Nay, he is more beholdinge vnto me then I am vnto him for there are further matters betwene hym& me then all the world shall knowe of.
いや、恩になっているのは、おれのほうより彼(ウォルシンガム)のほうさ。なにしろ、世間では知らぬようなことが、われわれ2人のあいだにはいろいろとあるのだからな
『マーロウ研究』北川悌二 1964 研究社出版 p.42
‘She had no reason,’ he told her by way of spur, ‘to fear the king of Spain, for although he had a strong appetite and a good digestion,’ yet he―her envoy―claimed to have ‘given him such a bone to pick as would take him up twenty years at least and break his teeth at last, so that her majesty had no more to do but to throw into the fire he had kindled some English fuel from time to time to keep it burning’
スペイン王を恐れることはありません。彼は旺盛な食欲と強い胃袋の持ち主ではあります。しかし私は彼の歯の間に少なくとも20年は取れないような骨を差し込んでやりましたから、ついにはその歯もへし折れることでしょう。陛下は私が起こした火が消えぬよう、時おりイングランドの薪を投げ入れてくださるだけで結構でございます。
これ言ったときは「薪」をこんなにも出し惜しみされるとは思ってなかったでしょう、長官。
しかしこの人、
An habit of secrecy is both policy and virtue
秘密厳守の習慣は賢明なことでもあり、美徳でもある
とか
Video et taceo / See and keep silent
知れ、そして語るな
エリザベスがちっとも自分の進言を聞き入れてくれないことをあてつけては
The laws of Ethiopia, my native soil are very severe against those that condemn a person unheard...I then be worthy to receive the most sharp punishment
私の生まれ故郷エチオピアでは、言うことを聞き入れてもらえないからといって他人を非難する人間は厳しく罰せられるのだそうです。してみると私などは最も重い罰に値することになりましょうな。
彼女の吝嗇ぶりをなじっては
There was no one that serveth in place of councillor...who would not wish himself rather in the furthest part of Ethiopia than to enjoy the fairest palace in England.
この調子では、陛下にお仕えする議員の中で、イングランドの王宮にいるよりはエチオピアの僻地にいた方がましだと思わぬ者はおりますまい。
Your Majesty's delay used in resolving doth not only make me void of all good hope to do any good therein, the opportunity being lost, but also quite discourage me to deal in like causes, seeing mine and other your poor faithful servants' care for your safety fruitless.
陛下が物事をお決めになるにあたってご決断を先延ばしにされるので、解決のため少しでもお役に立とうとする私からはあらゆる希望が奪われますし、せっかくの機会も失われてしまいます。そればかりか、私の哀れな部下や同僚たちが忠義を尽くし、陛下の安全のために骨折っているというのに、それも無駄になるのを見るにつけ、私は全くやる気が削がれます。
それはとりもなおさず、エリザベスが彼の有能さを高く評価していたためでもあり、またどんなに無礼な言葉を吐こうとも、彼の忠誠は疑うべくもないということが分かっていたからでありましょう。だからこそ、しばしばウォルシンガム自身の主張とは正反対の任務を当の本人に押しつけることにもなったとはいえ、そんな時でも「(leave my) private passions behind me and do here submit myself to the passions of my prince, to execute whatsoever she shall command me as precisery as I may 私自身の感情はさておき、陛下がお命じになることをできるかぎり正確に遂行します」(レスター伯宛書簡)というウォルシンガムの言葉を、女王は完全に信用することができたのです。
また教皇がエリザベスの暗殺を奨励しているとの報を受けて、セシルが「陛下にお知らせしなければ...だが、いつ?私たちのうちのどちらが?」と逡巡しているのを横目に「私が話す。この顔は悪報にふさわしい I have the right face to tell a bad news 」と言いながら、群衆をかき分けて女王に近づいて行く場面、これは行動も台詞も実にウォルシンガムらしくていいですね。また議会を代表してメアリの処刑令状をエリザベスに差し出したり、「陛下に言うの、気が重いよう」と廊下で泣きついて来たレスター伯に代わって、メアリが処刑されたことをエリザベスに告げてやったりと、最終的にしんどい役回りを引き受ける人物として描かれておりました。
以下に記事を書くにあたって参照した文献およびサイトを列挙します。ちょっぴり感想つき。
記事ではなるべく複数の情報源に記載があったことのみをご紹介するようにしましたが、中にはあまりにも魅力的なエピソードだったので他のソースを見つけられなくても採用してしまったものもあります。
Hear all reports but trust not all.
