鳴り物入りで始まった汐留の「A」ですが,あっさり打ち切りとなってしまったようです。
久米さん,お疲れさまでした。
正直,最初に番宣を見た時点で,「こりゃ,だめだろう」と思いました。見たいと思う要素が全くなかったからです。
そもそも,今回の番組,なぜできたのでしょうか。
実は,番組の作り方には大きく分けて2種類あります。
1 王権神授説
2 社会契約論
(いずれも,本当の意味とは全く関係ありませんので念のため)
1の王権神授説は,企画を堅め,ドラマの場合ならば脚本を固めた状態で,その内容に見合ったタレントを捜して来るという手法です。いわゆる伝統的な手法で,多くのドラマや報道バラエティなどでは,今でもこの手法を用いています。
一方,2の社会契約論は,先にタレントをキープしておき,そのタレントに合うような企画や脚本を作ります。いわゆるCXの「月9」などは,この典型です。
今回の「A」については,2の社会契約論により番組を作成したと言われています。つまり,まず久米宏ありきだったわけです。
しかし,汐留サイドでは,社会契約論による番組づくりに慣れていなかった(つまり,今までは王権神授説で番組を作っていた)ことから,なんとなく作っちゃった番組なのではないかと推測されます。
もっとも,テレビ業界ではこうしたこけることはよくありますから,プロデューサー以外はあまりへこんでないと思います。
この番組の作り方,実はあちこちの世界でも同じことが言えます。
例えば政党もその例で,本来は王権神授説,つまり最初に公約や党の方針があってそれに賛同できる政治家を集めていたのに対し,最近では,大物政治家(タレント政治家を含む)を捕まえてきて,その人の主張に近い公約を党の公約としてしまいます。つまり,社会契約論的政党になるわけです。
もっというと,都議会議員選挙の候補者も,公約があるから立候補したという王権神授説的な候補者よりも,政治家になりたい,又は地位を維持したいために公約を作ったという社会契約論的の人の方が多いのではないでしょうか。
別に社会契約論的発想を否定するつもりはありませんので,その点はご注意ください。
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正直,最初に番宣を見た時点で,「こりゃ,だめだろう」と思いました。見たいと思う要素が全くなかったからです。
そもそも,今回の番組,なぜできたのでしょうか。
実は,番組の作り方には大きく分けて2種類あります。
1 王権神授説
2 社会契約論
(いずれも,本当の意味とは全く関係ありませんので念のため)
1の王権神授説は,企画を堅め,ドラマの場合ならば脚本を固めた状態で,その内容に見合ったタレントを捜して来るという手法です。いわゆる伝統的な手法で,多くのドラマや報道バラエティなどでは,今でもこの手法を用いています。
一方,2の社会契約論は,先にタレントをキープしておき,そのタレントに合うような企画や脚本を作ります。いわゆるCXの「月9」などは,この典型です。
今回の「A」については,2の社会契約論により番組を作成したと言われています。つまり,まず久米宏ありきだったわけです。
しかし,汐留サイドでは,社会契約論による番組づくりに慣れていなかった(つまり,今までは王権神授説で番組を作っていた)ことから,なんとなく作っちゃった番組なのではないかと推測されます。
もっとも,テレビ業界ではこうしたこけることはよくありますから,プロデューサー以外はあまりへこんでないと思います。
この番組の作り方,実はあちこちの世界でも同じことが言えます。
例えば政党もその例で,本来は王権神授説,つまり最初に公約や党の方針があってそれに賛同できる政治家を集めていたのに対し,最近では,大物政治家(タレント政治家を含む)を捕まえてきて,その人の主張に近い公約を党の公約としてしまいます。つまり,社会契約論的政党になるわけです。
もっというと,都議会議員選挙の候補者も,公約があるから立候補したという王権神授説的な候補者よりも,政治家になりたい,又は地位を維持したいために公約を作ったという社会契約論的の人の方が多いのではないでしょうか。
別に社会契約論的発想を否定するつもりはありませんので,その点はご注意ください。
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