ヤスリ板の上に原紙を載せて鉄筆で文字を刻み、インキとローラーを使って印刷する「謄写版」。
鉄筆で文字を刻む際のガリガリという音から「ガリ版」とも呼ばれ、コピー機やパソコンのプリンターなどが普及する以前は、学校のプリントや文集などの印刷に用いられていた。その昔懐かしいガリ版は、東近江市蒲生岡本町が発祥地だ。
発明したのは、堀井新治郎父子。新治郎(1856〜1932年)は、滋賀県竜王町で生まれ、1883年に堀井家の婿に迎えられ、8歳だった耕造の養父に。当時は官僚として茶の栽培や製茶指導などをしていたが、煩雑な事務処理を嫌い10年後に公務員をやめ、同時期に商社を退職した耕造と一緒に、だれもが使える簡易な印刷機の研究に取り組んだ。
↑写真:堀井新次郎 ↑写真:堀井耕造(2代目新次郎)
発明のきっかけは、1893年に米国で開かれたシカゴ万国博覧会だったという。エジソンが発明した簡易印刷機を視察した新治郎は、帰国してすぐに土地や自宅を処分して印刷機の開発資金をつくり、家族と東京に移住。研究に没頭して1年後、謄写版を開発した。
謄写版は、鉄筆で原紙に文字を書くと細かな穴があき、上からインキをのせてローラーを押し当てると点が線として印刷されるもの。煩雑な手間と時間を浪費したこれまでの文書作成から解き放つ画期的な発明で、官庁や全国の学校、役所などに広まり、手放した故郷の土地、建物は買い戻された。
その後、本宅は旧蒲生町(東近江市)に寄贈され、現在は「ガリ版伝承館」として東近江市から管理委託された地元自治会が土、日曜に開館(入館無料)する。
発明のきっかけは、1893年に米国で開かれたシカゴ万国博覧会だったという。エジソンが発明した簡易印刷機を視察した新治郎は、帰国してすぐに土地や自宅を処分して印刷機の開発資金をつくり、家族と東京に移住。研究に没頭して1年後、謄写版を開発した。
謄写版は、鉄筆で原紙に文字を書くと細かな穴があき、上からインキをのせてローラーを押し当てると点が線として印刷されるもの。煩雑な手間と時間を浪費したこれまでの文書作成から解き放つ画期的な発明で、官庁や全国の学校、役所などに広まり、手放した故郷の土地、建物は買い戻された。
その後、本宅は旧蒲生町(東近江市)に寄贈され、現在は「ガリ版伝承館」として東近江市から管理委託された地元自治会が土、日曜に開館(入館無料)する。
↑写真:ガリ版伝承館
東近江市は昨年、1年かけて本宅に保管された膨大な資料から約4000点を整理し、資料目録を作成。そのうち、会社や一族に関する文書を分類ごとにまとめた台帳、エジソンの発明した簡易印刷機に関するもの、父子が販路拡大で全国行脚した際に持参した多色刷りの見本など37点を5月8日まで公開している。
東近江市近江商人博物館の上平千恵学芸員は「資料には細かな説明が記され、後世に残そうとした堀井父子の思いがうかがえる。商家の歴史や印刷の産業史、ガリ版文化史など研究素材となる資料は多く、活用が期待できる」と話す。
伝承館では、市民グループ「新ガリ版ネットワーク」がガリ版印刷による年賀状やアート作品などの体験教室、出前講座などを行う。同ネットワークの田中浩事務局長は「体験教室は、習ったことをすぐに表現できるので人気がある。ガリ版の聖地として全国から訪れる人も増えており、新たなブームが起こることを期待している」と話す。
20年ほど前からガリ版を核とした町づくりに取り組む同ネットワーク副会長の岡田文伸さんは「地域を盛り上げようと活動してきたがまだ、施設としては満足していない」と話す。昨年は、浮世絵の謄写版画を多く制作する佐藤勝英さんが熊本県から発祥地近くに移住。「佐藤さんの作品が謄写版を見直すきっかけになれば」と期待を寄せる。
【滋賀・近江の先人第50回】謄写版(ガリ版)印刷の父・堀井新治郎(滋賀県竜王町・東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/11e9244fe79536ff76f8b763558c60bc
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ガリ版伝承館
東近江市蒲生岡本町663
<中日新聞より>