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血液型でわかるかかりやすい病気(1) №185

2013-05-14 16:59:28 | インポート
 免疫学的にみて、血液型によりかかりやすい病気があるということです。A型はガンになりやすく、O型は病気に強く、B型は感染症に弱く、AB型は免疫力が弱く一番病気になりやすいのだそうです。
 寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学が専門の人間総合科学大学教授・藤田紘一郎博士の「血液型の暗号」(日東書院)という本によると、人類の血液型はO型が最初に誕生したのではないかということです。以下は、藤田博士の考える血液型の起源とそこからくる病気や性格の特徴です。ちなみに、日本人の血液型の比率はA型40%、O型30%、B型20%、AB型10%ということです。
① O型は狩猟民族
 世界各地の先住民族の血液型がほとんどO型だったところから類推すると、10万年前にアフリカで誕生し狩猟生活をしていた人類は全てO 型だったのではないか。動物の肉を主食としてたため、胃酸を多く分泌する必要があった。このため胃潰瘍や十二指腸潰瘍になりやすい。
 しかし、ストレスに強いのでガンや心臓病などにかかりにくい。感染症などにもかかりにくく病気に強いので、誰とでも仲良くでき、性格も細かいことにこだわらないO型の性格ができたのではないか。歴代総理大臣でもっとも多かったのがO型で、次に多いのがA型だそうです。
② A型は農耕民族
 アフリカからアジアに移動して農耕生活をするようになり誕生したのがA型ではないかということです。私たちアジア人の祖先のモンゴロイドの血液型はA型でした。A型は伝染病や感染症に弱く、精神的にも肉体的にもストレスに弱いためガンにもか かりやすいのだそうです。
 そうした病気に弱い面と、農耕民族に必要な資質が相まって、「慎重で用心深い」、「几帳面で神経質」といわれるA型の特徴的な性格ができたのではないかということです。また、順応性が高く、情にもろく、保守的・内向的で、論理的だということです。A型は、B型のような直感的タイプが苦手でどう接して良いかわからないところがあるということです。

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「何者」にもなれずに漂白する若者 №184

2013-05-09 16:47:12 | インポート
 朝井リョウの「何者」を読みました。小説としての出来映えがどうというよりは、偏差値の高い大学生の就活の雰囲気が良くわかりました。成人式が、単なるセレモニーとなってしまっている日本の社会では、就活こそが「一人前の人間」としての通過儀礼(イニシエーション)となっているのかもしれません。
 小説の中で、拓人の友人が最終面接で落とされた場面で、こんな描写が出てきます。
 「いくらこちらから願い下げだとしても、最終的に選ばれなかったということは、そこまで選ばれていたのに決定的に足りない何かがあったと感じてしまう。エントリーシートや筆記試験で落ちるのと、面接で落ちるのとではダメージの種類が違う。決定的な理由があるはずなのに、その何かがわからないのだ。コレまでの人生で何度も経験してきた試験のように、数学ができなかったから、とか、作文で時間が足りなくなったから、とか、そんな分析すらさせてもらえない。就職活動において怖いのはそこだと思う。確固たるものさしがない。ミスが見えないから、その理由がわからない。自分がいま、集団の中でどれくらいの位置にいるかがわからない。」
 学生という、ある意味で均質な集団の中で周囲の空気を読みながら、巧みに自分の立ち位置を確保していた若者が、不意にその足場を失って漂白していく不安がよく捉えられている部分だと思います。
 企業が最終的にどのような価値判断で内定を決めるかは教えてもらえないから、内定を得られなかった学生は、まるで、人間性が否定されたような不安に苛まれるのでしょう。 一定の水準に達していながら内定をなかなか得られないのは、就活が恋愛に似ているからではないかと思います。企業との相性や企業風土に即したタイプでないと、いくらその企業に恋をしても叶わぬ恋になってしまうのではないでしょうか。ただ、入社したい会社を選べるのはごく一部の人達でしかありません。多くの学生は、自分探しの旅をしているゆとりはなく、「自分に合った仕事を探すのではない。自分がその仕事に合わせるのだ。」と言われながら就活しているのが現実のような気がします。 
 自分を捨ててまで就活なんかしたくないという、宮本隆良に真剣に就活に取り組む田名部瑞月が言います。
 「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。」
 「10点でも20点でもいいから、自分の中からだしなよ。自分の中から出さないと点数さえつかないんだから。」
 だから、多くの若者は「何者」かの仮面を被って入社していきます。その仮面がそのまま自分の顔となって剥がれなくなれば、それはそれでいいのではないでしょうか。仮面を被っていることに耐えられなくなって外すには、それなりの覚悟が必要です。ようやく探し出した自分の素顔が、じつは「のっぺらぼう」であるかもしれないのです。
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失われた時を再生する「デジタルフォトフレーム」  №183

