晴らしいコンビネーションを発揮するのがこの2人であって、おかげでエイプリルフールにはスーザンが酷い目にあっておりました。

映画版の声の吹き込みはウィル・アーネット。何となくリンクみたいな顔の人を想像していたのですが、写真を見たら普通の男前でございました。TV版の方で声を担当したディードリック・ベイダーさんはちとリンク寄りの風貌でいらっしゃいます。


B.O.B(ボブ)



遺伝子組み換えトマトに化学的に加工したドレッシングを注入した結果生まれたスライム状の生物、ベンゾエイト・オスティレンジン・ バイカーボネイト、略してボブ。 ”benzoate”は安息化酸エステル、”bicarbonate”は重炭酸塩、間の”ostylezene”というのは造語のようです。
変形自在で破壊不可能、そして何でも食べます。「秀才君・暴れん坊・食いしん坊」というのは黄金のトリオでございますね。

Wikiaによると、捕獲されたのは1958年。リンクの捕獲が1961年でドクが翌1962年ということなので、チーム・モンスターの中では一番古顔ということになります。1958年というのはボブの元ネタとなった映画『The Blob』(邦題『マックイーンの絶対の危機』、TV放送時のタイトルは『人食いアメーバの恐怖』)が公開された年なのだそうで。ドクの元ネタ『蝿男の恐怖』の公開もこの年なんですけどね。何故4年も間があるんでしょう。ドクがゴキ化した日付は1962年9月12日であり、これは劇中の記録映像によってはっきり示されております。この日付が何に基づくパロディなのかは今の所判明しておりません。継続調査中でございます。

話をボブに戻しますと。
絵だけ見ると全然可愛くないけれども動いていると愛嬌がある、というキャラクターはドリームワークスのおはこでございます。中でもボブはその最たるものではないかと。WikiaNIckelodeon(TVシリーズのサイト)に出ている絵はまだしも可愛いんでございますけれども、映画の宣伝に使われた絵なんてこれですよ。これはイカンと思うの。

ご覧のように基本的にはオバQのような格好ですが、いくらでも自在に形を変えることができます。輪切りになってもバラバラになってもすぐT-1000のようにくっついて元通りになりますし、レーザービームもへっちゃら。その破壊不可能な性質に目をつけたドクによって、爆弾として利用されそうになったこともございました。
事実上不死身である上に脳みそを持っていないので、大抵の場合、ボブには分別や危機感というものがございません。そのため、押してはいけないスイッチをどうしても押したがったり、ランチとラーンチ(発射)を取り違えてミサイル発射ボタンを連打したり、「ちゃんとお風呂に入らないと気難しい奴になっちゃうよ」というスーザンの言葉を真に受けて人々を強制的に”入浴”させ、基地全体を機能不全に陥らせたりと、無邪気なトラブルメーカーの役割を果たすことが多うございます。

無邪気、というのはボブにあっては本当に字のごとくであって、いかなる相手であろうとも疑うということがなく、ずるさや悪意はもちろんのこと、面子や建前や口実といった概念も全く持ち合わせておりません。ボブがこの上なく厄介な奴でもあると同時に、この上なくよい子でもある所以でございます。またその常識はずれの発想は、時にドクから-----「genius/天才」という言葉を聞けばまず自分のことであろうと解釈するドクから-----「mindless genius/意図なき天才」と呼ばれるほどに独創的であり、チーム・モンスターには色々な面で欠かせない人員でございます。

リンクとはお互いベスト・フレンドを以て任じているため、つるんで騒動を起こすこともしょっちゅうです。とはいえ、リンクとつるんでいる時などはまだ可愛いもので、ボブに負けず劣らず何も考えていないハサウェイ大統領(後述)とつるんだ時は最悪でございます。ほぼこの2人のせいで、世界が黙示録的な大災厄の嵐に見舞われる直前まで行ったこともございました。

映画版と短編での声はセス・ローゲン、TV版はエリック・エーデルシュタインという方。声も喋り方もそっくりで、ワタクシには違いが全然わかりません。声のことでぜひとも触れておきたいのは、映画の日本語吹き替えでございます。ワタクシは基本的に、外国映画の吹き替えとして、本職の声優を押しのけて歌手やタレントが起用される風潮を苦々しく思っております。中には上手い人もいらっしゃるので全否定はしませんが。
ボブの声の吹き替えは、「バナナマン」の日村氏…といっても、普段TVを見ないので調べないとどっちがどっちか分からなかったんですけれども、アントン・シガーみたいな方の人ですね。この吹き替えは、素晴らしかったです。本家のセス・ローゲン(ちょっと野太い)よりも、ボブの無邪気なキャラクターには合っていると思われるくらいでございます。もしも短編やTVシリーズの日本語吹き替え版がでることになったら、ボブの声はぜひとも再び日村氏に担当していただきたいものでございます。


需要の有無に関わらずまだ続きます。

『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014-04-11 | 映画
去年の『世界一美しい本をつくる男』に続いて、いささかミスリーディングな邦題がつけられたドイツ発ドキュメンタリー。原題が『Die Frau mit den fünf Elefanten(5頭の象と生きる女)』なので、分かり易さを優先してドストエフスキー云々という邦題になったのでしょうけれども、このタイトルから期待されるほどにはドストエフスキーへの言及はございませんでした。
とはいえ、作品自体はよいものでございました。教科書や年表に書かれることのない、こうした「小さな歴史/草の根の歴史」を発掘し記録していくこと自体、意義深いことでございます。

