モディリアーニ展へ行ってまいりました。
姫路でもモディリアーニ展を開催中でございますね。
分散させないでひとつ所でやって巡回してくれりゃいいのに。
とは思ったものの、蓋を開けてみるとけっこうな点数が展示されておりまして、のろとしては満足のゆく展覧会でございました。
本展では22歳でパリにやって来た頃の素描から、35歳でスペイン風邪で亡くなる前年の作品まで、モディリアーニの画業を時系列で見ることができます。
素描がたくさん見られたのは意外な喜びでございました。
モディリアーニの素描といえばのろは、映画『モンパルナスの灯』の中でぐらいしか見たことがございませんでしたので。
ジェラール・フィリップ演じるモディリアーニがカフェのテーブルの間をよろめき歩きながら、カフェのお客に素描を売ろうとしては鼻であしらわれる、傷ましいシーンでございました。
あのシーンで使われていたような晩年の作品、即ち、うりざね顔にアーモンド型の目といった、いかにもモディリアーニらしい造形で描かれたものの他、まだあのようなスタイルが確立されていない頃の素描もございました。
後年の作品とは画風がまったく違っておりますが、人体のかたちと量感をできるだけ簡素な線で捉えようとする試みは既に伺うことができます。
一筆描きのような早描きの線で、同じポーズを何枚も描いております。
最もシンプルで最も本質的な一本の線を探しているかのようでございます。
モディリアーニといえば身近な人々の肖像画が有名でございます。
初期の作品には娼婦を写実的に描いた作品などもございましたが、モデルである娼婦の個性はむしろどうでもよく、彼女の姿を借りて社会の底辺で生きる「娼婦というもの」の存在を描こうとしているような感じがいたします。
こうした初期の作品や、カリアティッド(建築装飾の一種で、柱を支える女性像)ばかり描いていた頃のモディリアーニの興味は、「この人」または「かの人」という個性的な存在ではなく、無個性な「人間一般」とでも言うべきもの、あるいは人体のかたちそのものに向けられていたように見受けられました。
無個性でひたすら造形的な方向へと大きく振れていたモディリアーニの視点は、身体をこわして彫刻の道を断念してからはその揺り戻しのように、個性と感情を持った身近な人々へと向かいます。
かたちと量感の表現を身につけた画家は今や、ひとりの人間の内的・外的な個性を-----量感を追求した時と同様、できるかぎり簡潔に-----表現することに専心します。
そして「なで肩、長い首、うりざね顔、塗りつぶされたアーモンド型の瞳」といった、いわば同じ規格で描かれたような肖像画であるにもかかわらず、見る者にモデルの個性を感じさせる作品を作り上げたのでございます。
こうした肖像画があるからこそ、モディリアーニは美術史上に名を残し、今もって人々に愛されているのでございましょう。
正直、のろは思うのですよ。もしも彼が彫刻家の道を歩み続けていたなら、第二のブランクーシにはなれたかもしれないけれども、はたして人の心を強く捉える独自の芸術を生み出すに至ったであろうか?と。
「何をどう描くのか」について史上かつてないほどの自由度を誇り、それだけに皆が独自の芸術を模索してやまなかったパリ。
そのただ中で模索を続けたモディリアーニの目が、市井の人々や友人や恋人へと向けられていったことを、ワタクシは実に幸いなことと思うのでございます。
姫路でもモディリアーニ展を開催中でございますね。
分散させないでひとつ所でやって巡回してくれりゃいいのに。
とは思ったものの、蓋を開けてみるとけっこうな点数が展示されておりまして、のろとしては満足のゆく展覧会でございました。
本展では22歳でパリにやって来た頃の素描から、35歳でスペイン風邪で亡くなる前年の作品まで、モディリアーニの画業を時系列で見ることができます。
素描がたくさん見られたのは意外な喜びでございました。
モディリアーニの素描といえばのろは、映画『モンパルナスの灯』の中でぐらいしか見たことがございませんでしたので。
ジェラール・フィリップ演じるモディリアーニがカフェのテーブルの間をよろめき歩きながら、カフェのお客に素描を売ろうとしては鼻であしらわれる、傷ましいシーンでございました。
あのシーンで使われていたような晩年の作品、即ち、うりざね顔にアーモンド型の目といった、いかにもモディリアーニらしい造形で描かれたものの他、まだあのようなスタイルが確立されていない頃の素描もございました。
後年の作品とは画風がまったく違っておりますが、人体のかたちと量感をできるだけ簡素な線で捉えようとする試みは既に伺うことができます。
一筆描きのような早描きの線で、同じポーズを何枚も描いております。
最もシンプルで最も本質的な一本の線を探しているかのようでございます。
モディリアーニといえば身近な人々の肖像画が有名でございます。
初期の作品には娼婦を写実的に描いた作品などもございましたが、モデルである娼婦の個性はむしろどうでもよく、彼女の姿を借りて社会の底辺で生きる「娼婦というもの」の存在を描こうとしているような感じがいたします。
こうした初期の作品や、カリアティッド(建築装飾の一種で、柱を支える女性像)ばかり描いていた頃のモディリアーニの興味は、「この人」または「かの人」という個性的な存在ではなく、無個性な「人間一般」とでも言うべきもの、あるいは人体のかたちそのものに向けられていたように見受けられました。
無個性でひたすら造形的な方向へと大きく振れていたモディリアーニの視点は、身体をこわして彫刻の道を断念してからはその揺り戻しのように、個性と感情を持った身近な人々へと向かいます。
かたちと量感の表現を身につけた画家は今や、ひとりの人間の内的・外的な個性を-----量感を追求した時と同様、できるかぎり簡潔に-----表現することに専心します。
そして「なで肩、長い首、うりざね顔、塗りつぶされたアーモンド型の瞳」といった、いわば同じ規格で描かれたような肖像画であるにもかかわらず、見る者にモデルの個性を感じさせる作品を作り上げたのでございます。
こうした肖像画があるからこそ、モディリアーニは美術史上に名を残し、今もって人々に愛されているのでございましょう。
正直、のろは思うのですよ。もしも彼が彫刻家の道を歩み続けていたなら、第二のブランクーシにはなれたかもしれないけれども、はたして人の心を強く捉える独自の芸術を生み出すに至ったであろうか?と。
「何をどう描くのか」について史上かつてないほどの自由度を誇り、それだけに皆が独自の芸術を模索してやまなかったパリ。
そのただ中で模索を続けたモディリアーニの目が、市井の人々や友人や恋人へと向けられていったことを、ワタクシは実に幸いなことと思うのでございます。