ふゆさんから教わった
「市民会館のエレベーターホールのヒグマの剥製」
見てきました。
おおー いました!階段下に_
わー 大きいなあー (坊やもびっくりだね)
あ、ケースの中に説明版がありますよ、 なになに・・・
「この熊は、昭和四十七年四月二十二日、北海道の古平(フルビラ)郡古平町沖村番屋の沢で、地元の人達六人によって撃ち取られた雄熊(推定年齢十六才、体重四三〇kg)です。
昭和四十二年頃から付近の牧場に出没し、牧場牛十数頭に被害を与えていたが、そのつど攻撃の手を逃れていました。
右後脚には、その時の弾痕が発見されました。又、鼻先には有刺鉄線による傷あともあって、猛威をふるっていたことがうかがわれます。」だって。
__ ついに撃たれた熊ですが、
こうして剥製にされた、というのは 人間の側に
「どえらい奴であった」という気持ちがあった、という事なのでしょうね?
しかし なぜにこの熊は はるばる小田原まで来たのかな?
その物語も知りたいものです__
「市民会館のエレベーターホールのヒグマの剥製」
見てきました。
おおー いました!階段下に_
わー 大きいなあー (坊やもびっくりだね)
あ、ケースの中に説明版がありますよ、 なになに・・・
「この熊は、昭和四十七年四月二十二日、北海道の古平(フルビラ)郡古平町沖村番屋の沢で、地元の人達六人によって撃ち取られた雄熊(推定年齢十六才、体重四三〇kg)です。
昭和四十二年頃から付近の牧場に出没し、牧場牛十数頭に被害を与えていたが、そのつど攻撃の手を逃れていました。
右後脚には、その時の弾痕が発見されました。又、鼻先には有刺鉄線による傷あともあって、猛威をふるっていたことがうかがわれます。」だって。
__ ついに撃たれた熊ですが、
こうして剥製にされた、というのは 人間の側に
「どえらい奴であった」という気持ちがあった、という事なのでしょうね?
しかし なぜにこの熊は はるばる小田原まで来たのかな?
その物語も知りたいものです__
素早い!
さすがです。
お疲れ様でした。
たいしたことない情報ですみませんでした(^-^;
私にはあの熊さんが、なんだか不憫で…。
たまたま小さなお子さんを連れたママと一緒に見たので 私も「子供目線」で「大きいねえ?」って思ったのでしょう。これが 催し物の無い日の しん としたエレベーター・ホールだったら又感じ方が違ったかも。
戸川幸夫の『高安犬物語』のラストで 熊と戦い続けた高安犬が死後剥製にされます。ガラスの目玉をはめられたかつての「勇者」の変わり果てた姿に主人公は心を痛めるんですよね・・・。
ふゆさんのコメントで逆に あそこに熊さんがいること 価値があると思えるようになってきました。あの熊さんは 鏡 のようなもので、ガラスの向こうに人は自分がどんな価値観をもつ人間か、を見る_ のかも。
市民会館の会議室で例会をしていました。
当時その熊さんの前にある自販機で、
よく飲み物を購入していました。
10本とか20本とか買うので、
その間ず~っと熊さんを見てましたけど、
「何故ここに熊がいるの?」とか、
いっさい考えなかった私・・・
よく旅館とかに置いてあるでしょ?
その類かなあ、と思っていたようです。
好奇心も持ってあげなくて、
熊さんに悪かったなあって思います。
私なんて存在に気づいてあげてさえいませんでした、こんなに大きいのに!(どうすれば見落とせるか、という程大きい・・・)
何年間も牧場に被害を与えていた熊_という事ですが 熊には熊の言い分がありそうです。
それにしても_ なぜ北海道の熊が小田原へ来ることになったのでしょうね?そして飾られる場所が市民会館になったのにはどんな訳が?
_知りたい事が増えていきます^^;)