結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

周囲の島々より高く、高離島と呼ばれた宮城島

2014-09-05 | 文化

 うるま市与那城の海中道路から「平安座島」へと進み、右手に「浜比嘉島」を見ながら、「宮城島」に入ります。宮城島は、桃原・上原・宮城・池味の4集落からなり、島の中央から南に走る断崖層でできた高台と、周囲の低地に分けられます。

 高台は標高100~120mの琉球石灰岩でできており、北に伊計島、東に太平洋、南に平安座・浜比嘉・津堅の島々、西に沖縄本島中部を見渡すことができます。周囲の島々より高いため、「高離島(たかはなりじま)」と呼ばれています。宮城島は伊計大橋により、「伊計島」と接続しています。今回は、宮城島の「ヤンガー(万川、ウブガー)」「シヌグ堂の高離節歌碑」を紹介します。

01-0306 ヤンガー、シヌグ堂バンタ

02-0306 ヤンガー

03-0306 ヤンガー

04-0306 ヤンガー

05-0306 ヤンガー

 「ヤンガー うるま市指定文化財第15号『建造物』 指定月日:1995年(平成7年)6月14日…琉球石灰岩(りゅうきゅうせっかいがん)と第三紀層泥灰岩(沖縄方言:クチャ)の地質で成り立つ宮城島は、雨水を保水する理想的な地形で多くの湧き水を持っています。その中でも一番の湧出(ようしゅつ)量をもつヤンガーは、1849年(尚泰しょうたい2年、嘉永かえい2年)に、与那城間切(よなぐすくまぎり)の地頭代(ジトゥデー)の名嘉村親雲上(なかむらペーチン)と池味親雲上(いけみペーチン)が住民19人の協力を得て、石造の改修工事をしたことが琉球王府の歴史書『球陽(きゅうよう)』に記録されており、この石造が当時の建築技術の高さを今に伝えています。また、かつての上原と宮城の両ムラに住む人々にとっては飲み水としてだけでなく、現在でも毎年正月の若水(ワカミジ)や、赤子(あかご)が生まれたときの産水(うぶみず)としても使用されており、日常生活にかかせないきちょうかつ神聖な水源となっています。 うるま市教育委員会」

06-0306 やんがはいみじや

「やんがはいみじや/いしからるわちゆる/よなぐすくうめが/うかきうえじま(ヤンガ走い水や石からどぅ湧つる 与那城御前が御掛親島)」

07-0306 ヤンガー

08-0306 ヤンガー

09-0306 ヤンガー

10-0306 ヤンガー

11-0306 シヌグ堂バンタ

12-0306 高離節歌碑

13-0306 高離歌碑建立期成会

14-0306 高離節歌碑碑文

15-0306 高離節歌碑碑文

16-0306

17-0306

18-0306

19-0306

20-0306うるま市景観賞

21-0306うるま市景観賞


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