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【滋賀・近江の先人第40回】伊吹もぐさのPR名人・松浦七兵衛(亀屋左京)(米原市)

亀屋 左京(かめや さきょう、天明2年(1782年) - 嘉永3年(1850年)は、江戸時代後期の近江商人。艾(もぐさ)を商い、コマーシャルソングを用い伊吹艾を一世風靡させた。
 
天明2年(1782年)近江坂田郡中山道60番目の宿場である「柏原宿」(旧山東町(現米原市))の艾屋の次男に生まれた。なお、誕生年については、寛政元年(1789年)とも言われる。
本姓は松浦、通称七兵衛、諱は氏幸と称し、「亀屋左京」6代目の当主、肥前松浦氏の裔とされる。この亀屋の松浦七兵衛は、伊吹もぐさを全国に広めた立役者。
 
伊吹堂亀屋左京商店
 
18世紀末、七兵衛が20歳の頃、江戸へ下った七兵衛は、吉原の遊女に「江州柏原、伊吹山の麓の亀屋左京の切りもぐさ」という唄を教え込み、毎夜宴会で歌わせてPRし、伊吹艾の名も一躍有名になり全国に広まった。宣伝上手な近江商人の代表だったといえる。
 
七兵衛は大金を手にし、郷里で田畑を買って嫁を迎えたが、人の妬みを買い乱暴を受けてしまった。すると、七兵衛は早速この一件を浄瑠璃に仕立て、「伊吹艾」の演目名で大阪・京で興行を行った。これが大当たりとなって伊吹艾の名は益々有名になり、亀屋左京は盛況を極めた。
 
七兵衛は儲けた資金で邸宅裏に庭園を造り、宿場を往来する人達に公開し休憩所として利用してもらうと共に艾販売を行った。
歌川広重の絵にも亀屋左京の店と、店に隣接する庭園・休憩所の様子が描かれている。
 
中山道柏原宿(現米原市柏原)
「伊吹もぐさ」で栄えたJR柏原駅周辺は、かつて中山道柏原宿としてにぎわったところ。
江戸時代には、東西13町(約1.5km)にも及ぶ大規模な宿場町で、天保14(1843)年には、本陣と脇本陣、旅籠22件を含む、344件の家屋が軒を並べていたという。
街を歩けば、現在も、常夜灯や宿場町特有の軒の低い家屋、格子戸などに往時の面影を見い出すことができる。
柏原宿の名物といえば、「伊吹もぐさ」で、最盛期には十軒近くもぐさを商う店があったが、今では伊吹堂亀屋左京商店1軒だけになった。
歌川広重の『木曽海道六十九次』の「柏原かめや」にも描かれた巨大な福助が、当時そのままの姿で店先で出迎えてくれる。
<Wikipedia等引用>
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