浦添市沢岻の「浦添御殿の墓」を訪ねました。第二尚氏14代国王「尚穆(しょうぼく)」の第二子「尚図(浦添朝央)」を祖とする浦添家の墓です。墓は18世紀頃の造営と推定され、浦添市内で最大級の亀甲墓です。
参照(浦添御殿の墓 – Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E6%B7%BB%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E3%81%AE%E5%A2%93)
01-0212 沢岻公園
02-0212
03-0212 左手階段を上る
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「浦添市指定文化財 史跡 浦添御殿(うらそえうどぅん)の墓…浦添御殿の墓は、第二尚氏第十四代国王尚穆(しょうばく)王(在位一七五二~一七九四)の次男、浦添王子朝央(ちょうおう)を元祖とする浦添家の墓です。浦添家は代々浦添を領地とし、近世琉球を代表とする政治家や文化人を輩出した由緒(ゆいしょ)ある家系でした。墓の造営は十八世紀末とされ、浦添市内でも最大級の亀甲墓(かめこうぼ)です。広い庭や大きなヒンプン、巧みに組み合わされた石積み、正面に使われた大きな石などは、浦添家の栄華(えいが)を今に伝えるものです。かつて墓の近くには、墓を管理する御墓番(おはかばん)の屋敷があり、昭和二十年の航空写真でも確認できます。平成二十年三月三日指定 浦添市教育委員会」
「浦添御殿の墓」周辺は整備され、「沢岻公園」となっています。公園左手階段を上ると、墓を観察することができます。周囲に厚い石組みと、前面に大きなヒンプンをもつ、広い庭のある墓で、主の格式の高さを伺わせます。近くには、「沢岻小学校」「沢岻幼稚園」「昭和薬科大付属高等学校・付属中学校」などがあります。
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08-0212 ヒンプン
09-0212 ヒンプン前の通路
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「浦添御殿の墓」に隣接して、左手に「沢岻按司墓」がありますが、こちらは、自然の崖を利用した質素な墓です。その奥に、「東樋川」と「玉城世本地本祝女」などと記された屋根付きの拝所がありました。いろいろ書かれていますが、摩耗して、文字を判読できませんでした。
11-0212 沢岻按司墓
12-0212 沢岻按司墓
13-0212 沢岻按司墓そばの洞穴
14-0212 東樋川
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16-0212 玉城世本地本祝女
17-0212-16の左側
18-0212-16の右側
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