二つの夢、Part 1 世界の夢の目的 ケネス・ワプニック Ph.D.
The Two Dreams, Part 1_The Purpose of the World's Dream
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=0CaDg8zGVUs
ノート:
本文は一読して、理解しずらいが、「すべては、見かけ上は世界で展開されていますが、実際には夢を見ていることに気づいていない夢を見る心の中で展開されている。」という、後で出てくる文章を最初に読むとわかりやすいかもしれない。 我々は「小さな狂った考え=分離の夢(心の夢)」が作り上げた夢の世界(体の夢)を現実の世界だと信じ切っている。その意味で夢が二重になっているように見える。
参考として、ヴェーダンダ哲学、及び日本に伝わる唯識仏教に、よく知られる二つの幻想という比喩が出てくるので、紹介したい。 これらは、それぞれ微妙に異なっているが、ラメッシの説明は奇跡講座の説明を裏付けているような気がする。
夜道を歩いていて、暗がりの向こうに蛇のようなものが道の向こうに見える。 それを見て、私は恐怖に襲われる。 先日、兄が蛇に噛まれて死んだからだ。 第二の幻想は、この蛇のようなものは幻想であって、実際はロープだったというもの。 ロープだということが判明した瞬間に恐怖は消滅する。 その前に第一の幻想があり、それはその物体をロープだと受け取ることである。 唯識仏教の説明では、ロープというのも我々が名前を付けた観念であって、実際は編まれた繊維だ。 さらに繊維というのも我々の観念に過ぎない。
ラメッシ・バルセカールはそれをさらに、こう説明する。
「蛇と間違えられたロープは第二の幻想でそれは、明りがあって、あなたがそれを蛇でないことに気づく時消えます。 しかしロープそのものが第一の幻想なのです。 あなたがロープを物体だと受け取ることが第一の幻想です。それは意識の中の見かけです。 それはどんな独立した実存も持っていません。 あなたが太陽の中に出るとあなたの影ができます。 影があるのです。 それはあなたがそれを見る限りにおいては現実です。 しかしそれは独立した実存を持っていないという意味で幻想です。 ですから影は第二の幻想です。 あなたの体、それ自身極めて堅牢に見えますが、それはこの現象である全幻想の中の第一の幻想です。」 …「意識は語る」
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以下本文:
これらの二つのレベルの夢、つまり誤った心の夢と世界の夢は、これから読む箇所では「秘密の夢*」または「最初の夢」と呼ばれています。それはエゴの夢であり、その後の世界の夢です。重要なのは、世界の夢の目的意識について非常に明確に述べている点であり、それが本当に理解する上で重要だと私は思います。
なぜなら、世界の夢の目的が私たちを無思考状態に保ち、この夢を隠しておくことだと理解すれば、私たちが肉体として行う、非常識で奇妙な行動、たとえ私たちがこのコースをしばらく学び、何をすべきか正確に知っていても、真逆のことをしてしまう理由が理解できるからです。それには理由があるのです。
それは、私たち全員が一人の子として、世界を作り、また、常に裁き続け、常に被害者意識や被害体験に固執する理由と同じです。それで、これから読みたいのは、最初の箇所は、第27章の終わり近く、11段落で、段落の真ん中、4文目*です。
「現実と夢の間の隔たりは、世界の夢を見ることと、あなたが秘密裏に見る夢との間にあるのではない。それらは一つである。」
参考図
言い換えれば、心と体の間に隔たりはないということです。世界の夢を見ることは肉体であり、秘密の夢は心です。それらは同じものです。なぜ一つなのでしょうか? なぜなら「想念は源を離れない」からです。心と体の間に隔たりはありません。隔たりは、現実と夢想の間にあります。それがこの垂直線*(訳注:参考図の「小さな狂った考え」分離の夢の実線部分)が表しているものです。それは、小さな狂った観念です。問題はそこにあるのです。私たちはエゴが、小さな狂った観念が事実だと告げるのを信じてしまい、それを承認したことを忘れ、気がつけば、この世界で、この心の記憶のない肉体として生まれているのです。
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*訳注:秘密の夢 T.27.Ⅶ.11
