いつの間にやら1年の折り返し地点を過ぎてしまいました。
この半年を振り返れば、いつにもまして実り少ない1年になりそうな予感のする今日この頃ではございますが
ええいままよと開き直って
いたしまするはノミ話でございます。
ノミ話 その1:新たなファンサイトを発見いたしました。
Klaus Nomi Tribute Page
いや、嬉しうございますねえ!
Created by Tyler Henry 2006 とありますから、設立は去年のようですが、ワタクシはつい先日まで存じませんでした。
きっとアナタもご存じなかったはず。(興味があるかどうかは別として)
他のファンサイトに比べると今の所、それほどコンテンツが充実しているとは申せません。
1stアルバムのジャケット写真が左右反転で掲載されている点も、何のためやら甚だ謎でございます。
しかしMP3のダウンロードができたり、ビデオをまとめて置いているというのは他所には無い特色でございますし
”EXTRA”の頁からダウンロードできる、アイロンプリント用の画像なんて変わり種もございます。
歌詞をすべて掲載しているというのも、なかなかたいしたものです。
とりわけ注目したいのはオペラ『サムソンとデリラ』のアリア『貴方の声に我が心は開く』
(ノミがいつもライヴの最後に歌った曲)の歌詞でございますね。
輸入版CDに歌詞がないのはまあ普通のことですが、この曲だけは
日本版CDのライナーノーツにも歌詞が載っていなかったんでございます。
ノミマニアであります所のワタクシはもちろん、このアリアの歌詞つき楽譜を図書館で探し出すくらいのことはいたしました。
これの含まれているマリア・カラスのCDを購入するくらいのこともいたしました。
しかし、それによって判明したことは
ノミがこの曲をずいぶん縮めて歌っているということ、そのぶんもとの歌詞を飛ばしたり、ずらしたりしているということ
そして音楽的素養が限りなくゼロに近い上にフランス語いっこもわかりまへん な のろが
楽譜を睨みつつ一生懸命に耳を傾けても、ヤツがどの部分を歌っているのかおおむねわかりゃしない
という悲しい事実でございました。
日本版CDのライナーノーツに「聴き取り不可能のため割愛させていただきました」の一文があることからして
これはひとりのろにかぎった現象ではないことと思われます。
そんなわけで、このファンサイトがノミ版『サムソンとデリラ』の歌詞を掲載してくれている事を
ワタクシは高く評価いたします次第。
今後ますますのコンテンツ充実を期待しております。
ノミ話 その2: KLAUS NOMI TRIBUTE PARTYの画像
以前コメント欄でチラと触れさせていただきましたが、イタリアはパルマで開かれたアートイベントで
オープニングに NOMI PARTY なるものが開催された模様。その時の画像が『ノミ・ソング』の公式サイトにUPされております。
ううむ
ええとですねえ
いちファンとして、もちろんノミへのトリビュートがあるのは嬉しいことなんでございますが
ヤツの格好そのまんまでパフォーマンスすることについては正直、その意義に疑問を感じるのですよ。
クラウス・スパーバー氏という欠くべからざる個性を欠いて、格好だけ「クラウス・ノミ」そっくりにしたところで
それはいきおい劣化コピーにならざるを得ないではございませんか。
むしろリンク先でNOMI PARTYの下に紹介されているスキンヘッドノミや
こちら http://www.extrapool.nl/Images/2005/2005Nomif.jpg
(リンクできませんでした。お手数ですがコピー&ペーストしてくださいませ)ぐらいに
わざと崩して、パロディー性を前面に打ち出した方がよいものになっていると思います。
演者は「クラウス・ノミ」という仮面に、すっかり隠れてしまってはいけないのですよ。
それを違和感無くこなせるのは、ノミ本人だけなのですから。
そもそも「巻き舌ファルセットで歌う、宇宙から来た変異体、ノミ」という存在自体が
オペラの、ロックの、ポップスの、そして1950年代SF映画のパロディーであったのと同時に
ゲイでドイツ人で「ちょっと変なひと」で、オペラ界にもロック界にも居場所を見つけられなかった
クラウス・スパーバーという人物の自己パロディーであったと、のろは思うのですよ。
風刺的な模倣という性格上、パロディには「わざとらしさ」と「まがいもの感」が不可欠でございます。
プラスチック製のタキシードも、3方に逆立ったヘアスタイルも、カクカクした動作も
いかにもわざとらしく、薄っぺらく、まがいものらしいですね。
このわざとらしさ、嘘くささこそが「ノミ」の重要な構成要素なのでございますよ。
で
そもそもが「まがいもの」である「クラウス・ノミ」を
「本物そっくりに」演じる、というのはいとも奇妙な話ではございませんか。
むしろヤツが「うそっこ宇宙人」の仮面を堂々とかぶり続けたように
まがいもの感を大いに強調した「うそっこクラウス・ノミ」としてパフォーマンスした方が
表面ではなく根っこの所で、ヤツのアートコンセプトに共鳴するのではないか?と
ワタクシは思うわけでございますよ...。
この半年を振り返れば、いつにもまして実り少ない1年になりそうな予感のする今日この頃ではございますが
ええいままよと開き直って
いたしまするはノミ話でございます。
ノミ話 その1:新たなファンサイトを発見いたしました。
Klaus Nomi Tribute Page
いや、嬉しうございますねえ!