全ての報告に耳を傾けよ、しかし全ては信じるな。
を信条とする諜報局長殿に怒られそうです。
当記事をお読みになってサー・フランシスに興味を持たれた方はぜひご自身でもいろいろ探ってみてくださいまし。はまりますよ。その際以下のリストが少しでもお役に立てば幸いです。
*スロックモートン Throckmorton の名がなぜか全て「ストックモートン」と記載されている。またスロックモートンが逮捕されたのは本書に書かれているように「スコットランド国境」ではなく、ロンドンの自宅にいる時です。「ロンドン塔の地下牢で密かに処刑」されてもおりません。スロックモートンは正式な裁判を経てから、タイバーンの処刑場で絞首刑となりました。それから「その後(”密かに処刑”した後)、自宅を捜索」したのでもありません。これではウォルシンガムがろくな物証もないのに勝手に容疑者を殺し、それから証拠を探したことになってしまうではありませんか。家宅捜索が行われたは逮捕の後、あるいはそれと同時であり、そこで見つかった証拠を並べ上げた上で尋問(拷問)がなされたのです。
『スパイの歴史 』 テリー・クラウディ著 日暮雅通訳 東洋書林 2010
『イギリス史2 近世 世界歴史大系』今井宏編 山川出版社 1990
『イングランド史II』D.M.グリュー著 林達也訳 学文社 1983
『イギリス史2』G.M.トレヴェリアン著 大野真弓訳 みすず書房 1974
『市民と礼儀 初期近代イギリス社会史』ピーター・バーク編 木邨和彦訳 牧歌舎 2008
『スコットランド絶対王政の展開』G.ドナルドソン著 飯島啓二訳 未来社 1972
『アルマダの戦い』マイケル・ルイス著 幸田礼雅訳 新評論 1996
『ドレイク 無敵艦隊を破った男 大航海者の世界4』ネヴィル・ウィリアムズ著 向井元子訳 副羊羹書店 1994
『マーロウ研究』北川悌ニ 研究社 1964
Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press 2004
たいへんお世話になりました。こんな人物辞典を持ってるなんて、イギリス人は幸せですな。
The Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 1917
こちら↓で全文読めます。おすすめ。スコットランド行きを嫌がるくだり(p.238)なんかもう最高です。 Walsingham, Francis (1530?-1590) (DNB00) - Wikisource
Stephen Budiansky, Her Majesty's Spy Master, Plume, 2006
図版(白黒)あり。情報量はそれほど多くはないものの、文章に彩りがあって、読んで楽しい一冊。
「国務長官殿は女王陛下のドアの開け方というものを心得ていた。決して大きく開け放つこともなければ、一旦は開けたものを閉めてしまうことさえある。そこで彼は、開いたドアの隙間につま先をねじ込むことに力を尽くす一方、裏口を確保しておくことにも気を配った」なんて、あまりにも即妙な喩えで笑ってしまうではありませんか。
Robert Hutchinson, Elizabeth's Spy master, Phoenix, 2006
カラー図版あり。詳細な索引や略年表、引用注、ウォルシンガムが使っていたスパイたちの略歴つきリストなども収録されており、ペーパーバックのくせになかなかの充実度。とはいえ紙質は悪くカバーデザイン最悪でノドの余白も大きくないくせに横目で製本されているという、ちょっぴりがっつり怒りたくなるような造本ではあります。
Peter Holmes, Who's Who in Tudor England, Shepheard-Walwyn, 1990
Stephen Alford, Burghley: William Cecil at The Court of Elizabeth I, Yale University Press, 2008
Paul F. Grendler,Encyclopedia of the Renaissance, C. Scribner's Sons, 1987
A. R. Braunmuller, Cambridge Companion to English Renaissance Drama, Cambridge University Press, 2003
John Guy, Tudor England, Oxford University Press, 1988
Matthew Spring, The Lute in Britain: A History of the Instrument and Its Music, Oxford University Press, 2006
Terry Crowdy, The Enemy Within : A History of Spies, Spymasters and Espionage Osprey Publishing, 2008
(men's conscience are) Not to be forced, but to be won and seduced by the force of truth, with the aid of time and use of all good means of instruction and persuasion.
良心とは強制されるべきものではなく、真実が持つ力によって獲得されるべきものです。充分な時間と、善意に基づいた指導と説得がその助けになるでしょう。
I would have all reformation done by public authority: it were very dangerous that every private man's zeal should carry sufficient authority of reforming things amiss.
