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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第68回) アメリカ出張の時は常連客だったユナイテッド航空

 1980年代の後半、私はアメリカ出張時には一時期、「ユナイテッド航空」を主に使っていた。会社側からは特に指定の航空会社はなかったので会社出張なのに航空会社の指名は個人の自由だった。航空チケットはノーマルチケットで、かつビジネスクラスだった。
ただ、トラベルエージェントは会社指定の複数決まっており、私の部門は当時の郵船航空トラベルだった。
 よって郵船トラベルと相談し、航空会社の便、ホテルの手配を依頼していた。出張の日時は急な場合などが多く、無理を言って予約して貰うことが多かった。しかし、トラベルエージェントにしてみれば「ノーマルのビジネスクラス」チケットだったので料金はそれ相当の費用だったこともあり親身になって手配してくれたのを覚えている。

 ではなぜ、「ユナイテッド航空」になったのはユナイテッドのチケット代金が多少低かったこと(会社コスト削減)と当時、「ユナイテッドのマイレージ」ポイントが良かったことなどのアドバイスがあったではなかったかと思う。
 現にニューヨークを往復するとボーナスポイントなどを含めればアジアへのエコノミークラスチケット1枚分はあったと思う。何回も出張するとマイレージが軽く貯まった。ユナイッテドはスターアライアンスグループであり、アライアンス航空会社の便を使えるスターアライアンスのマイレージの価値は他アライアンスより高かったように思う。
 しかし、当時、ユナイッテドはJALなどのように出発時間が厳粛でなく遅れることもあり、またベテランキャビンアテンダントの横柄な態度やサービスの低さが気になって行った。
 当時、英国航空やシンガポール航空のサービスの良さは定評があり、JALや後発のANAのサービスも良かった。

 私は出張先を勘案して航空会社を選んで飛んだこともあった。そうこうしているうちに自然とJALが多くなり、JALの直行便が飛んでいる先はJALを優先して渡航した。特に疲れた海外出張の帰国便は日本語が通用し、日本人アテンダントのサービスは安らぎだった。
 当時はまだインターネットがなく、出張報告書は搭乗後、機内で持参したラップトップで作成し、途中疲れて眠ってしまったことが何度もある。その間に食事サービスがあっても起こさず、起きた時に個別に食事サービス対応などは嬉しかった。こんなことはユナイテッドではしてくれなかった。
因みに私はリタイア―した今もJALのグローバルクラブの会員である。
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