二つの状態の内の一方しか明確に認識されていないときに その二つの間でどのような選択ができると言うのだろう。 それがもたらす結果の一方だけしか自分の意のままにならないように見えるとき、どちらの結果を選ぶかを自由に選択できるものがいるだろうか。 正直な選択というものは、あなたの中の真理について異なった夢を抱いている微小なあなたと巨大な世界との間で選択肢が2分されていると知覚されるようなものではありえない。 実相と夢のあいだの隔たりは、この世界の夢想とあなたが密かに見ている夢との間にあるのではない 。それらは一つのものである。 この世界の夢想とは、あなた自身の夢の一部に他ならず、あなたはその一部を投げ出して、あたかもその一部が世界の夢想の始まりと終わりの両方であるかのように見た。しかしそれはあなたの密かな夢によって始まった。 その夢があなたが見ていて、実在性を疑っていない部分の原因となっているにもかかわらず あなたはそのことを自覚していない。横たわって眠りながら、その原因は実在するという夢を密かに見ているときに、どうしてあなたにそれを疑うことができるだろう。
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だから、誤った心の秘密の夢と世界の夢の間には隔たりはありません。なぜなら、それは同じ夢だからです。「世界の夢を見ることは」…つまり、ここでの私たちの人生です。「世界の夢を見ることは、あなたが手放した自分の夢の一部にすぎず、まるでそれが始まりであり終わりであるかのように見た。」「世界の夢を見ることは」…私たちの肉体としての物理的および心理的な経験は、私たちが手放した秘密の夢の投影に過ぎないのです。手放すことは投影です。
ですから、私たちの世界の夢と、私たちが個人的な人生と呼ぶ個人の夢は、秘密の夢の投影なのです。いいですか? ですから、「世界の夢を見ることは、あなたが手放した自分の夢の一部にすぎず」、そして今、あなたは世界の夢を「まるでそれが始まりであり終わりであるかのように見た」のです。
一度この世界を作り上げ、秘密の夢を投影してしまったら、私たちはそれを忘れてしまいます。人生はこの世界で始まり、終わると思い込んでしまうのです。事実、これから見ていくように、世界の夢の始まりは秘密の夢であり、夢の終わりは秘密の夢、つまり意思決定をする、夢を見る心の中にあるのです。
ですから、世界は単なるごまかしです。それはカモフラージュです。それは、世界などなく、心だけがあるという事実を私たちから隠すための巨大な煙幕です。ですから、もう一度覚えておいてください。世界に生まれてきて、世界やその問題、そして私たちの個人的な問題に強く同一化しているのは、私たちを永遠の無思考状態に保つためであるという目的です。目的はすべてです。
ですから、「ここで全ては何のため? 私の人間関係は何のため? 私の病気は何のため? 私の問題は何のため? 私の人生は何のため? 」と自問してください。その答えは、私たちを無思考状態に保つためなのです。もし私が無思考であれば、つまり私が無思考な肉体であれば、私の心の意思決定の部分は空虚なままとなり、もしそれが空虚であれば、私は決して考えを変えることはできないのです。それが目的なのです。
ですから、これが言っているのはそういうことです。「しかしそれは始まった」…しかし世界の夢は、「あなたが知覚しない秘密の夢によって始まった」…だからこそ、このワークショップは「無意識の心」と呼ばれているのです。私たちは自分が心を持っていることに気づいていません。世界という夢は、宇宙という集合的な夢も、私たちの個人的な人生という個人の夢も、私たちがエゴになるという心の決定によって始まったものであり、それを私たちは認識も記憶もしていません。「それにもかかわらず」、秘密の夢は「あなたが見て、疑うことのないほど現実だと信じている部分を引き起こした」。何という素晴らしい計画でしょう!? そして、これがほとんどすべての人を欺いてきたのです。
私たちはこの世界が現実だと考えています。私たちはこの世界が現実であることを疑いません。「奇跡のコース」の生徒でさえ、この世界が現実であることを疑いません。彼らはこの本が現実だと信じているのです。彼らはこの本が何を言っているかについて議論します。
賢いでしょうか? それは賢くありません。本などないのです!
