来年2022年12月で創立150年を迎える東近江市高木町の東近江市立市原小学校(福井真千子校長、児童数85人)で創立記念日である1日、プレセレモニーが行われた。
市原小学校は、1873年(明治6年)に創立された遷喬(せんきょう)小学校が前身。
セレモニーでは、卒業生の住民が小学校時代の思い出を語ったり、旧木造校舎の手づくり模型を披露、児童からは学校のシンボルツリーに思いを寄せてつくった記念ソング「くすのきの詩」の歌詞が披露された。
この中で市田重太郎さん(87)は、1935年(昭和10年)に竣工した旧木造校舎建設事業で、各家庭が毎日盃(さかずき)一杯の白米を貯めて費用をねん出した集米制度を紹介した。
完成時1歳だった市田さんは、父親に肩車されて見物に向かった。当時の記憶はないが、「子どもの頃、祖父と父が誇りをもって聞かせてくれた」と、住民挙げての教育振興への熱意を語った。
この他、日中・太平洋戦争が重なった小学生のころ、食糧増産のため栽培したサツマイモを、大八車に載せて小学校から安土駅まで運んだ辛かった思い出、先生に連れられて愛知川で泳いだ夏休みの楽しい思い出を話した。
市原小学校は、1873年(明治6年)に創立された遷喬(せんきょう)小学校が前身。
セレモニーでは、卒業生の住民が小学校時代の思い出を語ったり、旧木造校舎の手づくり模型を披露、児童からは学校のシンボルツリーに思いを寄せてつくった記念ソング「くすのきの詩」の歌詞が披露された。
この中で市田重太郎さん(87)は、1935年(昭和10年)に竣工した旧木造校舎建設事業で、各家庭が毎日盃(さかずき)一杯の白米を貯めて費用をねん出した集米制度を紹介した。
完成時1歳だった市田さんは、父親に肩車されて見物に向かった。当時の記憶はないが、「子どもの頃、祖父と父が誇りをもって聞かせてくれた」と、住民挙げての教育振興への熱意を語った。
この他、日中・太平洋戦争が重なった小学生のころ、食糧増産のため栽培したサツマイモを、大八車に載せて小学校から安土駅まで運んだ辛かった思い出、先生に連れられて愛知川で泳いだ夏休みの楽しい思い出を話した。
↑写真:滋賀報知新聞より
1984年度(昭和59年)の卒業生、中寺吉宣さん(49)は、当時の卒業生でつくった旧木造2階建て校舎の模型を修復して披露。発泡スチロールのボードでつくられた模型は、縦90cm、横110cmの大きさで、校舎や中庭、遊具を味わい深く表現している。
この後、児童一同が創立150年を記念して作詞した「くすのきの詩(うた)」の歌詞を朗読した。これは、来年12月の創立記念式典で、曲をつけて披露することにしている。
創立150周年記念事業実行委員会(事務局・同小学校)の西村和恭委員長は、「地域全体で学校を支えていることを児童に知ってもらうとともに、今後も地域で小学校を守る機運を醸成したい」と話していた。
尚、実行委員会は、来年12月の記念式典で展示する小学校に関する写真、資料(旧校舎学用具など)を住民から集めている。市原学区の各自治会の実行委員または市原小学校へ連絡をと訴えている。
市原小学校
東近江市高木町1124
TEL 0748-27-0140
http://www2.higashiomi.ed.jp/ichisho/
<滋賀報知新聞より>