矯正はあくまでも公権力を通じて行われるべきだというのが私の意見です。個々人の宗教的熱意がものごとを矯正する権威を持ち合わせているとしたら、危険なことになりましょうから。
ウォルシンガムがバビントン・プロット進行中にいみじくも「If the matter be well handled, it will break the neck of all dangerous practices during her Majesty's reign ことが上手く運べば、陛下のご在位中に起こりうる全ての危険な企ての息の根を止めることができるだろう」と予言したように、1587年のメアリの処刑以降、あんなに盛んだったエリザベス暗殺計画はふっつりとなくなりました。
隣国スコットランドではジェームズ6世が若いながらもよく国を治め、86年に同盟を結んで以来、イングランドとは良好な関係が続いておりました。
そして88年の夏、スペイン無敵艦隊の敗退によって、エリザベス即位以来最大の危機は辛くも乗り越えられたのでした。
ロンドンに潜入していたスペインのスパイは、ウォルシンガムの死の2日後「国務長官の死去に、人々は哀悼を捧げています」と本国に報告します。天敵の訃報を受け取ったスペイン王は、報告書の余白に思わず「やったあ!我が国にとってはいいニュースだなあ」なんてことを書き入れたのでした。
Who's Who in Tudor England 1990 Shepheard-Walwyn から一文をお借りしましょう。
That would have satisfied Walsingham as his epitaph.
このフェリペの言葉が墓碑銘に刻まれたら、ウォルシンガムはさぞ喜んだことだろう。
Shall Honor, fame and Titles of Renown
かくあるべきかは、栄誉と、名声と、世に聞こえし称号を持てる御人が In Clods of Clay be thus enclosed still?
土くれの下、かくもひそやかに閉ざされてありしとは? Rather will I, though wiser Wits may frown,
むしろ私は、拙くはあれど For to enlarge his Fame extend my Skill.
かの人の名声をいや増さんがため、微力をば尽くさん。 Right gentle reader, be it known to thee,
尊敬すべき読者諸氏よ、いざ知らしめん、 A famous knight doth here interred lye,
ここに眠るは高名なる勲爵士、 Noble by birth, renown'd for policy
生まれながらに高貴にして、その深慮によりあまねく知られし御人 Confounding Foes, which wrought our Jeopardy.
我らに仇なす敵を退け、 In foreign Countries their interests he knew
諸国の意向をとくと知る Such was his Zeal to do his country good,
その献身は、なべて祖国のため。 When dangers would by Enemies ensue,
敵のわざにて我らに危機の迫りし時も、 As well as they themselves he understood.
その手管を熟知すること、さながら敵自らに同じ。 Launch forth ye Muses into Streams of Praise,
詩神たちよ、讃えたまえ Sing and sound forth praiseworthy harmony;
妙なる旋律を歌い奏でたまえ In England Death cut off his dismal days,
イングランドの地において、死がかの人の苦しみの日々を終らしめたのだ Not Wronged by Death but by false Treachery:
死の影によらず、忌むべき反逆によりて苦しめられしその日々を。 Grudge not at this imperfect Epitaph
言葉足らずなこの碑文、あえて堪忍するなかれ Herein I have expressed my simple skill,
私は自らの拙いわざを行ったまでのこと As the first fruits proceeding from a Graft
あたかも接ぎ木に実った最初の果実のごとく Make them a better whosoever will.
お望みならばこれを取り、より良き一篇をなしたまえ。
各行の頭の文字を並べると SIR FRANCIS WALSINGHAM となります。脚韻もきれいに踏まれておりますね。
碑文の作者は「E.W」とだけ伝えられておりますが、これはサー・フランシスの孫娘(つまりフィリップ・シドニーの娘)で、長じては詩作をよくしたエリザベス・ウォルシンガムであろうと推測されております。言われてみると最後から二行目の「接ぎ木に実った最初の果実」という言い回しは、作者がサー・フランシスの初孫であることを暗示しているようです。
ちなみにおじいちゃんが亡くなった時、孫娘のエリザベスは5歳でした。その後彼女は1599年、14歳で結婚し、ジェームズ1世統治下の1614年、29歳ではかなく世を去ります。
The manner of our cold and careless proceeding here in this time of peril,maketh me to take no comfort of my recovery of health, for that I see, unless it shall please God in mercy and miraculously to preserve us, we cannot long stand.