映画『ドストエフスキーと愛に生きる』公式サイト


独り住まいで古風な暮らしを営みながら、現役の翻訳家として活動するスヴェトラーナ・ガイヤーさん、84歳。
ウクライナに生まれ、ナチスドイツとスターリン下ソ連の支配を経験した彼女は「私は人生に借りがある」と語り、買い物からアイロンがけまで日常の家事を丁寧にこなすかたわら、生涯の仕事であるロシア文学の翻訳を続けています。
映画はガイヤーさんの日常や、故郷ウクライナへの65年ぶりの旅を淡々と追いつつ、激動と呼ぶにふさわしい時代を経て来たその半生を、彼女自身の語りによって振り返ります。

大粛清を受け、投獄・拷問された父親のこと。ドイツ軍がキエフにやって来た時、市民がスターリンからの解放者として独軍を歓迎したこと。彼女自身、「ヒトラーのユダヤ人嫌いはただの宣伝だと思っていた」こと。集めたユダヤ人たち-----彼女の友人とその母親を含む-----を殺すため何日も鳴り止まなかったという銃声の記憶。「非アーリア人種」である彼女に温情をかけたために、東部戦線送りにされたドイツ人官吏のこと。
大文字の歴史からはこぼれ落ちてしまう、個人としての歴史の語り、そこには単なる記録や数字に還元され得ない、体験者の証言ならではの重みがございます。

一方、日常をめぐるガイヤーさんの語りはウィットに富んでおり、聞くだに楽しいものでございます。ドストエフスキーの5大長編を指した「5頭の象」という例えも、ガイヤーさん自身の言葉でございます。
またごく若い時に始まり、文字通り彼女の生きる糧となった、翻訳という仕事についての語りも興味深いものでございました。ある言語を別の言語に翻訳するとはどういうことなのか。人は何故翻訳をするのか。その言語独特の響きとニュアンスを持った、翻訳不可能な言葉のこと。そしてレース編みの精緻さに例えられる、実際の翻訳作業の様子。どのようなレベルであれ他言語の翻訳という作業を試みたことのある人なら、頷きかつ襟を正さずにはいられない至言の数々でございました。

というわけで、色々な面において深みのあるドキュメンタリー映画でございましたが、タイトル以外の情報にあえて触れずに足を運んだワタクシとしては、やっぱりもうすこしドストエフスキーの話が聞きたかったなあというのが正直な所でございます。

『MvA』のこと・登場人物その2(追記あり)

2014-04-04 | 映画
現実から逃走して『モンスターvsエイリアン』について語っていくシリーズ。
『MvA』のこと・登場人物その1の続きでございます。

今回は怒濤のドク語り。

Dr.コックローチ ph.d

こちら↓はTV版のドク。


超天才にしてマッドサイエンティストにしてゴキ男。
もとは100%人間だったのですが、ゴキの能力を人間に与えるという実験を自らに試した結果、能力の獲得には成功したものの、副作用でゴキ頭となってしまいました。今は50%人間、50%ゴキの身でいらっしゃいます。TVシリーズではゴキの割合をいっとき60%に引き上げたせいで、えらいことになっておりました。

ゴキの能力とは具体的にどんなものかといいますと、

・壁や天井を普通に歩ける
・ゴミを食べて生きて行ける
・ちょっとやそっとのダーメジでは死なない

など。
それからパタリロもまっつぁおのゴキブリ走法ですね。それほど危機感のない時は二足走行ですが、急ぐ時には四つん這いになってカサカサ走ります。低い姿勢のまま猛スピードで平行移動するさまのゴキらしさったらございません。また効果音が実に臨場感に溢れておりまして、わりとぞっといたしますよ。

変身前のドクの姿は映画の序盤でちらっと出てまいります。Dr. Cockroach - Monsters vs. Aliens Wiki←下の方にある画像ギャラリーの最上列右端。モンガー元帥(後述)は「handsom fellow/イケメン」と呼んでおりますが、微妙な所です。とりあえずワタクシには若作りなヴィンセント・プライスにしか見えませんです。
TVシリーズで明かされた所によると、ファーストネームはハーバート。密かにグレゴールかフランツであることを期待していました。そして「コックローチ(=ゴキ)」は本名なのだそうです。何と恐ろしい苗字でしょう。しかしあるエピソードで「家名を汚してしまった!」と苦悩していることから鑑みて、ご本人はこの姓に誇りを持っておいでのようです。大抵はDr.コックローチもしくはドクと呼ばれます。Dr.Cまたはドク・ローチと呼ばれることもあります。

ドクがどれだけ天才なのかと申しますと、鷹の爪団のレオナルド博士ぐらいの天才でございます。手近な材料から、スーパーコンピュターやら物質転送マシンやら、身につけると権威ある雰囲気をかもし出す香水「Air of Authority」やら、ポテトチップ1枚から際限なくエネルギーを生み出せる装置やら、色々作り上げてしまいます。手近な材料、というのは大抵の場合、ペットボトルやらピザの空き箱やら捨てられた家電やら。要するにゴミです。そこはゴキですから。
発明品の素材、またはおやつ調達のため、ゴミ缶の中に頭を突っ込んでいる場面がしょっちゅうあります。ちなみに好物は生ゴミ。そこはゴキですから。

ことほど左様にゴキであるにも関わらず、動画やファンアートの多さから鑑みるに、ドクはおそらくお子様に受けそうなボブと並んで、このフランチャイズ一番の人気キャラクターでございます。それはもう、質問サイトAsk.comに「何でDr.コックローチにばかりファンガールがつくんですか?」という質問が投稿されていたくらいでございます。あまりにもどうでもいい質問だったためか、回答はございませんでしたけれども。

