この世を離れる時に(おそらく)思うこと。
多くの私達は贅沢な暮らしに憧れます。楽をして贅沢に暮らせないか。そのように願います。
しかし自分がこの人生を終えて、振り返って見た時、贅沢だった生活は幻でありました。なにわのことも夢のまた夢。
そして自分の人生で本当に宝であるのは、人から「ありがとう」と喜ばれたことでありました。あの世の世界であっても、人から喜ばれたこと。これは質量をもつ実態なのであります。
ということは本当かどうかはわかりません。死後の世界というのもあるのかどうかもわかりません。
死んだら無になる。という人もおります。本当のことはわかりません。
私も見えない世界のことは全くわかりません。ただ自分が何十年も生きてきた経験を、そのまま演繹するならば、きっとこの世を離れる時にそう思うだろう。そのように感じます。
あんなに羨ましかった贅沢なことは浮世の夢。そして自分が忘れていたことでも、人から「ありがとう」と思われていたこと。人に与えてあげたこと。これこそが、本当に珠玉の宝でありました。そのように思います。
節約倹約の本質とは実は人に与えること?
毎月月末にヨメと「質素節約会議」をすることにいたしました。そういう行為をしてみて改めて思います。来月倹約するお金の額。来月使えるお金の額。それらを決めていきます。
節約というと「本当は欲しいものがあったのに。我慢する。」そのように思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし節約の本質は違います。
節約の本質とは「人に分けてあげる」であります。
親は自分が満足に食べなくても、小さな我が子に食事を分け与えます。これが母性であり父性であり、親の心であります。
その親は「自分が我慢して」とは思いません。子供が喜ぶのなら、子供が喜ぶ顔を見ることができるのなら、それがもう最大の喜びであります。
「節約倹約」とは、自分の欲望を抑圧して禁欲してお金を残すことではありません。我慢することではありません。
「節約倹約」とは、人に与えることであります。
今の生活を質素にして、将来に備えて貯金する。老後の暮らしのために貯金する。
その場合、今の私達は、将来の自分に「お金を与えている」ということになります。
特に、平均寿命から推定すると、ヨメは私より10年は長生きすることでしょう。今の生活を質素倹約して貯金するとは、未来のヨメに与えている。ということになります。
その貯金は我々の老後のために使われるとは限りません。もし親族や親しい人が本当に危機になった時に少しは援助ができるかもしれません。あるいは災害があった地域への支援に少しはお役に立てるかもしれません。
この貯金は、将来誰を助けるかわかりませんが、誰かを助ける。このことは確実です。
つまり私達は今の生活の中で、いろいろ工夫して、お金を少しずつでも貯金する。それは未来の誰かに与えている行為なのであります。最近の私の発見でありました。
自分の欲望を抑圧する倹約ならば長くは続かないでしょう。心の底では「贅沢がしたいのに、お金がなくて叶わない」そのように思っていると、節約倹約はなかなか難しいかもしれません。
しかし誰だって、人が喜ぶ顔を見ると喜んで与えたくなります。
私達の日々の生活の質素倹約というのも本質は同じであります。
貯金をするというのは、未来の誰か、本当に助けを必要としている誰かに与える行為なのであります。
ケチケチでも執着すると重い。
人によってはケチケチ生活をして、大金貯金が趣味の人もいるかもしれません。人は信じられない。信用できるのはお金だけだ。
しかし残念ながら、こういう人も、最後は後悔の思いを見出すことでしょう。
なぜなら、貯金したお金は、自分のものであって、自分のものではないからです。
ケチケチ生活。これは人に与えるためのケチケチなら良いです。
しかし自分の貯金に執着するためのケチケチであるならば辛いことです。なぜなら溜め込んだ貯金は、いずれは手放さなければならないからです。少なくとも死んだあの世には、持っていけません。
貯金の時点(与えた時点)で、それは自分のものであって自分のものではない。
自分の貯金は、自分のものであって、自分のものではありません。
大切に運用する。騙されて失わないように最大限の誠意をもって管理する義務はあります。私達は自分たちの貯金に対して、そのような義務があります。
しかしその貯金は、すでに自分の手を離れたものでもあります。自分や親族や縁者を守るための貯金であります。
この貯金は、老後の自分たちの生活を守るかもしれません。私が死んだあとのヨメの生活を守るかもしれません。あるいはその他。困窮する親族縁者に少しでも援助ができるように。そのように使われるかもしれません。
貯金とは貯めた時点で与えたと同じである。のかもしれません。未来の自分に与えた。未来の親族縁者に与えた。
だからこそ知恵をしぼってやりくりして、節約倹約する行為は「与える行為」なのであります。
つづく
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多くの私達は贅沢な暮らしに憧れます。楽をして贅沢に暮らせないか。そのように願います。
しかし自分がこの人生を終えて、振り返って見た時、贅沢だった生活は幻でありました。なにわのことも夢のまた夢。
そして自分の人生で本当に宝であるのは、人から「ありがとう」と喜ばれたことでありました。あの世の世界であっても、人から喜ばれたこと。これは質量をもつ実態なのであります。
ということは本当かどうかはわかりません。死後の世界というのもあるのかどうかもわかりません。
死んだら無になる。という人もおります。本当のことはわかりません。
私も見えない世界のことは全くわかりません。ただ自分が何十年も生きてきた経験を、そのまま演繹するならば、きっとこの世を離れる時にそう思うだろう。そのように感じます。
あんなに羨ましかった贅沢なことは浮世の夢。そして自分が忘れていたことでも、人から「ありがとう」と思われていたこと。人に与えてあげたこと。これこそが、本当に珠玉の宝でありました。そのように思います。
節約倹約の本質とは実は人に与えること?
