グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

松平郷〜 松平(徳川)氏発祥の地

2023年12月13日 21時59分21秒 | 菜園

2023、12、13

〜「どうする家康」も終盤に差し掛かっている〜

 

一昨日、豊田ライフ3日目、松平郷を散策して来た

生憎の曇り空だったが、同行の妻と娘にとってはノープロブレム

ウォーキングが出来さえすれば何処でもOKみたいだった

😅

大河ドラマの影響か、いつもより車🚘多かった

帰り時にはバス🚌も2台!

   

当地は松平氏発祥の地 

その始祖松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)の銅像とか墓所🪦とか居所など忍ことは

可能だが、家康の影を求めても不思議と手答えが無い。

大河ドラマのPRの幟やポスターなども???見当たらない。

 

以前にも何度か来た事があるので初めてのコース取りで

松平氏の墓所を訪ねる事にした。

3人ともにウォーキングシューズ

多少の山道でも十分に対応可能だ。

 

 

徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏の銅像

 

親氏は近隣の村を手中に納め勢力拡大の端緒を開いた。

 

親氏の弟泰親(やすちか)は、その子信広、信光を従え岩津城を落とした。

この戦いで怪我をした信広を松平郷に残し、信光と共に岩津を居城とする。

松平宗家三代信光の代に岡崎・安城に勢力を広げ

戦国時代の一大勢力となっていった。

 

松平太郎左衛門墓所🪦、

 

七代清康は安城から岡崎に居城を移し、

三代信光の再来を思わせる活躍をし、三河一国を支配した。 

 

尾張守山を攻めた清康(当時25歳)は近臣に殺され、兵は総崩れとなった。

八代広忠はこの時まだ10歳

清康の死により松平一族の支配圏は弱体化し東の今川氏、西の織田氏から攻められ

支配圏は縮小していった。

八代広忠もまた近臣の者に殺されたことを知った今川義元は、岡崎城を手中にした。その時、後継ぎ竹千代(8歳)は、織田信秀の元にあった。

 

 

 

このようにして松平家初代親氏の天下泰平の願いは、

竹千代(家康)に託される事となる。

参考:パンフ「MATSUDAIRAーGO」、案内板

 

展望テラス

ガスが晴れると、三河湾伊勢湾が望めるそうだ。

これより引き返すことにした。

 

途中の分岐点で高月院へ進路変更した

 

 

 

激下る、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

松平氏の菩提寺で裏が墓所🪦となっていた。

 

中央が 初代松平太郎左衛門親氏

手前が  二代目泰親

奥が  第四代親忠、第五代長親

 

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高月院からの沿道250mの「室町塀」や「冠木門」は

室町期の歴史景観を醸し出すとの事だが、、

「天下茶屋」の方に食指が動いた

 

松平東照宮に戻った。

紅葉🍁の名残りが強かった。

 



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