さて、何故ドクばっかりそんなに人気があるのでしょうか。
人口脳や若返り光線銃を”手近な材料”から即座に作ってしまうほどの天才だから。
マッドサイエンティストらしさ満点のむわははははあ!という高笑いが素敵だから。
科学者なのにダンスがめっぽう上手く、エレキギターを弾きこなし、カクテル作りも得意な趣味人だから。
それもございましょう。
しかし何より、半分ゴキであろうと何であろうと、ドクは知的で小粋で礼儀正しく、茶目っ気がありノリもよく、プライドが高い一方で他者への優しい気遣いのできるジェントルマンであり、要するに人としてたいへん魅力的なキャラクターとして造形されているのでございます。人気があるのも当然ではございませんか。(駄洒落好きなのが玉にキズですが)

映画と短編の1作目でドクの声を吹き込んだヒュー・ローリーがおっしゃるように、ゴキというものは肯定的に描かれることがめったにない生物でございます。肯定どころか、名前自体が最大級の罵倒語として使われるほど嫌われております。ご存知のようにルワンダでは、ツチ族への嫌悪と虐殺を煽ったラジオ番組で、パーソナリティが繰り返しツチ族を「ゴキブリ」と呼んだのでした。昨今日本で行われているヘイトスピーチという恥ずべき現象においても、同じことが行われております。
かくまで否定的なものと見なされている生物に、上記のように魅力的な人格を与えるということは、大げさなようですが、罵倒語を無化するという側面がございます。
映画でもTVでも、ドクは仲間たちから全く普通に「Dr.コックローチ」、即ち「ゴキブリ博士」と呼ばれております。そんなキャラクターが肯定的なもの、「よいもの」として提示されることによって、否定的な響きしかなかったCockroachという語が、それまでとは違ったイメージを帯びるようになります。(あくまで語のイメージの話であって、実際のゴキさんを好きになれるかどうかはまた別問題)

社会通念上「わるい」とされているものを、あえてヒーロの座に据えるというのは『シュレック』や『メガマインド』とも通じるものがございます。ワタクシはドリームワークスのこういう所が好きなのですが、最初の記事で取り上げましたように、ドリームワークスのカッツェンバーグCEOは、もう当面この手のパロディ的作品は作らない方針のようでございます。いわく「『シャーク・テイル』、『モンスターvsエイリアン』、『メガマインド』はアプローチもトーンも発想もパロディと言う点で共通している。これらは国際的にはあまりいい業績を上げなかった。こうした作品はしばらく作られることはないだろう」
しかしもしひたすらディズニーのような王道を歩むようになったら、ドリームワークスの存在意義はどこにあるんでしょう。それにドル箱の『シュレック』だっておとぎ話のパロディでしょうに。ワタクシはドリームワークスの存在意義はひねくれにあると考えておりますので、CEOのこの方針によって社風まで変わってしまうのではないかといささか心配です。

ちと話が逸れました。
ワタクシはCGアニメというものがどれくらいモーションキャプチャに頼るものなのか存じませんので、キャラの動かし方についてアニメーターにどれくらいの裁量があるのかも分かりません。しかし細やかな表情や動きぶりから察するに、ドクはたいへん動かしがいのあるキャラクターなのではないかと想像いたします。
まずもって目玉が巨大ですので、瞳孔の大きさやまぶたの開き方で感情を非常に豊かに表現することができますし、感情や身体的状態を表すパーツとして触角(大写しになると恐ろしいほどリアル)を活用できるのも面白い所です。いかにもインテリらしい洗練と、ちょっと気取った雰囲気を漂わせる所作も大変結構で、作り手の愛情を感じる所でございます。胸の前で両手をグーにしたり、抱きついた時に片足が上がったりという女性的な仕草も可愛らしい。

そうそう、声についても触れておかなければ。
前にも触れましたように、ヒュー・ローリーのつんつんしていながらも明るさと気さくさを感じさせる喋り方が実に素晴らしいのです。ドクのキャラクター造形にも少なからず貢献なさったのではないかと。DVDのコメンタリによると、ドクのトレードマークであるマッドサイエンティスト笑いは、もとはローリーの即興なのだそうで。
↓この笑い。


ハロウィン向け短編2作目『Night Of The Living Carrots』でドクを演じたジェームズ・ホランは声質も喋り方もローリーと随分似ていて、これまた結構でございます。
TV版のクリス・オダウドもいい声なのですが、前の2人とはちと声質が違うこと、そして喋り方にキレとつんつん感が足りないのが残念でございます。とにかくローリーの吹き込みがあんまり素晴らしいので、それと比べるて聞き劣りがするのは仕方のないことではございます。

ドクの元ネタは、言わずと知れた『蝿男の恐怖』あるいは『ザ・フライ』。TVシリーズでは物質転送装置も登場いたします。ただし『蝿男~』では蝿と人間が融合してしまったのに対し、こちらの場合は「マッドなドク」と「サイエンティストなドク」の2人に分離してしまうという事態に。
このエピソードでもそうでしたが、映画からTVシリーズまで一貫して、ドクは自分が「マッドサイエンティスト」であるという点に高い誇りを持ってらっしゃるため、サイエンスという語を自分に関連づけて発する時には必ず頭に「マッド」が付きます。
ついでに半ゴキであることにも誇りを持ってらっしゃるようです。ゴキ頭になったことは、はたから見ると悲劇ですが、ドクにとっては彼の実験につきものの「miner side effect(些細な副作用)」のひとつにすぎないのでございましょう。実際はあんまり些細ではない場合が多いにしても。

(追記:2014年4月14日の現時点でWikipediaにはドクが「頭脳明晰で発明家としては独創的だが、マッドサイエンティストではないと主張する」と書かれておりますが、この記述の後半部分は誤りです。上の動画でのヒュー・ローリーの台詞にあるように、「I'm not a quack! I'm a mad scientist. There's a difference 私はインチキ博士ではない、マッドサイエンティストだ!一緒にするな」というのがドクの信条であり、むしろ自らがマッドサイエンティストであるとはっきり主張しております。劇中ではこのすぐ後に、「どうして誰も分かってくれないんだろう」と言いたげに、ちょっと悲しげな表情になるのが実によろしい。)

