森田浩之著『スポーツニュースは恐い―刷り込まれる〈日本人〉』を朝な夕なにしきりと思い出す今日この頃。
スポーツをはじめ、映画、漫画といった娯楽において、一般に広く人気がある(あるいは、人気があると喧伝されている)ものについて、批判的な感想や意見を述べる人はもちろんおります。それに対する「素直に楽しめばいいのに」という反論あるいはアドバイスを、ネット上にみかけることがままございます。
しかし批判を述べた当人にしてみれば「自分には楽しめない/楽しめなかった」というのがまさに素直な感想なのでしょうに、それを「楽しめないのは素直に見ていないからだ」と断じるのは、無茶という以上にそらおそろしいことのようにワタクシには思われます。
というのは、「素直に...」という一見ごくソフトな言葉が使われてはいるものの、ここで断罪の対象となっているのはある個人の意見や行動ではなく、その人の「感じ方」そのものだからでございます。とりわけこの言葉がポピュラーなものへの批判に対して向けられるとき、それは多数派であることを後ろ盾にしたやんわりとした”上から目線”であり、無意識のオブラートにくるまれた全体主義の萌芽のように思われてならないのでございました。
そんだけ。
スポーツをはじめ、映画、漫画といった娯楽において、一般に広く人気がある(あるいは、人気があると喧伝されている)ものについて、批判的な感想や意見を述べる人はもちろんおります。それに対する「素直に楽しめばいいのに」という反論あるいはアドバイスを、ネット上にみかけることがままございます。
しかし批判を述べた当人にしてみれば「自分には楽しめない/楽しめなかった」というのがまさに素直な感想なのでしょうに、それを「楽しめないのは素直に見ていないからだ」と断じるのは、無茶という以上にそらおそろしいことのようにワタクシには思われます。
というのは、「素直に...」という一見ごくソフトな言葉が使われてはいるものの、ここで断罪の対象となっているのはある個人の意見や行動ではなく、その人の「感じ方」そのものだからでございます。とりわけこの言葉がポピュラーなものへの批判に対して向けられるとき、それは多数派であることを後ろ盾にしたやんわりとした”上から目線”であり、無意識のオブラートにくるまれた全体主義の萌芽のように思われてならないのでございました。
そんだけ。
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