彼らは何を議論しているのでしょうか? 彼らは自分が神よりも賢いと主張しているのです。彼らは自分たちが肉体だと思っているから、自分たちの心の中で起こっていることに気づかないのです。
この世界のすべては、私たちが忘れてしまった秘密の夢によって引き起こされています。だからこそそれは無意識なのです。
ですから、フロイトの言葉をもう一度引用すると、精神分析の目標は無意識を意識化することです。イエスはコースの中で事実上、「このコースの目標は、あなたが心を持っていることに気づかせること、無意識の心を意識化し、自分が心を持っていることを知ることだ」と言っています。そして、私たちは自分が心を持っていることを知ることに断固として抵抗していることに気づいていません。
だからこそ、私たちは常にコースを解釈し、つまり誤って解釈するのです。なぜなら、私たちは肉体が現実であってほしいからです。
私たちは肉体が現実であることを疑いたくありません。そして、今朝も言っていたように、肉体が現実であることを証明する最良の方法は、イエスや聖霊、または神を関与させることです。
あるいは、イエスには私を含めた何か偉大な計画があるのでしょうか? 実際、私は舞台の中心にいるのです(誰もが舞台の中心にいますが)。肉体として「奇跡のコース」という別の肉体を使って他の肉体を癒すという偉大な計画があるのでしょうか? このすべては、見かけ上は世界で展開されていますが、実際には夢を見ていることに気づいていない夢を見る心の中で展開されていることに気づいていないのです。
だからこそ、この資料を読み、応用する際には、このコースの形而上学を置き去りにしないように気を付けなければならないのです。もしあなたが、心と体、そして現実についてこれが何を言っているかを理解していなければ、すべてを誤解してしまうでしょう。だからこそ、このような箇所は非常に重要なのです。
世界の夢の目的は、秘密の夢を隠すことであり、秘密の夢の目的は、夢見る人のアイデンティティを隠しておくことです。覚えておいてください。私たちがエゴの秘密の夢を選んだとき、私たちは自分が意思決定者であることを忘れました。この円(訳注:参考図の決断の主体の部分)はすでに空であり、そして私たちが決してそれに近づかないようにするために、エゴは世界を作り上げました。そして世界を作り上げる前に、罪、罪悪感、恐怖、そして神の罰という、あの狂った物語全体を作り上げなければなりませんでした。そうすることで、私たちが心を離れ、常に心を離れることを選ぶように動機づけるためです。
これは一度きりのことではありませんでした。私たちはこれを何度も何度も選択しているのです。今、第4章にあるのは、コースがヘレンを通して書かれていたときにビル・セトフォードが提起した質問への答えでした。彼はヘレンにイエスに尋ねさせました。「分離はどのようにして起こったのですか? 」そして答えは、「なぜ、ずっと昔に起こったことについて質問したり、不思議に思ったりするのですか? あなたは今もそれを選び続けているのです。」
それは質問に答えていませんでしたが、二度とこの質問をすることが不可能になりました。いいですか? イエスは愚かではありません。ずっと昔に起こったことについて、なぜ不思議に思うのですか? あなたは今もそれをしているのに。それがあなたの質問に対する答えです。「なぜ分離を選んでいるのですか? なぜなら私は『個人』であるのが好きなのです」それが理由です。
私は個人としての自我が好きであり、決して考えを変えないようにするために、世界と肉体を作り、そしてここでの問題は、私が内面に戻ることがないように、私の注意を外に向けさせるのです。「どうして疑えるだろうか」…夢見る世界、つまり肉体の現実をどうして疑えるだろうか? 「あなたが眠りに落ち、秘密裏にその原因が現実であると夢を見ている間は? 」。言い換えれば、私たちは常にエゴの誤った考えである秘密の夢を選んでおり、それが世界を引き起こしているのですが、私たちがそれらを引き起こしていることに気づいていないのです。私たちはまだ眠っていて夢を見ているので、これが現実だと思っています。そして、夢の原因は抑圧された、無意識の心の中にあることを理解していないのです。