普通ならマイゴッドとかジーザスクライストとか言う場面で、ガリレオやホーキング博士の名前が出て来るドク。ギョロ目に白衣に高笑い、怪しい発明に天まで届くプライドと、正しいマッドサイエンティストの条件をかなり満たしているドク。自らも「私は不可能性のエキスパートだ(=不可能だと思うことなら私に任せなさい)」と豪語しますが、その割には、面倒な事態に直面した時には現実逃避に走りがちでございます。一度などはエピソードの初盤で「こういう時は目をつむって、太陽の降り注ぐアカプルコにいるフリをするといい」とのたまい、結局そのエピソードが終わるまで脳内アカプルコから帰って来ませんでした。

とまあ全エピソードを語り出しそうな勢いですので、ここらで切り上げようと思いますが、パロディに発したにも関わらずオリジナルな魅力に富んだドク・ローチ、このフランチャイズにおける他のキャラ共々、できることならもっと多くの作品で活躍していただきたいのでございますよ。NickelodeonでのTV’シリーズの放送は終わってしまいましたが、他局での復活。またはドリームワークスがせめて季節ものの短編だけでも作り続けてほしいものと、ワタクシは願ってやまない次第でございます。

と、こう願いながらも昨日ドラッグストアでホウ酸ダンゴを買って来てしまった。
今年も彼らと対決せねばならないのかしらん。例年にも増して心が痛むぞなもし。



他の記事を挟むかもしれませんが、続きます。


『MvA』のこと・登場人物その1

2014-04-01 | 映画
『Monsters vs Aliens』のこと - のろやの続きでございます。
原題も邦題も、文字にするとちと長ったらしうございますので、TVシリーズのオープニングにならって省略表記としました。
以前の記事で申しましたように、ワタクシは恐怖のゴキ男もといドク・ローチが好きでございますので、基本的にドク贔屓で語ってまいります。ご了承くださいませ。

では、早速キャラクター紹介から始めたいと思います。

スーザン・マーフィ(ジャイノミカ)
映画版のスーザン
TV版のスーザン(トップの絵)

TVシリーズの方では髪をくくっておりますが、これはおそらく映画版のように細やかに髪の毛を動かすのが、技術的にとっても大変なことだからではないかと。

カリフォルニアに住むごくごく普通の女の子(girl、と自称しているのでそれに準じます)だったのですが、結婚式の朝、教会のあずまやでうっとりしていた彼女を、こともあろうに隕石が直撃。スーザンは隕石に含まれていた物質・クアントニアムのせいで巨大化し、身長50フィート=約15メートルの怪力巨大乙女と化してしまいます。軍によって捕獲されたのちはモンスターとして「ジャイノミカ」の名を与えられ、一生外へは出られないという「エリア五十いくつ(後述)」に収容され、嘆きの日々を送っておりましたが、ある日突然現れたエイリアンの巨大ロボを撃退せよとの指令を受け…

というわけで、映画版では主役のスーザン。TVシリーズでは必ずしも主役というわけではありませんが、”チーム・モンスター”のリーダーという位置づけでございます。また、シリーズの第一話ですったもんだがあったおかげで、身体の大きさを普通サイズからジャイノミカサイズまで、自由に変えられるようになりました。
子供の頃はいわゆる「先生のお気に入り」タイプだったというだけあって、全キャラの中で最も良識がございます。そのため、TV版では他のキャラクターの暴走を止めたり、トラブルの解決策を見つけるといった役割を果たすことが多いのでございました。

そのあくまでgood girlたらんとする性格ゆえか、映画では婚約者であるデレクの自分勝手な振る舞いに傷つきながらも、不満を押し殺してしまうという場面もございました。また巨大化した後も「デレクがきっと何とかしてくれる」と甘い考えを抱いたり、ばかでかいロボットを前にして最初から諦めモードになってしまったり(まあこれは無理もないことですが)と、決してヒロイックなことはなく、本当にごくごく普通の女の子でございます。
そのスーザンが映画の終盤に重大な決断をするわけでございますが、これまたヒロイックな悲壮感というよりも、プライドやら怒りやら決心やら舐めんなよ感やら色んなものがごちゃまぜになったいわく言い難いものものが渦巻いておりまして、実によろしうございます。「やっちまえー」というより「うわあ…やったあ...」という感じでございます。
そうして色々あったおかげでございましょう、TV版の方では、自分自身にも仲間にも健全な信頼を抱いている、チームリーダーにふさわしいキャラクターとなっております。

モンスターとしての名前はジャイノミカなのですが、こう呼ぶのはモンガー元帥(後述)くらいなもので、たいていはスーザンと呼ばれます。モンスター仲間のミッシング・リンク(後述)は「スーズ」と呼んだりします。お父さんからは「スージーQ」と呼ばれています。

1958年の映画『Attack of the 50 Foot Woman(妖怪巨大女)』のパロディとして考案されたスーザン、誰でも好感の持てる申し分の無い主人公だと思うのですが、Wikiaによると、オリジナルの脚本では脇役だったとのこと。主人公は多くの有名モンスターたちを捕まえて来たモンスター狩りの名人で、スーザンは主人公のセクシーな彼女、要するにお色気要員だったようです。そんな話にならなくて本当に良かった。上の方にリンクを張りましたTV版のスーザンもWikiaのページでございまして、下の方に画像ギャラリーがございます。その上から5列目・右端の絵が、オリジナルのキャラデザなのだそうで。
...こんなんにならなくて本当に良かった。

