うるま市勝連平敷屋に「平敷屋タキノー」と呼ばれる丘があります。組踊「手水の縁」の作者で、和文学者でもあった平敷屋朝敏が、脇地頭在任中、水不足になやむ農民のためにため池をほり、ほり出した土を盛り上げ築いた丘だと伝えられています。勝連半島から太平洋を見渡せる景勝地として知られている所です。「平敷屋小学校」「米軍施設ホワイトビーチ」「陸上自衛隊勝連分屯地」「海上自衛隊沖縄基地隊」などが近くにあります。当日は、雨でしたが、眼下の「ホワイトビーチ」に艦船が見えました。
「平敷屋朝敏(へしきや・ちょうびん)朝日日本歴史人物事典の解説…生年: 尚貞32.11.23 (1701.1.1) 没年: 尚敬22.6.26 (1734.7.26) 近世琉球の和文物語作者。有力な家に生まれたが、父親は朝敏が6歳のとき29歳で死に、母方の祖父和文学者の屋良宣易のもとで薫陶を受ける。作品には短い和文の物語『苔の下』『若草物語』『万歳』『貧家記』と若干の和歌がある。前3作が恋物語で、これらから朝敏には好色と美男のイメージが付きまとい、「琉球の業平」ともいわれている。尚敬22(1734)年、友寄安乗 らと計って首里王府を誹謗する落書を薩摩在番役人の宿舎に投げ入れるなどして捕らえられ、一党ことごとく処刑、男子は流罪、妻は百姓に落とされた(平敷屋・友寄事件)。しかし事件の全貌は今もって謎である。悲劇的な死ということもあって伝説的な面影も加わり、組踊では珍しい恋愛物「手水の縁」はこの人の作に擬せられている。 (池宮正治)」
引用(平敷屋朝敏 とは - コトバンク http://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E6%95%B7%E5%B1%8B%E6%9C%9D%E6%95%8F)
01-0518 平敷屋タキノー
02-0518 平敷屋タキノー
03-0518 平敷屋タキノー
04-0518 平敷屋タキノー
「平敷屋タキノー 勝連町指定文化財第1号…この地域は平敷屋タキノーとよばれ、標高(ひょうこう)70m余りの小さな丘です。1727年脇地頭(わきじとう)としてこの地を配(はい)された平敷屋朝敏は、水不足になやむ農民(のうみん)のために、ため池をほりました。その時ほり出した土を盛り上げ築いたのがこの丘だと伝えられています。 近年住宅化が進み、タキノーや池も整備・改修がなされ昔と趣(おもむき)を異(こと)にしたが、勝連半島を取り巻く太平洋のみはらせるすばらしい景勝地(けいしょうち)です。1896年には、和文学者でもあった朝敏の琉歌の記念碑(ひ)も建立(こんりゅう)されました。 また、近くには御嶽(うたき)やヒータムイ(のろし台)や平敷屋古島遺跡(ふるじまいせき)もあり、昔の集落を研究するにも重要な史跡(しせき)です。 文化財保護条例により、勝連町指定文化財に指定する。 平成2年3月26日 勝連町教育委員会」
05-0518 平敷屋タキノー
06-0518 遊具
07-0518 遊具
08-0518 歌碑
「哀そのはた打ちかへす せなかより ながるあせや 瀧つしらなみ 平敷屋朝敏歌碑建立期成会 昭和六十一年三月三十一日竣工」
09-0518 歌碑(裏)
10-0518 碑文
11-0518 碑文
12-0518 碑文
「碑文…平敷屋朝敏は一七〇〇年首里金城村に生を受け、一七三四年三十四歳の若さで安謝港に於いて『八付』にされた。世にいう『平敷屋・友寄事件』によってである。朝敏は、薩摩藩支配下における苦難の次代に、士族という自らの身分におごることなく、農民を始とした弱い立場の人たちに暖かい眼差しを向けることの出来た、沖縄近世随一の和学者でありました。思えば、朝敏の憂き目は、当時の封建支配の原理道徳に背を向けようとする、人間としての優しさゆえの到達点でもあったと言い得ることである。 このタキノーは、朝敏が脇地頭在任中当地平敷屋に滞在した折、農民の水不足を解消するために用水池を掘り、その土を盛りつけて構築したと伝えられている。更に彼の和文学の作品『貧家記』には、碑に掲げられた和歌を始め、当時の勝連の風物や貧しかった領地領民の生活環境が四十首の和歌とともに描写されている。『貧家記』のなかの一首 入り日さすまつばら近くみつしほを あすなが崎のあすもきてみん は、夕暮れの半島のはずれ『あしな』浜を詠んだものである。 琉球和文学の粋を極め、組踊『手水の縁』の作者でもある朝敏はまた、物ごとの本質を見つめ続けようとしたすぐれた批判精神の持ち主でもあった。次の琉歌はその一端をとろしてあまりある。 四海波たてて硯みずなちも 思事やあまた書きもならぬ 平敷屋朝敏没後二百五十年の節目(一九八四年)に、私たちは多くの人と人との出会いを機縁にして朝敏歌碑建立のための期成会を発足させた。そして今、朝敏がこよなく愛したと伝承されるこの地平敷屋タキノーに歌碑を建立し、永く平敷屋朝敏とその志を讃えるものである。 一九八六年三月三十一日 平敷屋朝敏歌碑建立期成会」
13-0518 東屋
14-0518 シーサー
15-0518 シーサー
16-0518 小鳥
17-0518 ホワイトビーチ
18-0518 ホワイトビーチ
19-0520 与勝第二中学校
参照(うるま市立与勝第二中学校_jp- http://yokatsu2-chu.edu.city.uruma.okinawa.jp/)
参照(平敷屋小学校_jp- http://heshikiya-sho.edu.city.uruma.okinawa.jp/)
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