「与える」ということは人の最も大きな喜びの本質であります。
生命の本質は自分と他者の区別はありません。から人に与えるという行為の本質は自分に与えるということ。そのものであります。
ただしこの「与える」は、残念ながら相手を不幸にしてしまうケースがあります。それは相手の甘えと依存を醸造してしまう場合です。
私達は自分が思う以上のしたたかな生命力をもつ。
人の生命力とは無限の可能性を持ちます。私達の生命力というのは、本来私達が思っているより、もっとしたたかで強いものであります。
ただしその生命力を発揮させるには、スイッチが必要であります。そのスイッチとは「逆境」と呼ばれます。
しかし人は、考えられるありとあらゆる逆境に耐えられる力をもっております。本来は。
逆境こそが、私達の生命力をパワーアップさせてくれる鍵であります。
そして私達がこの人生から離れる時、振り返って本当にこの人生は良い人生だった。と思える美しさ。その美しさとは、逆境をスイッチとして、自分の生命力が光った時期。これであります。
そう、人生を振り返り、その時、自分の生命力が光り始めて入るのを改めて客観的に観た時、ああ、なんてキレイな光であるか。そのように感動することであろうと思います。
生きている時は、逆境とは避けるべき不幸であると思っておりました。もちろん自分や家族が不幸にならないように注意深く生きることは大切です。
でもそれでも避けきれず直面しなければならない逆境。しかしその逆境こそ、自分の人生が、本来の生命力を取り戻し、光始めたのでありました。
本当に、生きている人生の舞台。オモテで見えることと、ウラの因子は真逆であります。
私達は自分の人生を俯瞰する時に、改めてそれを発見することであろうと思います。
過保護は相手の生命力を奪う最強の環境。
「与える」こと。これが行き過ぎると「過保護」になります。「過保護」は相手の生命力を衰えさせるもっとも効果的な方法です。
小学校によっては「悪平等」の教育が行われているところがあるかもしれません。子供たちに競争させることは悪だという思想です。その「悪平等」は子供たちに「負ける免疫」「挫折の免疫」を得る機会を奪います。
挫折の免疫がない子供たちが学校を卒業をして社会に出る。社会は甘くありません。
「悪平等」「過保護」で、生命力が退化した子供にとって、いきなり厳しい社会に飛び込まさせることは、本当に気の毒です。
「与える」ことは、大切であります。ただしそれは「相手の依存心」を育てないバランスが必要であります。
「与える」のも母性ですが、「与えない」ことも母性であります。
昨日の「安売りをすること」が必ずしもお客さんのためにならないということ。
本日の「与えること」が必ずしも相手のためにならないということ。
明日に続きます。
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