藝の「秘密」
2023年3月22日(水)
世の中の「お稽古」ごとには
お教室に通って、高いお金を払い
妙な人間関係に耐えながら苦労して学ぶ、
そういうものが多い。
おそらくそういう方が「受ける」のだと思う。
しかしわたしのいう「藝」というものは、それとはちょっと違い、
いわば、ある種の「科学」であり、
合理的習慣の蓄積の問題で、
きちんとしたやり方で、それなりの手間を掛ければ、
向き、不向きとか、個人差はあると思うが、
それなりに誰でもそこそこはできるものだ。
自分なりに絵を画く「実験」をおこない
自分なりに「考える」訓練をつむ
つまりそれが「イマジネーション・デッサン」と「イマジネーション・メモワール」だが、
そういうことの積み重ねで、
つまりいってみると「研究精神」のようなものだ。
それがおおよそ「学ぶ」ということの積み重ねだろう。
自分なりにコツコツするのが大事で、
つまりやるかやらないか、努力するかしないか、だけだ。
これは、本居宣長が「うひやまぶみ」に書いたとおりだ。
(わたしのいっている)學とか藝は、
秘伝とか、秘技のようなものとは別に、「個人的に」成立するもので
わたしが「イマジネーション・トレーニング法」のブログを公開している理由も
まったくここにある。
わたしは昔、村上春樹のエッセイをよく読んでいたが、
そこに書いてある文学の上での「方法論」も、
「秘密性」がないという点で、同じようなものだった。
規則的に、継続してするかしないかだけだ。
それが一番重要だと思う。
こういう面倒な時代では、ひとりひとりが
自分で考えて自分なりにやるしかない。
つまりそれが「イマジネーション・トレーニング」だ。
わたしはいま、絵を通してこれをしている。
わたしは恩師のアトリエにいって、
一番知りたかったことだが、
絵の技術には「秘密」がないことを知った。
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