北川與平(きたがわ よへい)、安政2年(1855年)ー昭和4年(1929年)、滋賀県犬上郡(彦根市)に生まれ。綿花貿易商の近江商人。兼松(前身の一つである江商の創業(近江商人である田附政次郎・阿部房次郎・藤井善助・北川与平の4人が中心になり出資し設立した。)
北川與平は、家業を切り廻していた祖母に死なれ、その上、北海道での事業に失敗して裸一貫になったので、不破弥惣平(ふわやそべい)と一緒に、
1891年(明治24年)、近江出身の北川与平が輸入綿糸の輸入を目的として横浜市に「北川商店」(「江商株式会社」の前身)を創業した。
日清戦争(1894年~5年)が終わると、綿花がよく売れたので、これからは紡績業の中心が大阪に移るだろうと考え、神戸と大阪に綿花輸入商店を開いた。
そして、岡山県の紡績工場を買って綿糸を生産した。
1898年(明治31年)、本拠を大阪に移し、中国綿花の輸入を始めた。紡績業が盛んになると、国産の綿花に中国綿花を加えただけでは原料が不足した。
そこで、インド綿花やアメリカ綿花を輸入しようと考えて、
1905年(明治38年)、江商合資(ごうしょうごうし)会社(後の株式会社)を大阪に設立して大がかりな商売をした。
1917年(大正6年)、株式会社に改組し、このようにして、大阪綿業界で活躍した。
1967年(昭42年)合併し兼松江商誕生。1990年(平成2年)兼松に商号変更。
北川與平は、綿花の輸入や綿製品の輸出で先達ちになったが、1929年(昭和2年)に75歳で没した。
<江商の変遷>
1891年(明治24年) - 近江出身の北川与平が輸入綿糸の取り扱いを目的として神奈川県横浜市に北川商店を創業。
1898年(明治31年) - 本店を兵庫県神戸市に移転。
1905年(明治38年)12月 - 江商合資会社に改組。本店は大阪市東区。
1917年(大正6年)1月 - 江商株式会社(英文社名:Gosho CO.,LTD.)に改組。
1918年(大正7年)3月 - 日本の商社で初の米国現地法人Gosho Corporationを設立。
1943年(昭和18年)3月 - 昭和綿花株式会社を合併。
1946年(昭和21年)12月 - 江商従業員組合結成。
1947年(昭和22年)9月 - 衣料部を分離して株式会社佐々木営業部(現・株式会社レナウン)を設立。
1949年(昭和24年)5月 - 東京・大阪両証券取引所に上場。
1960年(昭和35年)8月 - 常務会を設置。東京支店を東京支社に。
1965年(昭和40年)3月 - 大阪市北区中之島に大阪本店ビルを新築し移転。
1966年(昭和41年)3月 - 多角化と海外取引拡大に失敗し経営が悪化、無配に転落。
1967年(昭和42年)4月 兼松㈱と江商㈱が合併、兼松江商㈱発足
かつては十大商社の1つである兼松江商も、「三菱商事・伊藤忠商事・住友商事・三井物産・丸紅・日商岩井・トーメン・兼松江商・日綿実業・安宅産業」の一角をなした。
今日、兼松は三菱商事・伊藤忠商事・住友商事・三井物産・丸紅・豊田通商・双日等の商社の1つである。
<Wikipedia等引用>
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