2013-05-07 16:59:17 | インポート
 先日ソニーの「デジタルフォトフレーム」を購入しました。これは想像していた以上のすぐれものだと思っています。大きさは7インチで黒いフレーム。内蔵メモリーは2ギガバイト。約4000枚の写真が内蔵でき、7秒間隔のスライドショーで8時間楽しむことができます。外部記憶媒体としてSDカードやUSBメモリも使用できるので、もっとたくさんのスライドショーも楽しめますし、動画再生も可能です。
 早速、パソコンのピクチャに眠っていた海外旅行や家族の様々な記念日のスナップなどのファイルをコピーして、スライドショーで楽しみました。食卓近くの棚にフォトフレームを置き、ワイン片手に時系列で次々に写し出されるスライドを見ていると、失われかけた記憶が楽しい思い出とともに鮮やかに蘇えってきました。
 かつてフランスの作家プルーストは「失われた時を求めて」という長編小説を書きました。その長さは日本語訳では400字詰め原稿用紙で一万枚にも及びます。何度か読破しようと試みましたが、そのたびに挫折しました。その物語は、ある日、口にしたマドレーヌの味をきっかけに、幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごした町全体の記憶が鮮やかに蘇ってくる経験から書き起こし、自らの生きてきた第一次世界大戦前後の歴史を記憶の中で織り上げていくものです。
 プルーストはこの作品を描くために、部屋に閉じこもり耳にコルクの栓をして記憶の再生に没頭したといいます。しかし、現代に生きる私たちは、昔の写真をデジタル化する手間を惜しまず、外部記憶として大容量のUSBメモリを使えば、さしたる努力なしに自分の一生をスライドショーで振り返ることができるようになりました。
 少し時間の余裕ができたら、認知症を予防する意味でも、自分の生涯をデジタル映像化し、好きな音楽にのせて楽しみたいと考えています。
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はげた男にはイケメンが多い? №182 

2013-04-06 21:28:12 | インポート
 かつて、ある女性エッセイストが、「はげた男にはイケメンが多い。はげなければ女性にもてる。すると、他の男があぶれてしまう。だから、イケメンは早めにはげにして、女性が遠ざかるようにしているのではないか。そうでないと、他の男達に女性が近寄らないので、種の保存上神様がそうしたのではないか。」というユニークな説をのべていました。
 しかし、4月6日付け朝日新聞の記事によると、はげた男性は心臓病リスク高い?ということです。記事によれば、東京大学の原一雄特任准教授(糖尿病学)らのチームが、英医学誌BMJオープンに発表された過去の医学論文6本を調査したところ、頭のはげた男性はふさふさ髪の男性に比べ、心筋梗塞(こうそく)や狭心症など重い心臓病のリスクが高い傾向があることがわかったということです。
 欧米の30~80代男性約3万7千人を11年以上経過観察したデータから、はげの進み具合とこれらの心臓病の発生率との関係を調べた結果、頭のてっぺんがはげている男性は、髪のある男性に比べてこれらの心臓病のリスクが32%高く、特に60歳以下ではリスク上昇は44%に達したということです。
 直接的な因果関係ははっきりしないようですが、男性ホルモンが関わっている可能性があるということです。現在、自覚症状がなくても、はげた男性は無将来に備えて、生活習慣を変え、予防につなげるきっかけにしたほうが良いという記事です。
 因果関係がはっきりしないということは、おそらく、本気で研究した人がいないということなのではないでしょうか。どうしたら、頭髪を薄くしないですむかという育毛には熱心ですが、はげた要因とそのリスクには誰も興味がないのかもしれません。
  人は生命力が落ちてくると、とりあえず不要不急な組織に栄養を送らなくなるので、年をとると髪の毛が抜けてくるのだと聞いたこともあります。髪の毛が抜けるだけでも悲しいのに、心臓病のリスクまであるとは、なんともやりきれないことです。

