のろや

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キートン in トワイライトゾーン

2014-03-18 | 映画
こんな素敵なものが。

Twilight Zone - Once Upon a Time - Buster Keaton


時は1890年、主人公は発明家のギルバート博士のもとで雑用夫として働くマリガン氏(キートン)。物価は高いし、街路は馬車や自転車が行き交って騒々しいし、やれやれだ、と今日も仏頂面でございます。外出から帰って、水桶にはまったせいでびしょぬれになったズボンを干していると、隣室で博士が「好きな時代に30分間だけ行けるタイム・ヘルメット」を発明したぞと息巻いております。博士と弟子が祝杯をあげている間に、マリガン氏はこっそりヘルメットを拝借して、もっと静かでのどかだった時代への時間旅行を試みます。しかしダイヤルをうっかり未来(1962年)に合わせてしまい…というお話。

トワイライトゾーンというとワタクシは冒頭の♪タリラリ タリラリ…の所しか存じませんで、もっとおどろおどろしいと言いますか、ホラーSF寄りの番組かと思っておりました。そうでもないようですね。ひところ日本でも放送された『世にも不思議なアメージングストーリー』みたいな感じなんでしょうか。

このエピソードの放送は1961年12月。キートンは1895年10月生まれですから、66歳の時ですね。この前年に出版された自伝ではこう語っております。

つい最近のことだが、ある友達に一生を役者稼業に費やしたことでいちばん嬉しいと思えることはなにか、と 訊かれた。あまりにたくさん答えがありそうなので私はしばらく考えなくてはいけなかったが、それからこう言った。「誰でも同じことさ、楽しい人たちと一緒にいられることだね。」
そしてこれこそコメディ役者の最高の特権であり喜びなのだ、私はそう思う-----自分がしりもちをついたりその他もろもろの道化の手管で笑わせた、これほどたくさんの楽しい人々といっしょにいられること。
(p.314)

(主治医の)アヴェドン先生は私が百歳まで生きると言っていた。私もそうするつもりだ。これほど大勢の人が、何十年も昔のこと、彼らも私も両方とも若かった時代に、自分たちにささやかな笑いをくれた凍り付いた顔(フローズン・フェイス)の小男のことを、いつでまも感謝と愛情を込めて覚えていてくれる-----そんな世界にいて百歳まで生きたいと願わない人間がどこにいるだろうか?(p.315)

(『バスター・キートン自伝 わが素晴らしきドタバタ喜劇の人生』藤原敏史訳 1997 筑摩書房)

本当に、百まで生きてほしかった所です。
キートンは1930-40年代に色々な面で不幸な時代を送ったものの、50年代以降は再評価が高まり、TVや映画に出演することも多くなりました。この『トワイライトゾーン』のエピソードにも、キートンの昔の作品、そしてキートン自身へのオマージュと感じられる部分がそこここにございます。まずもって「変なかぶり物とバスター・キートン」という組み合わせからしてそうですね。

キートンの帽子といえば、このエピソードの中でも被っている「ポークパイ・ハット」でございますが、このぺちゃんこ帽子に限らず、キートンの作品には帽子が主役のギャグがしばしば登場いたします。
中でも代表的なものは『蒸気船(Steamboat Bill Jr.)』の帽子とっかえひっかえシーンでございましょう。『荒武者キートン(Our Hospitality)』では、馬車の中でたけの高いシルクハットを被ろうと悪戦苦闘するシーンがございました。(Youtubeで見られるものも多いので、原題も併記しておきます。)
『探偵額入門(Sherlock Jr. )』では、現実のキートンと夢の中のキートンが画面上で分離したように、壁にかけてあった帽子も、現実のそれと夢の中のキートン用の帽子に分離するという几帳面なギャグが。このキートンが2人に分離するシーン、今の技術からするとたいしたことがないように思われるかもしれませんが、もちろんCGなんぞない時代のことであり、フィルムの多重露光(重ね撮りと言っていいのかしらん)によって実現した画面には、不思議な詩情が漂っております。
『西部成金(Go West)』では、着ぐるみで悪魔の扮装をしたキートンが例のペチャンコ帽子を被ろうとするものの、頭にツノがあるせいで被ることができず、逼迫した事態をよそに真剣に悩むというのがございました。