声を演じているのは映画版ではリース・ウィザースプーン、TVではリキ・リンドホーム(主にドラマに出演している方のようです)。どちらもたいへん可愛い声でよろしい。


次回に続きます。

『Monsters vs Aliens』のこと

2014-03-30 | 映画
長らく展覧会レポがないのは、長らく展覧会に行っていないからでございます。
4月後半くらいまではこんな調子かもしれません。
その間『Monsters vs Aliens』とその関連作品について、ぼつぼつ書いていこうかと思います。

関連作品と申しましても、日本では映画『モンスターvsエイリアン』(例によって邦題では単数系となっております)しか公開されておりません。またこの映画というのが、文句無しに抜群の出来映えとは言い難いものではありました。ワタクシは映画以外の媒体から入って行ったのでございますが、そうでなければここまで好きになることはなかったかもしれません。また2009年に公開されたこの作品、劇場版としては続編が作られそうになく、2013年3月に始まったTVシリーズは今年の2月まで続いたものの、視聴率がいまいちということで打ち切り、という甚だ将来性のないフランチャイズでございます。ですから、いっそうむきになって応援してやろうと思います。

ワタクシが見た順番は、
『Night of the Living Carrots』(ハロウィン向け短編その2)→『Mutant Pumpkins from Outer Space』(ハロウィン向け短編その1)→TVシリーズ→映画
という甚だ変則的な進み方でございました。経緯はどうあれ、はまったことに違いはございません。
Wikipediaによると、映画は北米ではヒットしたものの、主要な市場とされるいくつかの国(おそらく日本を含む)では興行成績が振るわなかったとのこと。そのため上述のように、ドリームワークスCEOのジェフリー・カッツェンバーグからじきじきに「『メガマインド』同様、続編は作られないであろう」と宣言されてしまいました。

けっ。
「映画の将来は3Dしかない」なんて言う人とはやっぱ反りが合いませんや。
ちなみに『メガマインド』はワタクシ北米での公開前から楽しみにしていた作品でございました。『モンスターvs~』同様、現地ではなかなかのヒットを飛ばしたのですが、日本では劇場未公開・しかもDVDすら発売されず、吹き替え版の配信のみというなんとも酷い扱いでございます。
どうして昔からのろさんが肩入れするものは揃いも揃って短命に終わるんだろう。『恐竜大紀行』とか、『サイボーグ爺ちゃんG』とか、『魔神冒険譚ランプ・ランプ』とか。あと『爺さん大好き』とか『われはロボットくん』とか言っても果たして誰か分かってくれるだろうか。

ともあれ。
このフランチャイズにおける、ひねくれとバカバカしさ、癖のあるキャラクター、制作者のこだわりとお遊びなどなどがワタクシにはいたく気に入ったのであり、そのひねた魅力を現実逃避もかねてぼちぼちご紹介していこうと思った次第でございます。
次回から。
すみません。

キートン in トワイライトゾーン

2014-03-18 | 映画
こんな素敵なものが。

Twilight Zone - Once Upon a Time - Buster Keaton


時は1890年、主人公は発明家のギルバート博士のもとで雑用夫として働くマリガン氏(キートン)。物価は高いし、街路は馬車や自転車が行き交って騒々しいし、やれやれだ、と今日も仏頂面でございます。外出から帰って、水桶にはまったせいでびしょぬれになったズボンを干していると、隣室で博士が「好きな時代に30分間だけ行けるタイム・ヘルメット」を発明したぞと息巻いております。博士と弟子が祝杯をあげている間に、マリガン氏はこっそりヘルメットを拝借して、もっと静かでのどかだった時代への時間旅行を試みます。しかしダイヤルをうっかり未来(1962年)に合わせてしまい…というお話。

トワイライトゾーンというとワタクシは冒頭の♪タリラリ タリラリ…の所しか存じませんで、もっとおどろおどろしいと言いますか、ホラーSF寄りの番組かと思っておりました。そうでもないようですね。ひところ日本でも放送された『世にも不思議なアメージングストーリー』みたいな感じなんでしょうか。

このエピソードの放送は1961年12月。キートンは1895年10月生まれですから、66歳の時ですね。この前年に出版された自伝ではこう語っております。

つい最近のことだが、ある友達に一生を役者稼業に費やしたことでいちばん嬉しいと思えることはなにか、と 訊かれた。あまりにたくさん答えがありそうなので私はしばらく考えなくてはいけなかったが、それからこう言った。「誰でも同じことさ、楽しい人たちと一緒にいられることだね。」
そしてこれこそコメディ役者の最高の特権であり喜びなのだ、私はそう思う-----自分がしりもちをついたりその他もろもろの道化の手管で笑わせた、これほどたくさんの楽しい人々といっしょにいられること。
(p.314)

(主治医の)アヴェドン先生は私が百歳まで生きると言っていた。私もそうするつもりだ。これほど大勢の人が、何十年も昔のこと、彼らも私も両方とも若かった時代に、自分たちにささやかな笑いをくれた凍り付いた顔(フローズン・フェイス)の小男のことを、いつでまも感謝と愛情を込めて覚えていてくれる-----そんな世界にいて百歳まで生きたいと願わない人間がどこにいるだろうか?(p.315)

(『バスター・キートン自伝 わが素晴らしきドタバタ喜劇の人生』藤原敏史訳 1997 筑摩書房)

本当に、百まで生きてほしかった所です。
キートンは1930-40年代に色々な面で不幸な時代を送ったものの、50年代以降は再評価が高まり、TVや映画に出演することも多くなりました。この『トワイライトゾーン』のエピソードにも、キートンの昔の作品、そしてキートン自身へのオマージュと感じられる部分がそこここにございます。まずもって「変なかぶり物とバスター・キートン」という組み合わせからしてそうですね。

