イマジネーション・トレーニングの日記〜わたしの藝と稽古の記録

パターンやイメージを探求するために絵を画いています。

せぬひま

2024-03-21 14:24:11 | ことばまなび

 

おはようございます。
 
連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。
 
よろしくお願い致します。
 
今回は「稽古」全般について、
 
あるいは人生全般について、
 
「せぬひま」というテーマで考えて行きたいと思います。
 
よろしくお願い致します。
 
「せぬひま」という言葉を
 
わたしが、いつ、どのようにして学んだか、
 
わたしはよく覚えていず、
 
本来の意味と違ってとっているのかもしれませんが、
 
かなり「東洋的」な考え方なのはたしかです。
 
いろいろなものを稽古してゆき、
 
さまざまなメソッドを考えてゆき、また工夫して、
 
わたしの「イマジネーション・トレーニング」にもそういう危険が多くあるのですが、
 
あまりに、「トレーニング中心」、
 
「作為中心」に考えがゆきそうになったとき、
 
この「せぬひま」ということを改めて思いだし、
 
反省することはままあります。
 
あまりにいろいろしすぎることの反省です。
 
 
 
 
いわゆる「間(ま)」という考え、
 
あるいは、「あいだ」という言葉で考えておられる方もいるようですが、
 
「せぬひま」とは、行為と行為に、時間が空くことに大きな意味があるという考えで、
 
その「ひま」の営みに意味を感じることで、
 
つまり、それは「生活に適切なリズムを刻んでゆくこと」です。
 
生活の中の「テンポ」のようなことをおおまかに調節してゆく考え方になります。
 
わたしは以前、この連載が始まって、一年目ぐらいに
 
「待つ」こと、を一回テーマに取り上げていて、
 
それは「祈る」こととペアになる、とたしか書きました。
 
つまり妊婦さんやお百姓さんと似たことをすることで、
 
「待つ」ということは、
 
やってみるとなかなか難しいことだとわかりますが、
 
根本に「待つ」という態度や姿勢があると、
 
稽古に自然と新しい「展開」のようなものが生まれてきて、
 
つまり「創造」とか「知的生産」のようなことが起きてくるのはたしかで、
 
それが人間の成長の自然な「根」のようなものだと思います。
 
植物のように成長してゆくことで、
 
いつも何かを追い続けてばかりの暮らしというものは、
 
ときどき反省した方が良いと、自分なりには考えさせられました。
 
 
 
 
 
 
ときに「ぽかんとする」時間が必要で、
 
また、喜びとかたのしみという面でも、
 
「待つ」ということが生活の中にあった方が、
 
得られるものが大きいような気がします。
 
それは、なんでもかんでも、詰め込めばいいというのと
 
はっきり違う考え方だと思います。
 
そこに「努力」とは違う、一つの「可能性」の種があるのではないでしょうか。
 
このブログ原稿も、
 
月、一回前後の更新と、
 
みなさんをかなり多く「待たせて」いるわけですが、
 
ゆっくりした丁寧な勉強や、
 
時間をかけた稽古の日々から、
 
何かを発信する意味があると思い、
 
ちょっとずつ頑張っています。
 
楽しみにして待ってくださる方もいくらかいらっしゃるようで、
 
嬉しく思っていて、
 
また、やってゆこうと思います。
 
そういうわけで、
 
これからもよろしくお願い致します。
 
読んでくださりありがとうございました。
 
また次回お会いしましょう。
 
 
 
(つづく)

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