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あなたは視覚優位の人?聴覚優位の人? №181

2013-04-03 15:57:05 | インポート
 私たちの認知の仕方には、「視覚優位」と「聴覚優位」というのがあるのではないか、というのが「天才と発達障害」(講談社刊)の著者、室内建築設計家の岡南さんの考えです。
 視覚が優れている人達は、言葉を覚える以前に、視覚で直接ものみて考えることができるというのです。自身の頭の中の映像を使って思考する人達は、ものの名前を覚えることなく、脳裏に映像を描いて考えているということです。
 著者の岡さんも「映像思考の人」で、脳裏にビデオモニターのようなものがあり、過去の記憶が映画のように色彩豊かで動きもともなう当時見たままの映像が映り、これから設計する空間などがそこにそのまま映ってくるそうです。たたし、文章を詠むときにはその内容が映像に変換されるので、読む速度が遅くなり、また、映像に変換されにくい言葉は、映像にならないために記憶として残りにくいのだそうです。
 一般に私たちは、机や椅子などの概念を「ツクエ」や「イス」という「言葉」と結びつけていく作業を通して認知機能を発達させていきますが、著者はこれを「聴覚優位」といいます。言葉や文字によって理解し、記憶し、情報を処理していくタイプということです。「聴覚優位」の人は、空間認知が苦手ですが、時間を追い、順番に段階を追って理解することが得意で、言語的な手がかりを用い、部分から全体に理解を勧める「継次処理」を得意とする論理的な思考の人です。語学関係、音楽関係、俳優、小説家などに向く能力です。
  「視覚優位」の人は、視覚的に絵や図を使った方が、記憶や処理、理解をしやすいタイプで、視覚的に全体を見渡すようにイメージができるので、一度に多くの情報を取り入れ、同時処理をすることを得意とします。視覚優位の能力は、視覚記憶を生かすことのできる土木、建築、デザイン、服飾、映像、生物学、パイロット、外科医、スポーツなど、必要とする思考が観察や空間をよりどころとする職業で生かされます。
  「視覚優位」の人の中でも奥行きのある三次元に、人の動きや太陽の動きなどといった「動き」を意識できる人を、著者は「映像思考」の人と呼び、その典型的な人がスペインの天才建築家アントニ・ガウディということです。ガウディが設計したバルセロナのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)は1882年3月に着工され、130年以上経った今なお建築途上にあるという壮大な建物です。しかし、その建物に詳細な設計図はなく、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具だけを使って構造を検討したといわれていますから、まさに、「映像思考の人」なのでしょう。
 

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スクールカーストとゆとり教育 №180

2013-03-30 12:32:18 | インポート
  「スクール(教室内)カースト」(光文社新書 鈴木翔著)を読みました。いま学校で、生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列があり、それをインドのカースト制度になぞらえて、「スクールカースト」というのだそうです。
 クラス内にいくつかの友達同士のグループが形成され、各グループには序列化(上下関係)があり、上位層・中位層・下位層をそれぞれ「一軍・二軍・三軍」「A・B・C」などと表現するのだということです。
 スクールカースト上での位置決定に影響する最大の特性はコミュニケーション能力ということです。スクールカーストで問われるコミュニケーション能力とは、具体的には「自己主張が強い(リーダーシップがある)」、「共感力(人望がある)」そして「同調力(空気を読む能力)」ということのようです。
 学力や運動能力は誰が見てもその結果は、はっきりとわかり、序列化されても納得せざるを得ない面もありますが、コミュニケーション能力という得体のしれない能力は、わかりにくいだけに、スクールカーストという序列は息苦しいものと思われます。
 スクールカーストは「ゆとり教育」が生み出したものではないかと思っています。学習指導要領が改定され、いわゆる「ゆとり教育」が実施されたのは、小学校・中学校が、2002年4月(平成14年)、高校が2003年4月です。この学習指導要領改定の基本方針は、
(1)「ゆとり教育」 (2)教科内容の一律3割削減(3)週休2日制の完全実施による授業時間数の減少(4)「生きる力」をコンセプトにした総合的な学習の時間の導入 (5)観点別3段階評価と絶対評価5段階評定「新学力観」の導入です。
 特に、観点別評価と絶対評価の導入が教室内の空気を変えていったものと思います。観点別評価というのは、「意欲、関心、態度」を評価するものです。試験の点数が悪くても、「意欲、関心、態度」が高ければ評価が上がるわけです。
 絶対評価の導入というは、「ナンバーワン教育(相対評価)」から「オンリーワン教育(絶対評価)」への転換です。勉強ができなくても、運動が苦手でも「そのままのあなたでいいのよ」というメッセージが与えられたわけです。
 少々意地悪な言い方をすれば、コツコツと努力をしなくても、世渡り上手な人、教師の前でうまく立ち回れる生徒が評価されるようになったともいえるかもしれません。かつては「巧言令色すくなし仁」といわれましたが、いま、学校では真逆のことが起こっているのでしょうか。
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ストレスと腰痛 №179

