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近江八幡発祥「水茎焼」、名勝「水茎岡」が名の由来

 近江八幡発祥の焼き物水茎焼(みずぐきやき)は、琵琶湖をイメージした青みがかった色と、滋賀県鳥カイツブリのロゴが目を引く。


↑写真:中日新聞より

 「水茎焼陶芸の里」(近江八幡市中之庄町)の代表取締役、今井久文(ひさのり)は「高級品ではなく、普段使いの食器。手に取って使ってほしい」と願う。
 「水茎焼」は今井の父、今井 力(つとむ)が1984年に始めた。近江八幡市北西部には水茎(すいけい)町や元水茎(もとすいけい)町という地名もある。万葉集で詠まれ、平安前期の絵師巨勢金岡(こせのかなおか)が、あまりの美しさに描くのを諦めたと伝わる琵琶湖畔の名勝「水茎(みずくき)の岡」にちなんで名付けられた


↑名勝水茎岡碑(近江八幡市牧町1951)

 今井は予備校の講師をしていた1999年、病気で他界した力の跡を継いだ。力は脱サラして信楽で修業を積み、近江八幡に窯を構えて作陶に励んだ職人。一方の今井は周囲を明るくする性格で「父と私を知る人は、皆さん『親子で仕事をしていたら絶対、衝突していたね』と言われます」と笑う。
 
 跡を継いで間もない頃、一人の女性が店を訪れた。夫の単身赴任が決まったといい「お父さんが一人で食事をするとき、琵琶湖や八幡のことを思い出してくれたら」と、食器一式を買っていった。今井は「これが水茎焼の使命なんだ」と感じた。

 その後は「つなぐ」を意識して、陶芸教室に力を入れた。いずれも観光地の近江八幡と長浜に店と教室を構えた。予備校の講師時代に磨きをかけた話術も生かし、創作の楽しさを伝える。校外学習や修学旅行、観光客を合わせると年に10万人が訪れるようになった。
 順調だった2017年10月、大型台風と共に竜巻とみられる突風に襲われ、近江八幡の店の屋根がめくれ上がった。喫茶スペースから空が見え、ほとんどの商品が割れた。「再建は無理かも」とうなだれた。体験スペースと厨房(ちゅうぼう)は難を逃れ、壊れた所は亡父が懇意にしていた工務店が応急措置を施してくれた。
 ぐちゃぐちゃになった展示スペースで、亡父と親しかったイラストレーターが「童心にかえりて はしゃぐ 陶の里」と記した一枚の飾り皿が無傷で見つかった。「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」と言って励ましてくれる先輩もいた。
 多くの人のつながりで、事業継続のめどは立った。だが、店の被災だけが広く伝わり、団体の予約は2019年夏まで低調が続いた。
 
 ↑写真:中日新聞より

 2019年秋に始まった、信楽が舞台の連続テレビ小説「スカーレット」の効果で息を吹き返す。好調もつかの間、今度は新型コロナウイルス禍で厳しい状況が続く。
 苦境の中で喜びを感じることも。「子どもの頃、ここで陶芸体験をしました」という滋賀県外の青年が、彼女を連れて来てくれた。焼き物が人の心と琵琶湖、近江八幡をつないでいた。原点とも言える、水茎焼の使命を実感する。
 「今はスタッフの技術の向上と誘客に向けて、地域の人たちと知恵を出し合う時期」と今井。亡父が残した琵琶湖の焼き物を守り、人々の心に届ける。それが2代目の使命だと信じている。


水茎焼陶芸の里
近江八幡市中之庄町620
https://mizuguki.com/

<中日新聞より>
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