毎月月末にヨメと「質素節約会議」をすることにいたしました。そういう行為をしてみて改めて思います。来月倹約するお金の額。来月使えるお金の額。それらを決めていきます。
節約というと「本当は欲しいものがあったのに。我慢する。」そのように思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし節約の本質は違います。
節約の本質とは「人に分けてあげる」であります。
親は自分が満足に食べなくても、小さな我が子に食事を分け与えます。これが母性であり父性であり、親の心であります。
その親は「自分が我慢して」とは思いません。子供が喜ぶのなら、子供が喜ぶ顔を見ることができるのなら、それがもう最大の喜びであります。
「節約倹約」とは、自分の欲望を抑圧して禁欲してお金を残すことではありません。我慢することではありません。
「節約倹約」とは、人に与えることであります。
今の生活を質素にして、将来に備えて貯金する。老後の暮らしのために貯金する。
その場合、今の私達は、将来の自分に「お金を与えている」ということになります。
特に、平均寿命から推定すると、ヨメは私より10年は長生きすることでしょう。今の生活を質素倹約して貯金するとは、未来のヨメに与えている。ということになります。
その貯金は我々の老後のために使われるとは限りません。もし親族や親しい人が本当に危機になった時に少しは援助ができるかもしれません。あるいは災害があった地域への支援に少しはお役に立てるかもしれません。
この貯金は、将来誰を助けるかわかりませんが、誰かを助ける。このことは確実です。
つまり私達は今の生活の中で、いろいろ工夫して、お金を少しずつでも貯金する。それは未来の誰かに与えている行為なのであります。最近の私の発見でありました。
自分の欲望を抑圧する倹約ならば長くは続かないでしょう。心の底では「贅沢がしたいのに、お金がなくて叶わない」そのように思っていると、節約倹約はなかなか難しいかもしれません。
しかし誰だって、人が喜ぶ顔を見ると喜んで与えたくなります。
私達の日々の生活の質素倹約というのも本質は同じであります。
貯金をするというのは、未来の誰か、本当に助けを必要としている誰かに与える行為なのであります。
ケチケチでも執着すると重い。
人によってはケチケチ生活をして、大金貯金が趣味の人もいるかもしれません。人は信じられない。信用できるのはお金だけだ。
しかし残念ながら、こういう人も、最後は後悔の思いを見出すことでしょう。
なぜなら、貯金したお金は、自分のものであって、自分のものではないからです。
ケチケチ生活。これは人に与えるためのケチケチなら良いです。
しかし自分の貯金に執着するためのケチケチであるならば辛いことです。なぜなら溜め込んだ貯金は、いずれは手放さなければならないからです。少なくとも死んだあの世には、持っていけません。
貯金の時点(与えた時点)で、それは自分のものであって自分のものではない。
自分の貯金は、自分のものであって、自分のものではありません。
大切に運用する。騙されて失わないように最大限の誠意をもって管理する義務はあります。私達は自分たちの貯金に対して、そのような義務があります。
しかしその貯金は、すでに自分の手を離れたものでもあります。自分や親族や縁者を守るための貯金であります。
この貯金は、老後の自分たちの生活を守るかもしれません。私が死んだあとのヨメの生活を守るかもしれません。あるいはその他。困窮する親族縁者に少しでも援助ができるように。そのように使われるかもしれません。
貯金とは貯めた時点で与えたと同じである。のかもしれません。未来の自分に与えた。未来の親族縁者に与えた。
だからこそ知恵をしぼってやりくりして、節約倹約する行為は「与える行為」なのであります。
つづく
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