短編『鍛冶屋(The Blacksmith)』では、びっくり仰天した拍子に帽子が飛び上がって一回転しておりました。
(↓の0:45)
The Great Buster Keaton


『化物屋敷(The Haunted House)』ではキートンが気絶している間に見る夢の中で、天使じみた白い衣装を着て天国への階段を駆け上がるシーンがございますが、そんな非日常の格好でも頭にはいつもの帽子を乗せたままというのが何ともとぼけた笑いどころでしたし、途中に控えている天使たちに向かっていちいち帽子を持ち上げて挨拶しながら階段を上って行くのも、いかにもキートンが演じるキャラクターらしい馬鹿正直さが表現されていて、微笑ましいものでございました。
『船出(The Boat)』では小舟がキートンを乗せたまま粛々と沈んで行き、水面に例の帽子だけが取り残されるという、これまたキートンならではの「暗い」ギャグが。
また映画の中ではこのままのシーンはなかったと記憶しておりますが、『海底王(The Navigator )』のスチルにはこんなのがございますね。



ざっと思いつくだけでもこれだけ出て来ます。実際はもっとたくさんあるかと。

それから、「警官に追いかけられる」。
最初の遭遇ではなーんだ追いかけっこは無しか、と肩すかしを食わせておいて、あとでやっぱりやる、という構成が心憎い。ズボン無しのせいで警官に追われる→大柄な相棒の陰に隠れてやりすごす→店先のズボンをガメる、という流れは『自動車屋(The garage)』でロスコー・アーバックルと組んでやったギャグの再演でございますね。66歳のキートンは、アーバックルと短編を作っていた20代の頃に比べると少なからず横幅が増しているわけですが、それでも大男の影にすっぽりおさまってしまうという可笑しさ。
額に手をかざして遠くを見渡す、お得意のポーズも健在です。
またズボンを絞り機にかけようとして指を巻き込んでしまう場面は、キートンの実体験から派生したギャグでございますね。

再びキートン話 - のろや

実体験といえば、23:10の所で、あれがないこれがないと文句を言う男を見て「うちの姑より酷いや」というセリフがございますが、これはキートンの最初の結婚のことを暗に指しているような。
トム・ダーディスの伝記によると、姑のペグ・タルマッジは見栄っ張りな所があった上、キートンのことを教養の無い喜劇役者としていささか見下していたフシがございます。
ただダーディスの伝記は、著者がキートンを愛するあまり、キートンに害をなしたと見なしうる人物のことを悪しざまに書いている傾向がなきにしもあらずです。よって、ペグ・タルマッジがいわゆる鬼姑であったと決めつけるのも控えたいと思います。ただキートン自身、自伝の中でタルマッジ家の結束と仲睦まじさを讃えたあとで冗談めかしながらも「時には、自分はひとりの娘ではなくて家族とまるごと結婚したんじゃないか、と不安な気持ちになったこともあった」と語っているように、夫婦間のかなり立ち入ったことにまで干渉して来るタルマッジ家の人々と、その友人たちが日々詰め寄せる家庭内において、居心地の悪さを感じていたようです。

「より静かだった時代を懐かしむ人物」という設定も、トーキーの波にうまく乗れなかったとされるキートン自身の映画人生を踏まえたものでございましょう。ワタクシとしては1930-40年代の不遇時代をもたらした要因はサイレントからトーキーへの移行という問題ではなく、大手のMGMに移籍したのち、それ以前のように自由な映画作りをさせてもらえなくなったことや、離婚やアルコール依存といった心身をすり減らす問題であったという説を採りたい所でございます。

来年はキートンの生誕120周年にあたるわけでございまして、劇場での作品上映や関連書籍の再版などがあるといいなあと、ひっそり期待しております。
「午前十時の映画祭」で、『探偵額入門』か『将軍(The General)』くらいは上映してくれてもいいと思いますよ、東宝さん。


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