2013-03-26 14:42:18 | インポート

  ストレスは万病の元ともいわれますが、腰痛もストレスに強い関係があるようです。厚生労働省研究班の調査によると、腰痛の人は全国に推定で2800万人いるという新聞記事がありました。特に、40~60代の約4割が腰痛に悩んでいるとのことです。
 腰痛は発熱や胸部痛といった危険信号の有無などで(1)がんや外傷、感染などの重い脊椎疾患が疑われるもの(2)まひやしびれ、筋力の低下など神経症状を伴うもの(3)原因が特定できない非特異的腰痛などに分類することが重要だとあります。
 このうち、原因が特定できない、いわゆる非特異的腰痛といわれるものが(ぎっくり腰やストレスが原因となっているものを含み)全体の85%を占めるとの研究があるというですから驚きです。
 日本整形外科学会と日本腰痛学会では、腰痛の発症や慢性化には心理的なストレスが関与しており、画像検査などでも原因が特定できない腰痛が大半を占めるとの診療ガイドラインを出しています。
 この原因不明の腰痛は、職場での人間関係や仕事量の多さ、仕事上の不満、うつ状態など心理社会的要因が関与している強い証拠があると指摘されています。ストレスにより自律神経がの乱れると、筋肉が緊張したり、血流が悪くなったりして、腰痛が引き起こされるということのようです。このため、ストレスを軽減するためにの認知行動療法などの精神医学療法も有効だとされています。
 ガイドラインの策定委員会のメンバーであるの矢吹省司教授(整形外科)のいる福島県立医科大学附属病院などでは、整形外科と心身医療科が連携し、体と心の両面から腰痛を治す治療法である「リエゾン治療」に取り組んでいるということです。整形外科で痛みを和らげる治療やリハビリ療法で筋力の回復を図っていく一方、心身医療科で腰痛の原因であるストレスを軽減するための心理療法が行います。
 これといった原因のない腰痛については、自律神経のバランスを整え、ストレスをコントロールすることで防ぐことが可能ということですから、生活のリズムを整え、適度な運動を心がけ、ストレスをためないようにしたいものです。
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グリーフ(悲しみの)ケアとしての送り人 №178

2013-03-21 17:27:29 | インポート
 義祖母の葬儀に納棺師を依頼しました。その納棺師は映画「送り人」のモデルとなった方のお弟子さんの一人だということでした。彼は、持参した二枚の薄衣を天井から垂らし、仏壇をしつらえ仏具を並べると、遺族の見守る中で、ぬるま湯で暖めたタオルで丁寧に遺体を拭き清めはじめました。
 「送り人」に促され、遺族が全員でが少しずつ遺体を拭き清めていくと血行が戻ったかのように手足が柔らかくなってきました。「送り人」は、遺族とともに組んでいた指をほどき、腕を広げさせると、シーツで遺体を隠しながら、遺体を遺族の目にもさらすことなく、丁寧にしかも手早く死装束に着替えさせました。そこには、たとえ遺族に対してでも遺体を晒さないという、死者に対するリスべクトがうかがえました。
 次に、遺族に手伝わせながら、「送り人」は義祖母の爪にマニキュアをし、髪の毛をシャンプーし、薄化粧を施し口紅をひいていきます。それらの作業一つ一つが義祖母の「死」を遺族が受け入れることにつながることになります。105歳の長寿だった義祖母だが、生前マニキュアをしていたの見たことはないので、初めてだったのではないかと思いますが、それはそれで、遺族の心をなごませました。遺族は、死者が生前の面影を取り戻し、まるで眠っているような穏やかな表情で旅立っていくことに、何より温かい気持ちになります。
 白い死装束を左前に合わせ、上帯を締め、手甲、脚絆を着け、足袋を履かせます。六文銭を入れた頭陀袋を首に掛けると納棺準備が終わり、全員で納棺します。時間にして40分位でしたが、「死」と十分に向き合い、とても貴重な時間を過ごすことができました。
 「送り人」の仕事は、ただ無造作に棺に納めればいいというわけではありません。手際よく作業を進め、遺族が死と向き合う大切な一時でもあるので、可能な限り遺族に参加を促し、十分な別れができるように努めるのも「送り人」の役目です。厳粛でありながら、おだやかな雰囲気を作り出すことができるかが、「送り人」の力量といわれますが、まさにそのような方でした。有り難うございました。
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「ゆとり世代」から「さとり世代」へ  №177

