20年位前、母との最期の会話は「お盆に三原に連れて行く」
「もうええ・もうええ」だった。
2度の脳梗塞で少し下半身が不自由になった母の楽しみは
日曜日に行くパチンコと墓参りだった・・・リリオーの担当。
お布団干しやら母の部屋を掃除をしないといけないので連れ
て出て欲しい姉の要望でもある。(今のようにケアーホームに
預けて…などなかった)
その時、何時も母が言うのは三原の墓参りに連れて行って・・・
2軒の店をしていて、ものすごく忙しかったリリオーは、ここに墓
があるのに三原まで行かんでもエエだった。
でも、何故か五月晴れの清々しい陽を浴びて気持ちよさそうに
手を合わしている母を見て「三原に行こう」とリリオーは言った。
だが、母の答えは・・・
「もうええ、もうええ、お母ちゃんはもうええ」と微笑みながら言う
のだ。今まで見たこと無かった穏やかな笑顔で天使のように映
って・・・その時は分からなかったが自分の寿命を悟っていたか
のようにその1週間後に母は倒れ、意識不明のまま半年後に逝
った。それから10年位してリリオーは母の写真を持って三原へ。
「お母ちゃん、来たよ、ごめんな、一人で来てごめんな」
自分でも驚くほどの人目もはばかることなく号泣したのだ。
そのことを店のHP中にあるブログに掲載した。
「ママ、泣きました、感動しました、凄いです」
店の女の子の一人は大きな目を一直線リリオーに向けて言って
くれました。いや、自分の気持ちを書いただけで感動してもらえる
事ではと恥ずかしかったことが浮かんできます。
明日、行って来ます。今度は母の写真だけでなく父のもバックに
入れました。
又、今度は呉線のマリンビューにも乗りたいと・・・。
ゆっくりと青春18きっぷでね。