千利休の教えを
分かりやすく覚えさせるために作られたと言われる
「利休百首」の中に
次のような歌があります
中次は胴を横手にかきて取れ
茶杓は直におくものぞかし
棗には蓋半月に手をかけて
茶杓を丸く置くとこそしれ
また
蓋を拭く時に
棗は「こ」の字に
中次などは「ニ」の字に
という違いがあるのも
その形状から
ごく自然に導かれることのように思われます
そう考えますと
お茶のはき方の違いも
茶器の形状との調和と言いますか
茶道美といった観点でとらえますと
何となく納得できるような気がいたしますが
皆様はいかがお感じになられますでしょうか?
(「定本 茶の湯表千家 上巻 P185)