2013-03-19 12:07:26 | インポート
 朝日新聞(3月18日付け朝刊)の記事に「さとり世代」が紹介されていました。「さとり世代」というのは、「ゆとり世代」の次の世代のことで、物心付いた頃から不景気で、浪費を悪と考え、実にまったりとした、穏やかな暮らしを望む草食系世代ということのようです。
 元日経新聞の山岡拓氏著の書籍「欲しがらない若者たち」をベースに書かれた記事についての2ちゃんねるのスレッドが由来とあります。「ゆとり世代」はだめな若者の代名詞のように遣われることが多いのですが、「さとり世代」は、ゆとり教育を受けつつも、さらに勉強をし、現実的な将来を見通す賢い集団でもある。だからこそ悟らざるを得なかった。自分を一歩ひいて見ざるを得なかった世代と説明されています。
 「さとり世代」の特徴として、①車やブランド品に興味がない。②必要以上に稼ぐ意欲はない。③パチンコなど賭け事をしない。④海外旅行への興味が薄い。⑤地元志向が強い。⑥恋愛に淡泊。⑦過程より結果を重視。⑧主な情報源はインターネット。⑨読書も好きで物知り等があげられています。
 当然のことながら、こうした若者は消費意欲が低いため、旅行会社や自動車会社などの企業には危機感があるようです。トヨタ自動車のテレビCMで、妻夫木聡扮するのび太君に、ジャン・レノ扮するドラえもんが免許を取ろうと呼びかけているのもこうした危機感の表れではないでしょうか。
 記事は、「さとったから買わない」のではなく、使うお金がないだけではとややアイロニーを込めて締めくくっていますが、有り余る欲望を抑えて「悟り」の道を開いたのではなく、「欲望」を持つことを禁じざるを得なかったということの方が正しい気がします。
 ちなみに、団塊世代がよく知られているように、生まれ育った時代背景や生活環境によって世代は次のように分けられるようです。
①焼け跡世代(1935年生~1946年生)戦前から戦後すぐの世代で焼け跡闇市派等とも呼ばれる。
②団塊世代 (1947年生~1949年生)第一次ベビーブームで生まれた世代。日本の躍進を支えた。
③しらけ世代(1950年生~1964年生)団塊世代とバブル世代に挟まれた世代でどこか冷めている。
④バブル世代(1965年生~1969年生)バブル景気の頃に就職した世代で、ブランド志向が強い。
⑤氷河期世代(1970年生~1986年生)バブル崩壊後の就職難の世代で失われた世代とも呼ばれる。
⑥ゆとり世代(1987年生~)    「ゆとり教育」を受けて育った世代。
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愛が憎しみにかわるとき  №176

2013-03-16 00:06:27 | インポート
 本当に相手のことを愛していたら、たとえ自分を犠牲にしても相手の幸せを願うのが本来の在り方だといわれますが、愛情のもつれによる殺人事件や傷害事件が時折報道されるのをみると、なかなかそのような心境になれない人が多いのではないかと思います。
 今まで愛していた人の態度が急に変わったからと言ってなぜそこまで憎むことができるのでしょうか。恋愛というのは、義理でも人情でも理性で割り切れるものでもありませんから、愛がさめたり、他の人に気持ちが移ることは仕方のないことです。
 しかし、相手の気持ちが離れていったのを知ると、悲しみと同時に嫉妬心がわき、自尊心が傷つきます。傷ついた自尊心を修復するためには、もともと自分には向いていなかったのだと自分に言い聞かせて諦めるか、相手を憎むことによって自分を正当化していかなければなりません。
 愛が憎しみにかわるのは、相手が自分の思い通りにならなかったことによる恨みからではないでしょうか。自分がこれだけ相手のことを思っているのに、相手が自分の気持ちを無視するのは許せないと思うのです。ストーカー事件によく見られるように、相手が迷惑だと思っているのにもかかわらず一方的に好意を寄せてつきまとい、相手が自分の気持ちを無視しているのが許せないと傷つけたりします。そこには、相手に対する思いやりの気持ちはありません。自分の思い通りにいかないことに対する怒りがあるだけで、きわめて自己中心的なものです。
 マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」といいました。とすれば、憎しみの中には、まだ、いくばくかの愛が残っていると考えてもよいのでしょうか?


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