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【滋賀・近江の先人第161回】呉服商「市田」の創始者・市田弥一郎(彦根市・東近江市)

 <初代「市田(いちだ)弥一郎(弥惣八)」(天保14年(1843年)~明治39年(1906年))は彦根油屋町の紙・荒物商の「綿幸」の青山幸助の二男に生まれ、幼名は常三郎。13歳頃から商売に従事。20歳の時、その商才を見込まれて神崎郡北町村(旧五個荘町)の「市田弥惣右衛門」の養嗣子になり、「弥一郎」に改めた。五個荘商人。

市田弥一郎は初め、東海道に荒物・呉服類を行商し、一日に10里(40㎞)を旅商するほど敏捷な販売力だったという。弥惣八のことを飛脚屋とも呼ばれた。

 明治維新の混乱期を飛躍の好機とし、明治7年(1874)に東京日本橋に京呉服卸問屋を開店し、後の「市田」株式会社の母体になっている。明治30年(1897年)に家督を譲り、名も「弥惣八」に改めた。晩年は、京都南禅寺に市田對龍山荘を営み、風月や芸術を愛した。

 明治33年時点では、市田弥一郎は東京・人形町で屋号「丸枡」の呉服太物の織物問屋を営み、人形町ではベスト5を誇っていた。
因みに当時ベスト14の内、6名の近江商人がリストアップされており、1位は断トツで薩摩治兵衛(薩摩 呉服太物金巾)、2位前川太郎兵衛(近江屋 金巾木綿)、4位小林吟右衛門出店(丁子屋 呉服太物)、5位市田弥一郎(丸桝 呉服太物)、7位外村宇兵衛支店(布屋 呉服木綿)、8位西村与兵衛(近江屋 洋反物)の順であった。
 しかし、市田は2007年に倒産し、2008年、同郷五個荘出身の近江商人「ツカモトコーポレーション(塚本定右衛門家)」に吸収合併されている。

 新たな「市田」は現在はリラクゼーション雑貨 / 寝具 / タオル/化粧品/の企画・卸売・小売事業の「株式会社 ICHIDA」として京都で営業している。

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