語る城門「大戸」BIGDOOR正門

昭和38年製Bigdoorオヤジが身辺10m範囲の出来事を哲学したり雑学したりします。老後の楽しみ1つみっけ。

這い上がったライオン

2006-10-10 14:20:55 | Weblog
【褒めずにはいられない】
 這い上がったダンディ・ライオン:外務副大臣 岩屋毅衆議院議員(大分3区)
出会いは彼の早大時代の同級生NK氏と同郷の友人NN氏にお願いして、むりやり半蔵門で飲んだ。

 このひとはダンディである。数多の逆風、挫折を感じさせない。普通の社会人ならば彼の様な波乱万丈の人生を歩めば「翳(かげ)」が出来そうであるが、この人には「翳」を感じさせない何かがある。
 それが逆に「苦労知らずの世襲議員」という的外れな批判・謗りを生むほどかもしれない。
 そう、ライオンである。きしくも小泉前首相と同じ冠だが、ダンディ・ライオン。

 未確認の伝聞であるが祖父は大分で暴力団追放に文字通り命を賭して論陣を張った気骨のジャーナリストであったという。

 確かに父・岩屋悟氏は大分県議会議員であったが、28歳で地元に戻ったときに支援組織は弱体化しており国会議員になっても自民党→新進党→日本新党→自民党へ復党するも「出戻り議員」に党内は厳しく、閑職さえ与えられなかったに違いない。

 それに地元・大分3区での選挙戦も毎回快勝してはいない。事実平成5年&8年落選。169票差で負けるは、開票始めて一時間でテレビ局が出した【当確】の誤報に湧き上がったが結局撤回され落選。テレビ出口調査重視を開票速報のが原因だが、数時間で天国から地獄に叩き落された経験は彼の芯の太さを増したに違いない。小平だって3回も失脚している 
 しかも、小泉政権下で実施された衆議院選挙に地元で「造反議員」を党員として選挙活動を黙認した門で「詰め腹を切る」形で県連会長の席を献上するに至り、中央幹部に抵抗。「『お白州』で怒鳴りつけてやった」ので「俺の党内での出世はない」と支援者にもらすほど。

 それが去る平成18年9月27日、自民党党内力学の作用か、小泉政権に引き続き、安倍政権でも外務大臣に「留年」した麻生太郎氏の引きで外務副大臣のポストに就く。

アンタッチャブル外務省はこの外務委員会にも席をおいたことのない「防衛畑」出身のダンディなライオンをどう懐柔しようと思案投げ首だろうが
彼が外務省の走狗になることはないだろう。彼は国に尽くすチャンスを与えられた「右翼」なのだから
千尋の谷から這い上がったライオン。
クラウゼビッツ曰く「戦争は武力をもってする外交手段の一つである」その言葉を彼が知らないはずはない。防衛力を理解している外務副大臣の活躍に期待しましょう。頑張って下さい。

■岩屋 毅(外務副大臣)議員プロフィール
安倍晋三内閣・外務副大臣のポストについた大分3区選出衆議院議員、自民党大分県連元会長。大分県会議員・岩屋啓氏を父に持つ。
昭和32(1957)年8月24日生。別府市立青山小学校・青山中学校を経て鹿児島ラ・サール高校入学(下宿先で焼酎を学ぶ)。スポーツ、生徒会活動に汗を流す。早稲田大学政経学部政治学科(早稲田大学雄弁会)
卒業後、衆議院議員鳩山邦夫代議士秘書として政治の基礎を学ぶ。
昭和62年 大分県議会議員初当選(29歳)
平成2年 旧大分2区より衆議院議員初当選(32歳)
平成5年・平成8年の選挙では落選
平成12年 衆議院大分3区より当選し再起を果たす
平成13年1月~5月まで、防衛庁長官政務官を務める。
平成15年 第43回総選挙当選(3期目)
平成14年1月~平成16年10月まで自民党副幹事長
平成17年9月 第44回総選挙当選(4期目)
平成17年3月~12月 自民党大分県連会長
■自民党役職:政務調査会 副会長
u-Japan重点計画特命委員会事務局 事務局長
観光特別委員会「カジノ・エンターテイメント検討小委員会」委員長
■衆議院所属委員会:安全保障委員会 筆頭理事,イラク支援特別委員会 理事,環境委員会 委員
■議員連盟:全国温泉振興議員連盟 幹事長
新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会 事務局長
国際観光産業としてのカジノを考える議員連盟 事務局長


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