野菜の保存庫の中で サツマイモの芽が伸びていました。それを水に つけていたら、成長して 池坊の
『真(しん) 副(そえ) 体(たい)』のように育ちました。
今はグリーン代わりに部屋に飾っています。
≪芽を出す前に 使おう自分≫
若い頃、会社の先輩に勧められて お花を習い始めました。
週一回 仕事帰りに先生の家に通い、指導を受けた後 花を持ち帰ります。
その花を自宅には飾らず 翌日職場の偉い方の部屋に飾ります。先輩は もっと偉い方の部屋に飾ります。しかも その偉い方は上司ではありません。自分で買った花を よその家に飾るという感覚です。
今なら疑問を持つところですが、当時の私は言われるままでした。あの頃 私は若かった・・・
しばらくしたら 言われるままに お金を出して お免状をもらいました。なんの役にもたたない お飾りの お免状です。
たかだか1年ちょっと習ったくらいで『高等科 皆伝』とは これいかに。
上に「華道家元免許」 「高等科 皆伝」
池坊の 免状のことを調べたら
入門→初等科初伝→中等科中伝→高等科皆伝→師範科助教華掌→これ以後が指導できる
脇教授3級准華匡→脇教授2級准華監→脇教授1級准華綱→准教授3級華匡→准教授2級華監→准教授1級華綱→正教授3級総華匡→正教授2級総華監→正教授1級総華綱→准華督→華督→副総華督→総華督
皆伝とありながら 私なんて ほんのほんの序の口でした。池坊の玄関のチャイムを鳴らしたくらいで池坊を語る資格はありません。
先輩から、同じ先生が指導する茶道にも誘われました。花はともかく、茶道は私に似合うはずもありません。
やんちゃな私は職場で ソフトボールとテニス、町内のクラブでバスケットもやっていたあの頃が人生で一番輝いていたかも。
結婚5年後に 湯平にUターンしたら 夫の母も現役で池坊を習っていました。湯布院の花屋さんから花が届き、湯布院から先生が来て、旅館を中心に回っていました。
旅館は玄関に 指導を受けた花を飾って お客様を迎えていました。母は隠居に飾っていました。
年に一度 トキハ会館で『生け花諸流展』というのがあり、母は前日に花器と花を持って いそいそと出掛けていました。隠居に花器がたくさんあるのはそのためでしょう。 湯平が栄えていて、余裕のある時代の話です。
母が お花をやめることになり『あなたにバトンタッチ、続けなさい』と言われるのでは?と内心ヒヤヒヤしていましたが、幸いそれはありませんでした。
「趣味とか習い事は 人に勧められててやるものではない」と 今なら 言えます。
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