首里城公園前の「首里杜館(首里城公園レストセンター)」広場に、「眞珠湊碑文」があり、真珠道や真玉橋を建設した目的などが記されています。
「真珠湊碑文(まだまみなとひもん)…1522年、尚真王時代に真珠道および真玉橋を築造した際の記念碑。…真珠道および真玉橋は一般交通の利便に供するほか、国土の防衛のため王命により建設された。一旦ことある時には、首里の軍勢と南風原、島添大里、知念、佐敷の軍勢は、真玉橋を渡って下島尻の軍勢と合流し、那覇港口の南岸垣花に勢揃いして外敵の侵入に備えた。」
参照:真珠湊碑文(まだまみなとひもん)-首里城だより
(http://oki-park.jp/shurijo-park/staffblog/2012/01/post-182.html)
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「道路会議賞-人間都市計画道路-真玉道線、平成9年2月18日」
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「この石畳道は日本の特色ある優れた道路と認められ『日本の道100選』の一つとして顕彰されました。昭和63年8月10日」
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「金城村学校所跡(カナグスクムラガッコウジョアト)…琉球王国時代の首里金城村の学校所及び役所跡。村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村ごとに建てられた。士族の子弟は7~8才で入学し、元服する14~15才まで、『三字経』の読み書きから、『論語』『孟子』などの四書を学んだ。金城村学校所は1835年創立といわれ、『訓蒙館』と名付けられた。王国末期には136人の生徒が在学した。学校所には『中取』『筆者』といった王府役人も詰め、村の風俗・衛生を取り締まるなど、役所の機能も有した。」
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「沖縄県指定 史跡・名勝 首里金城町石畳道…この石畳道は、球首里城守礼門東南わきにあった石門から識名、国場、真玉橋を経て南部へいたる重要な道の一部であった。首里の主要な道が石畳道に改造された16世紀のはじめ、1522年(尚真王46)ごろにこの石畳道は造られたと推定されている。全長約300m、道幅約4m。敷石は大小の琉球石灰岩を組み合わせた「乱れ敷き」で、石の表面には適度な加工が施されていたが永い年月で摩耗している。急な勾配のところでは石の表面に滑り止めの横線の刻みを入れたり、会談をつけたりしている。沿道の石垣は、琉球石灰岩を用い、主に沖縄独特の石積みの手法である「あいかた積み」で積まれており、石畳と調和して城下町の風情を残している。 沖縄県教育委員会 那覇市教育委員会」
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「内金城嶽(うちかなぐすくだき)…那覇市指定有形文化財。古い記録に登場するこの御嶽の起源は、たいへん古いといわれています。「琉球国由来記」には、茶湯崎村(ちゃなざきむら)(現松川)の項に記され、真壁大阿志母良礼(まかべのおおあむしられい)が仕えていた事がわかります。神名は、東側の大嶽がカネノ御イベまたはモジヨルキヨノ大神、西側の小獄はイベツカサ御セジと伝えられています。また、この御嶽は一般にフェーディン(拝殿)と呼ばれています。9m2程の広さをやや丸く石垣で囲い、正面に直線のマグサ石をかけた石門の形になっています。石囲いの中心には神聖とされる大木(アカギ)があり、その下に三個の石が立てられるという、沖縄独特の御嶽の形式です。また、小嶽には年中行事の一つで、旧暦の12月8日に行われる鬼餅節(ムーチー)の由来伝説が伝えられています。 那覇市教育委員会」
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「石畳の石…この石をよくご覧下さい。芋を真二つに切り、平良の部分を上に、半丸の方を下にして土俵にねかせたように敷かれている。この石は、すべて貴重な琉球石灰岩でできている。一見何の変哲もないこの石畳が約五百年もの間幾多の風雨や戦乱にもめげず今日まで耐えてきた。首里城より南部への要路としての交通のみならず、人々の生活に不可欠な水の確保に貴重な貢献をしたことは特筆すべきことである。石畳に落ちた雨水は特別に加工された土床により、吸水、浸透、ろ過される。また瓦れき、砂利等を敷くことにより、スーフカと称する用水溝へ注がれ、任意の村丼(ムラガー=共同井戸)へと誘導される。島国で限りある少数の可働力のみで、長い年月を費やし、失敗を繰り返し、血のにじむ苦労を重ね、遂に命の水を口にした。辻々の村丼はすべて豊富な水で潤った。先人達の高度な土床技法は現代の技術を以っても難しく、復元に苦慮するところである。今私達はその石畳の上に立っている。天の恵みと先人達の英知に感謝し平和がこの「石畳の石」と共に永遠なれと願わずにはいられない。」
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投稿者の年齢
10代 28 1.5%
20代 22 1.1%
30代 111 5.8%
40代 199 10.3%
50代 185 9.6%
60代 590 30.6%
70代 590 30.6%
80代以上 195 10.1%
不明 9 0.5%
平均年齢は63.5歳。
投稿者の住所
那覇市 571
沖縄市 151
浦添市 137
うるま市 129
宜野湾市 96
豊見城市 93
糸満市 62
名護市 44
その他県内 430
県外 129
外国 2
記載なし 85