キートンの帽子といえば、このエピソードの中でも被っている「ポークパイ・ハット」でございますが、このぺちゃんこ帽子に限らず、キートンの作品には帽子が主役のギャグがしばしば登場いたします。
中でも代表的なものは『蒸気船(Steamboat Bill Jr.)』の帽子とっかえひっかえシーンでございましょう。『荒武者キートン(Our Hospitality)』では、馬車の中でたけの高いシルクハットを被ろうと悪戦苦闘するシーンがございました。(Youtubeで見られるものも多いので、原題も併記しておきます。)
『探偵額入門(Sherlock Jr. )』では、現実のキートンと夢の中のキートンが画面上で分離したように、壁にかけてあった帽子も、現実のそれと夢の中のキートン用の帽子に分離するという几帳面なギャグが。このキートンが2人に分離するシーン、今の技術からするとたいしたことがないように思われるかもしれませんが、もちろんCGなんぞない時代のことであり、フィルムの多重露光(重ね撮りと言っていいのかしらん)によって実現した画面には、不思議な詩情が漂っております。
『西部成金(Go West)』では、着ぐるみで悪魔の扮装をしたキートンが例のペチャンコ帽子を被ろうとするものの、頭にツノがあるせいで被ることができず、逼迫した事態をよそに真剣に悩むというのがございました。

短編『鍛冶屋(The Blacksmith)』では、びっくり仰天した拍子に帽子が飛び上がって一回転しておりました。
(↓の0:45)
The Great Buster Keaton


『化物屋敷(The Haunted House)』ではキートンが気絶している間に見る夢の中で、天使じみた白い衣装を着て天国への階段を駆け上がるシーンがございますが、そんな非日常の格好でも頭にはいつもの帽子を乗せたままというのが何ともとぼけた笑いどころでしたし、途中に控えている天使たちに向かっていちいち帽子を持ち上げて挨拶しながら階段を上って行くのも、いかにもキートンが演じるキャラクターらしい馬鹿正直さが表現されていて、微笑ましいものでございました。
『船出(The Boat)』では小舟がキートンを乗せたまま粛々と沈んで行き、水面に例の帽子だけが取り残されるという、これまたキートンならではの「暗い」ギャグが。
また映画の中ではこのままのシーンはなかったと記憶しておりますが、『海底王(The Navigator )』のスチルにはこんなのがございますね。



ざっと思いつくだけでもこれだけ出て来ます。実際はもっとたくさんあるかと。

それから、「警官に追いかけられる」。
最初の遭遇ではなーんだ追いかけっこは無しか、と肩すかしを食わせておいて、あとでやっぱりやる、という構成が心憎い。ズボン無しのせいで警官に追われる→大柄な相棒の陰に隠れてやりすごす→店先のズボンをガメる、という流れは『自動車屋(The garage)』でロスコー・アーバックルと組んでやったギャグの再演でございますね。66歳のキートンは、アーバックルと短編を作っていた20代の頃に比べると少なからず横幅が増しているわけですが、それでも大男の影にすっぽりおさまってしまうという可笑しさ。
額に手をかざして遠くを見渡す、お得意のポーズも健在です。
またズボンを絞り機にかけようとして指を巻き込んでしまう場面は、キートンの実体験から派生したギャグでございますね。

再びキートン話 - のろや

実体験といえば、23:10の所で、あれがないこれがないと文句を言う男を見て「うちの姑より酷いや」というセリフがございますが、これはキートンの最初の結婚のことを暗に指しているような。
トム・ダーディスの伝記によると、姑のペグ・タルマッジは見栄っ張りな所があった上、キートンのことを教養の無い喜劇役者としていささか見下していたフシがございます。
ただダーディスの伝記は、著者がキートンを愛するあまり、キートンに害をなしたと見なしうる人物のことを悪しざまに書いている傾向がなきにしもあらずです。よって、ペグ・タルマッジがいわゆる鬼姑であったと決めつけるのも控えたいと思います。ただキートン自身、自伝の中でタルマッジ家の結束と仲睦まじさを讃えたあとで冗談めかしながらも「時には、自分はひとりの娘ではなくて家族とまるごと結婚したんじゃないか、と不安な気持ちになったこともあった」と語っているように、夫婦間のかなり立ち入ったことにまで干渉して来るタルマッジ家の人々と、その友人たちが日々詰め寄せる家庭内において、居心地の悪さを感じていたようです。

「より静かだった時代を懐かしむ人物」という設定も、トーキーの波にうまく乗れなかったとされるキートン自身の映画人生を踏まえたものでございましょう。ワタクシとしては1930-40年代の不遇時代をもたらした要因はサイレントからトーキーへの移行という問題ではなく、大手のMGMに移籍したのち、それ以前のように自由な映画作りをさせてもらえなくなったことや、離婚やアルコール依存といった心身をすり減らす問題であったという説を採りたい所でございます。

来年はキートンの生誕120周年にあたるわけでございまして、劇場での作品上映や関連書籍の再版などがあるといいなあと、ひっそり期待しております。
「午前十時の映画祭」で、『探偵額入門』か『将軍(The General)』くらいは上映してくれてもいいと思いますよ、東宝さん。

ジャガーのCMほか

2014-03-05 | 映画
「午前10時の映画祭」で一番楽しみにしていた『カッコーの巣の上で』を観てまいりました。
舞台となっている精神病院の患者のひとりに、ビリーといういかにも可愛らしい若造が出て来るんでございます。
見栄えもいいし演技もいい、これ誰かなあと思っておりましたら、エンドロールで出て来た名前が "Brad Dourif" ...

