4代目西谷善太郎(1603-1666年)は近江国神崎郡小幡庄(滋賀県五個荘町小幡を経て、現東近江市五個荘小幡町)出身、安土城下に移り、のち八幡城下に移住。
4代目善太郎は出羽地方(山形県)に呉服・古着類を行商し、以降代々出羽(山形)の地に出店を構えた。8代目西谷善太郎が活躍した宝暦年間(1751~63年)には、呉服・真綿・古着類を下し荷し、出羽(山形)の地の紅花・青苧・絹糸・タバコを上方で販売して巨商の列になった。
西谷善太郎は出羽最上地方に最も早く進出した老舗近江商人、屋号は『最上屋』。歴代当主が襲名する名称。
西谷善太郎家
歴代当主
・布施源左衛門:(生年不詳-天正7年(1579年)安土に移住する。
・西谷源左衛門 (2代):(生年不詳-元和2年(1616年)八幡に移住し、源左衛門出身地である小幡庄より八幡小幡町と命名された。
・西谷善兵衛 (4代)善太郎(幼名):(慶長8年(1603年)頃-寛文6年(1666年))寛永4年(1627年)頃、出羽地方を行商。
・西谷善太郎 (5代):(寛永14年(1637年)頃-正徳3年(1713年))借家から貞享3年(1686年)山形に、宝永3年(1706年)福島に店を建設する。
・西谷善太郎 (6代):(生年不詳-享保11年(1726年))山形の米屋を買収、享保7年(1722年)福島大火により福島店焼失、大打撃を被る。
・西谷善太郎 (8代):八幡における最上・福島仲間(商売地として進出していた店)は十余軒あったと伝えられる。
文化年間(1804年-1818年)より凋落したと伝えられる。
一族
西谷善九郎:5代善太郎弟、屋号は『西屋』。
西谷治左衛門
西谷権右衛門