Created by Tyler Henry 2006 とありますから、設立は去年のようですが、ワタクシはつい先日まで存じませんでした。
きっとアナタもご存じなかったはず。(興味があるかどうかは別として)
他のファンサイトに比べると今の所、それほどコンテンツが充実しているとは申せません。
1stアルバムのジャケット写真が左右反転で掲載されている点も、何のためやら甚だ謎でございます。
しかしMP3のダウンロードができたり、ビデオをまとめて置いているというのは他所には無い特色でございますし
”EXTRA”の頁からダウンロードできる、アイロンプリント用の画像なんて変わり種もございます。
歌詞をすべて掲載しているというのも、なかなかたいしたものです。
とりわけ注目したいのはオペラ『サムソンとデリラ』のアリア『貴方の声に我が心は開く』
(ノミがいつもライヴの最後に歌った曲)の歌詞でございますね。
輸入版CDに歌詞がないのはまあ普通のことですが、この曲だけは
日本版CDのライナーノーツにも歌詞が載っていなかったんでございます。
ノミマニアであります所のワタクシはもちろん、このアリアの歌詞つき楽譜を図書館で探し出すくらいのことはいたしました。
これの含まれているマリア・カラスのCDを購入するくらいのこともいたしました。
しかし、それによって判明したことは
ノミがこの曲をずいぶん縮めて歌っているということ、そのぶんもとの歌詞を飛ばしたり、ずらしたりしているということ
そして音楽的素養が限りなくゼロに近い上にフランス語いっこもわかりまへん な のろが
楽譜を睨みつつ一生懸命に耳を傾けても、ヤツがどの部分を歌っているのかおおむねわかりゃしない
という悲しい事実でございました。
日本版CDのライナーノーツに「聴き取り不可能のため割愛させていただきました」の一文があることからして
これはひとりのろにかぎった現象ではないことと思われます。
そんなわけで、このファンサイトがノミ版『サムソンとデリラ』の歌詞を掲載してくれている事を
ワタクシは高く評価いたします次第。
今後ますますのコンテンツ充実を期待しております。
ノミ話 その2: KLAUS NOMI TRIBUTE PARTYの画像
以前コメント欄でチラと触れさせていただきましたが、イタリアはパルマで開かれたアートイベントで
オープニングに NOMI PARTY なるものが開催された模様。その時の画像が『ノミ・ソング』の公式サイトにUPされております。
ううむ
ええとですねえ
いちファンとして、もちろんノミへのトリビュートがあるのは嬉しいことなんでございますが
ヤツの格好そのまんまでパフォーマンスすることについては正直、その意義に疑問を感じるのですよ。
クラウス・スパーバー氏という欠くべからざる個性を欠いて、格好だけ「クラウス・ノミ」そっくりにしたところで
それはいきおい劣化コピーにならざるを得ないではございませんか。
むしろリンク先でNOMI PARTYの下に紹介されているスキンヘッドノミや
こちら http://www.extrapool.nl/Images/2005/2005Nomif.jpg
(リンクできませんでした。お手数ですがコピー&ペーストしてくださいませ)ぐらいに
わざと崩して、パロディー性を前面に打ち出した方がよいものになっていると思います。
演者は「クラウス・ノミ」という仮面に、すっかり隠れてしまってはいけないのですよ。
それを違和感無くこなせるのは、ノミ本人だけなのですから。
そもそも「巻き舌ファルセットで歌う、宇宙から来た変異体、ノミ」という存在自体が
オペラの、ロックの、ポップスの、そして1950年代SF映画のパロディーであったのと同時に
ゲイでドイツ人で「ちょっと変なひと」で、オペラ界にもロック界にも居場所を見つけられなかった
クラウス・スパーバーという人物の自己パロディーであったと、のろは思うのですよ。
風刺的な模倣という性格上、パロディには「わざとらしさ」と「まがいもの感」が不可欠でございます。
プラスチック製のタキシードも、3方に逆立ったヘアスタイルも、カクカクした動作も
いかにもわざとらしく、薄っぺらく、まがいものらしいですね。
このわざとらしさ、嘘くささこそが「ノミ」の重要な構成要素なのでございますよ。
で
そもそもが「まがいもの」である「クラウス・ノミ」を
「本物そっくりに」演じる、というのはいとも奇妙な話ではございませんか。
むしろヤツが「うそっこ宇宙人」の仮面を堂々とかぶり続けたように
まがいもの感を大いに強調した「うそっこクラウス・ノミ」としてパフォーマンスした方が
表面ではなく根っこの所で、ヤツのアートコンセプトに共鳴するのではないか?と
ワタクシは思うわけでございますよ...。