おぉい!将来グリマかい!!



ううむ、何というグレっぷりだ、ビリーよ。マクマーフィもびっくりだ。

ところで『ホビット』シリーズには蛇の舌グリマ殿は出て来ないんでしょうか?ちらっとでも?
いえ、原作である『ホビットの冒険』にグリマが登場しないのは承知の上ですとも。しかしそれを言うなら、レゴラスだって原作には登場しないじゃございませんか。おまけにimdbによれば3作目には上司のサルマンも登場するらしいじゃございませんか!
サルマンが出るなら蛇の舌も出してくださいましよ!!
サルマンの側に立って陰気な顔でもみ手してるだけでもいいから!



と、いうのは
以下の記事とは全然何の関わりもない前置きなのでございましてあしからず。

そう、ジャガーのCMなのでございます。
スーパーボウルの時に流れたジャガーのCM、「英国人が演じる悪役」をテーマとしております。ひと月も前の話題になってしまったわけですが、ソーターさんことマーク・ストロングががっつりとフィーチャーされたものではあり、とにもかくにもご紹介しておこうと思います。

まずはソーターさんのみのもの。



M:絶大な権力は必ず堕落するものだと言うが...それの何がいけない?

ううむ、セプティマスとかサー・ゴドフリーなら堕落しても結構というか期待通りですが、ハニとかアーチーおじさんが堕落したら悲しいです。
ベン・キングスレーとトム・ヒドルストンを交えた完全版は↓こちら。
 


B:ハリウッド映画で悪役を演じるのはことごとく英国人であることにお気づきかな。
M:喋り方がいいのかな。
T:あるいは、より集中力があるから...それとも、より細やかなためか。
M:常に一歩先んじている。
B;スタイルと細部へのまなざし。
T:それに力への執着!(ヘリ、ジャガーにまかれる)...動じないことが肝心だ。
M:そして、ジャガーに乗ると。
B:そう、ワルでいるのは楽しいものだ。

ベン・キングスレーってそんなに悪役してましたっけ。むしろゲイリー・オールドマンとかアラン・リックマン(そして知名度は落ちますがチャールズ・ダンス)の方が「British villain」としてすぐに思い浮かぶのですが。ソーターさんことマーク・ストロングの悪役歴については、今更申すまでもございません。トム・ヒドルストンは『マイティ・ソー』のロキの人ですね。
ロキがずいぶん魅力的なキャラクターであるとう噂は聞き及んでおりますし、実際ワタクシが大好きなタイプの悪役のような気がしますけれども、ワタクシは『ソー』シリーズも『アベンジャーズ』も観ておりません。理由は以下の通り。
(1)マッチョなあんちゃんがトンカチを振り回して闘う、という絵に心惹かれない。
(2)北欧神話をアメリカナイズしている感じがなんか嫌。
(3)関連作品を全てチェックしなければならない感じが嫌。
(4)にもかかわらず、観たら悪役にどっぷりはまってしまいそうなのが嫌。

はまりすぎるであろうことが目に見えているためにあえて避けて来たものというのが、ワタクシにはいくつかございます。バスター・キートンもそうでした。『ダークナイト』もそうでした。まあ結局いつかは観てしまって案の定ズブズブにはまる上に「もっと早く観ておけばよかった」なんて思うことになるんですけれども。

CMに話を戻しますと。

これを予告編として、このキャストで、信頼と欲望と裏切り渦巻くクライム・ムービーをひとつ作っていただけないものか。
叩き上げで犯罪組織のトップに上りつめた苦労人のベン・キングスレー、その片腕として長年仕えて来て、今では組織の海外支部の運営を任されているマーク・ストロング、豊富な資金と巧みな話術で政治家や警官をたらし込み、裏社会で急速に成り上がって来たものの、パパ・キングスレーのコネと組織力に惹かれて接近して来たトム・ヒドルストン、この三者の壮絶な騙し合いっていうのがいいなあ。
長年の片腕役となると『ロックンローラ』のアーチーおじさんと被るかしらん。だったら、ソーターさんは昔パパ・キングスレーとシマを争っていた組織BのNo.2で、抗争に敗れて組織Bは解体するものの、有能さに目をつけたパパ・キングスレーに拾われ、それ以降は彼の組織で辣腕を振るっている、というのはどうでしょう。
そうするとヒドルストンは、かつて潰された組織Bのボスの三男坊あたりがいいですね。長男は抗争で死亡(ということになっている)、次男はヒドルストンが手にかけたと。ソーターさんには『スターダスト』での所行を踏まえて、ぜひとも「血を分けた兄弟を殺すとは最低な奴だ」みたいなセリフを吐いていただきたい所。
もはやジョン・ウーもデ・パルマもけっこうなお歳ですから、監督はダニー・ボイルかクリストファー・ノーランでお願いします。

と、ひと月前の話題のみで終わるのもナンでございますから、新しいCMをひとつご紹介しておきます。
ミラークァーズ社の新製品で、アルコール度高め(6.9%)のウィスキー風味のビール、「ミラー・フォーチュン」の広告でございます。



M;帰るのか。家に帰って寝る、それも結構だろう。
だが別の選択肢もある。戻って、明日のために闘うことだ。
今夜を大抵の男なら夢見る事しか出来ないような一夜に変えてやれ。
幸運(フォーチュン)はそれを求める者と共にある。


商品について言えば、ワタクシはビールはビール、ウィスキーはウィスキーでいいと思いますし、こういう中途半端なアルコール度数の飲み物は悪酔いのもとなので、その点であんまり購買意欲は湧かないのでございますけれども、CMの展開には今後も大いに期待したいと思います。

