思惑違い
文化の日が近くなってきました。
その祝日の名前を、明治の日に改めようという動きがあります。
保守派の人たちには、明治という時代への憧れがあるのでしょうか。
ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする・・・。
日清、日露の戦いに勝ち、西欧列強の仲間入りを果たした時代に郷愁を感じているのでしょうか。
民主主義などより、忠君愛国が3度の飯より大好きな人たちなのかもしれません。
どういう思惑があるのか知りませんが、憲法改正、道徳の復活などの動きの一つなのかも。
ところで、今朝書こうとしているのは、この思惑という言葉。
先日、ラジオを聴いていたら、何度か、シワク、シワク、と言っている評論家?がいました。
その文脈から、たぶん、思わく、のことなのでしょう。
たしかに漢語風に読めば、思惑はシワクですが、音で発する時はオモワクじゃないの?
と思いながらも、自信があるわけではないので、調べてみました。
すると、確かに、シワクもあることを知って、へ~っ、こういう読み方もあるんだ。
オモワクというのは、見込みとか意図とか当て推量とかを指します。
その場合、思惑の惑は当て字で、思わく、と書くのが本来なのだそうです。
思惑と書くとシワクという読み方になって、これはまったく別の意味の言葉になる。
一つは仏教用語で、修道で断ぜられる煩悩。欲界の貪・瞋・痴・慢の四煩悩などのこと。
もう一つは、分別や判断がつかずに思い迷うこと。
オモワクと読むか、シワクと読むかで、こうも意味が違ってくるんですね。
そういう言葉、ほかにもあるのかな、考えてみましたが、思いつきませんでした。
いずれにしても、評論家氏のシワクはたぶん間違いでしょう。
眼で読んで覚えた言葉だと思いますが、わたしも同様の間違いを他でしているかも。
別の人ですが、同じく、おやっ? と思って聞いた言葉がありました。
それを思い出そうとしているのですが、どうしても出て来ません。
歩いて表札を見に行くわけにもいかず・・・誰か、代わりに思い出してくれませんか。