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8月25日に出発して9月の3日に帰ってくるまでの約10日間、南三陸町に災害派遣に行ってきました。
南三陸町はまだ復興には程遠く、町はガレキと廃棄物の山です。
書かないでおこうかと思った惨状ですが、私が衝撃を受けた場所の二枚の写真だけ載せておきます。
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津波により横倒しになった蒸気機関車と10m以上積み上げられた廃棄物。
町全体に素材の違うごみが入り組んでいます。
これらの処理はどうしたらいいのでしょうか?自治体レベルではどうしようもありません。
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一見、素晴らしいリアス式海岸の写真です。
ここは戸倉地区にある戸倉中学校で撮影しました。
この海面から10m以上ある標高の中学校も津波で水没しました。
私が撮影した場所もものすごいウネリの底であったのです。
ここに避難した多くの方も流されました。
この戸倉地区の家600件の内、残ったのはわずか1割です。
海岸など見えない数キロ離れた地区ですら大被害を受けました。
こんな事になろうとは誰が想像できたでしょうか?
しかし、人間の復興はすでに進んでいました。
同じ職場で働いた人たちはみな一生懸命であり、笑顔であり、前向きであった。
自分の仕事に邁進されていた。
町民の皆さんも、落ち着き今の状況を受け止めておられました。
さて、災害により命を落とされた方の遺族に弔慰金を2億ほど支払う事務をしてきたわけです。
弔慰金の申請に来られる遺族の方を初め、職員や出会った人の全てに感じたのは達観という言葉。
人口の流出、都市計画の再考など前途は多難ですが、彼らなら必ず復興してくれると信じれましたよ!
私がやった仕事など、ガレキの中の石ころ一つ拾うくらいでしたが、彼らならやってくれます。
微力ながら、これからも支援していきまっせ~。
がんばっぺ!南三陸!!
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