ドク・ローチ

2014-02-20 | 映画
(あまりにもあまりなタイトルだったので改めました。記事の内容はそのままです)


夕方帰宅してポケットを探ると、家の鍵がございません。
見るとドアの鍵穴にささったままでございました。

それはさておき

この忙しいさなかに『モンスターVSエイリアン』にはまってしまいました。



そもそもYoutubeで気分転換を図ろうという発想がよろしくない。
さらにシリーズ物のカートゥーンにはまってしまうなどもってのほかでございます。

いや
でも
だって
ドクターがあんまり素敵なんですもの。



ええ、まあ、ゴキ男ですけどね。
生ゴミをむさぼろうとも、後頭部に昆虫の腹部を思わせるひだひだがあろうとも、素敵なもんは素敵なんです。
(でもできれば急ぐ時に四つん這いになって走るだけはやめてほしい)
声はTVシリーズ版のクリス・オダウドよりも、映画版およびハロウィン向け短編のヒュー・ローリーの方が、よりインテリらしいキレがあってよろしいと思います。インテリキャラがイギリス英語で喋るというのは一種の紋切り型ではあるかもしれませんが、実際の所、よく似合うんですよね。

もとよりワタクシは、ゴキさんがた-----内心「小さなザムザ君」と呼んでおります-----に対して複雑な感情を抱いておりましたが、ドクターのおかげでそれがますますこじれそうです。

そうしてまた夏がやって来る。

いやその前に締め切り日がやって来るだよ。

ナースジョーカーさん

2014-01-12 | 映画
こんなにも本物そっくりなコスプレというものを、ワタクシはいまだかつて見たことがございません。

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『ダークナイト』版ジョーカーの格好をして、ご本人はカッコイイつもりでも実際は目も当てられない代物が出来上がっているという事例は、ネット上で少なからず見かけられます。といいますか、ほとんどがそうです。
しかし、これはすごい。本人かとみまごうほどのそっくりぶりでございます。体格はヒース・レジャーよりはやや華奢なようですが、もともとの顔立ちが似てらっしゃるのでしょうね。

すごいといえば、この方たちもたいがいですけれども。

Penguin and Joker join forces - Imgur

『鑑定士と顔のない依頼人』

2014-01-03 | 映画
うわあキュッヒルさん!
禿げたなあ!
眼鏡は?
コンタクトにしたんですか?

というわけでNHKの「ニューイヤー・オペラコンサート」を見ているんですが
そんなことはさておき。

新年最初の映画は『ブランカニエベス』にしようと思っていたのです。
しかし『鑑定士と顔のない依頼人』を見やすい時間帯に上映するのが今日までということに気づきまして、予定を変更してこちらに行くことにしました。

映画『鑑定士と顔のない依頼人』公式サイト

うーむ。
原作は未読ですが、映像的センスのある監督ならぜひとも映画化したくなるに違いない、そう思わせる筋でございました。映画としての完成度は高いと思います。
ただ、お話がいかに巧みに織り上げられていたとしても、どの登場人物にも肩入れできないような作りの作品というのは、正直しんどい。まあこれは人によりけりのことではありましょう。しかしワタクシの場合は悪玉にせよ善玉にせよ、好感を持って見ることのできるキャラクターが作中に一人でもいるかどうかが、その作品を楽しめるか否かをけっこう左右するんでございます。そしてこの作品においては、残念ながらそうしたキャラクターが一人もおりませなんだ。

とりわけ、物語のキーであり、準主人公とも呼べるクレアというお嬢さんなんですが。
ワタクシは初めから、そししてお話が進んでからも、彼女のことがまっったく好きになれず、彼女が泣き叫ぼうが失踪しようがトラウマを告白しようが、心情的にはまるっきりどうでもよいこのよっちゃんでございましたので、せっかくのミステリーにもいまいち引き込まれませんでした。役者さんが悪かったわけではございません。ただ、彼女の言動のほとんどあらゆる点が鼻について、好感はおろか同情する気にすらなれなかったのでございました。

役者といえば、主人公のヴァージルを演じるジェフリー・ラッシュはワタクシの好きな俳優の一人なんでございますが、この映画に関しては、この役はラッシュさんじゃない方がよかったんじゃないかのう、と思ってしまう時がちらほらございました。演技がどうこうではなく、役柄として。ヴァージルが鑑定士及び競売人として仕事をしているシーンは、どれもたいへんよかったんですけれどもね。そりゃもう、ずっとそればかり見ていたいくらいでございました。
いっそ彼がバリバリとそして淡々と、日々の仕事をこなしつつコレクションを築き上げて行き、あるときふと自分がいかに孤独であるかに気づいて憂鬱に落ち込むものの、やっぱり俺にはこれしかねーやと気を取り直して再び仕事に精を出しつつコレクション構築にいそしむ、といった内容の映画だったら、ワタクシはかな~り楽しめたことでしょう。

そんな話じゃ起伏がなさすぎるって。
いいんです。ジェフリー・ラッシュが埃をかぶった骨董品たちをゆったり見回しながらよどみなく査定して行くのやら、緊張感の中にも時折ユーモアを覗かせてオークションを小気味よく進行して行くのやら、相棒のドナルド・サザーランドと舞台裏で気さくな会話を交わすのやら、孤独に浸って、とはいえ心安んじて、愛おしいコレクションを眺めるのやらを見ているだけで、ワタクシは充分満足でございます。

巧みに織り上げられたお話、と冒頭で申しましたが、ミステリーではありながらもある意味期待通りに進むので、さしてカタルシスはございません。ただ、振り返ると細かい伏線があちこちに張られておりましたので、2回鑑賞するとよりいっそう楽しめる作品ではあろうと思います。

ワタクシは1回でお腹いっぱいでしたけれども。