このような危機的状況下での人々の冷淡で無関心な態度を見ていると、我が身の健康が回復した所で喜べそうにありません。神が御慈悲を垂れて奇跡でも起こしてくださらないかぎり、我が国が長く持ちこたえられないのは明白ですから。
女王陛下に「神が御慈悲を垂れて」くだすったのは、皆様ご承知の通り。悪天候と機動性の高いイギリス軍船に悩まされ、無敵艦隊は敗走。イングランドは喜びに沸きます。
より徹底的にスペインを叩いておくべきだと考えていたウォルシンガムは渋い顔で「leaveth the disease uncured 病気を完治せぬままに残してしまった」 とつぶやいたものの、この海戦での彼の貢献のほどをよく知っていたセシルは「you have fought more with your pen than many here in our English navy with their enemies 君はペンの力によって、我が国の海軍よりもいっそうよく敵と戦った」と言って、気難しい同僚をねぎらったのでした。
(追記:この台詞はセシルではなくドレイクによるものと書いてある資料もあります)
I call God to witness that as a private person I have done nothing unbeseeming an honest man, nor, as I bear the place of a public man, have I done anything unworthy of my place. I confess that being very careful for the safety of the queen and the realm, I have curiously searched out all the practices against the same.
神もご照覧の通り、私の行いには、一人の誠実な人間として恥ずべきことも、また一人の公僕としての地位に相応しからざることも、何ひとつございません。ただ女王陛下の御身の安全と我が国の安泰を図るため、両者を損なう恐れのあるものを駆逐することに、ひたすら心を砕いて参ったのです。
誰もが予想していたように、メアリの逮捕はエリザベスの機嫌を大いに損ねました。
スロックモートン事件を受けて成立したあのBond of Associationにがあるからには、陰謀に加担したメアリは当然処刑されねばなりません。しかしエリザベスは諸々の事情から、どうしてもメアリを殺したくなかったのです。セシルに対して、今回のことでメアリに害が及ばないような配慮をしろという指示さえ出しております。 しかしここはセシルもウォルシンガムも、女王の不興をこうむったぐらいで身を引くわけにはいきません。メアリの死刑執行令状に何とかエリザベスのサインを頂こうと、廷臣たちは手を焼くことに。
この大胆な加筆によってバビントンが自分がはめられていることに気付き、全てが崩壊してしまう危険性は充分にありました。”Burley: William Cecil at the Court of Elizabeth I(2008)”に、この状況を巧みに述べた一文がありますので、ちょっとここで引用させてくださいまし。
The question now was whether Babington would write an answer to the Scottish Queen that told her all about the conspiracy. Or perhaps he would go silent, aware that Walsingham's hand was on his shoulder.
今や問題は、バビントンがスコットランド女王に対して陰謀の全てを打ち明けるかどうかだった。あるいは彼は、自分の肩にウォルシンガムの手が置かれていることに気付いて、口をつぐんでしまうかもしれなかった。
p.263
「メアリ何とかしましょう」。
外交政策では対立してもこの点では意見が一致していたセシルとウォルシンガム、ここに至ってBond of Associationというものを練り上げます。「連合盟約」ですとか「一致団結の誓約」などと訳されるこのBond、署名した者は「女王に対する陰謀を企てた者、また暗殺を試みた者は何者であろうと(←ここ重要)王位の継承を認められず、訴追され、処刑される」ことに合意するというものでした。
メアリの名前を出さないよう注意深く書き上げられたこの盟約書は、メアリ自身の署名も取りつけた上でウォルシンガムによって厳重に保管されました。もちろん、来る時が来たらサッと取り出して、メアリに対しては「あーた、ここに署名してますよね?」と言い、エリザベスに対しても「こういう盟約がありますから。メアリ自身もここにしっかり署名してますから」と釘を刺すためです。
国内外に様々な対立要素が渦巻いていた時代において、エリザベスの優柔不断や出し惜しみは彼女流の曖昧戦略であったとも言えましょうが、ウォルシンガムにとっては女王陛下お得意の「曖昧・引き延ばし・出し惜しみ作戦」こそ何よりのストレス源だったようです。
エリザベスの金銭的・政治的出し惜しみを嘆じた「it is hard in a politique body to prevent any mischief without charges as in a natural body diseased to cure the same without pain 身体の病が痛みなしには癒されないのと同様、政治における禍いも代償なしに防ぐことはできない」というコメント、彼が実際に病を抱えていたことを思うと、なんだかしんみりするではありませんか。
*以下の記事を書くにあたっては概ね”Oxford Dictionary of National Biography(2004)”と”Burley: William Cecil at the Court of Elizabeth I(2008)”を参考にしました。生年を1532年としたのもOxford ~に準拠したためです。その他のソースについては記事の最後に列挙します。また、英国国教会と新教徒(プロテスタント)は厳密に同じものというわけではありませんが、ややこしいので以下では英国国教会=新教徒として記述します。
「There is nothing more dangerous than security. 安全な状態ほど危険なものはありません」
「There is less danger in fearing too much than too little. 心配しすぎる方が、心配しなさすぎるよりも危険が少ない」